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愛シテル

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 ジェフリーは四度の結婚と離婚を経験していた。恋愛対象は女性と決まっていたし、男に興味はなかったが、ただ一人、恋人よりも妻よりも、優先順位が上の人間がいた。医学部三年の臨床実習で出会い、同じ病院でレジデンシィ・プログラムを受け、スタッフ・ドクターとして働いた日本人。冗談を言い合い、酒を酌み交わし、時には治療方針で意見を戦わせたこともある。一緒に仕事をするのは楽しかった。だから仕事を何よりも優先した。気がつけば妻は去り、彼と共に過ごす仕事の時間だけが残ったと言う具合だ。
 それが恋だと知るのに、二十年近くもかかった。恋だと言うにはあまりにも淡白で、気がつかなかったのだ。ジェフリーが自覚した時には、彼は人のものになっていた――正しくは、その死によって思い出となったピアニストのものに。
 思い出には勝てない。しかし思い出には縛られて欲しくない。
 ジェフリーの、リクヤに対する想いは過去のものとなっていた。今更、彼と恋愛をしようとは思わないが、友情は失いたくない。彼との接点は、ジェフリーから繋げておかない限り消えてしまう脆いものだ。実際、この二年、リクヤからのメールや電話は一度もなかった。
 ジェフリーは立ち上がって、ピアノの傍らに立った。鍵盤の蓋は鍵がかかって開かない。
 ピアニストは不機嫌なリクヤの表情を愛した。白衣の裾に風を含ませ、大股で颯爽と歩く彼の姿がキレイだと言った。
 ジェフリーは冗談を言って周りを和ませるリクヤが好きだった。数々の女性と浮名を流し、それを悪びれもせず話す彼に、嫌悪感を抱いたことはなかった。鮮やかな手技に、自分の手が止まるほど見惚れたこともある。
 ピアニストが愛した、ジェフリーが好きだった彼は、ここにはいない。
「こんな世捨て人みたいな生活、彼には似合わないよなぁ、ユアン?」
 ジェフリーは丸みを帯びた蓋の縁を撫でながら呟いた。



 翌日の朝、別れ際にもう一度、ジェフリーは念を押す。
「リック、昨日の話、考えておいてくれよ。真面目に」
「わかった、わかった」
 真剣みのない答えだった。その様子を見ると、俄然、『闘志』が湧いてくる。ジェフリーは彼が承諾するまで、毎日でも電話を入れようと心に誓った。電話が無理なら、メール攻撃だ。
――ユアン・グリフィスが彼を諦めなかったのって、こんな感覚なのかな?
 リクヤにはそんな不思議な魅力があるのかも知れない。
「気をつけて。みんなによろしく」
 手を振り見送る彼を、ジェフリーはバックやサイドのミラーに留めながら車を走らす。姿がドアの中に消えると、その家を。家が小さくなると、その辺りを、いつまでもミラーの端に残しながら。
 彼を独りにはしておきたくない――ジェフリーは遠ざかる風景を見て思う。
「帰宅したら、早速にメールだ」
と、彼は独りごちた。



作品名:愛シテル 作家名:紙森けい