愛シテル
出会い編2 〜April りく也31才 ユアン32才〜
E.R.の受付係のピーター・スミスは辟易していた。
今日は朝から救急外来が大繁盛。しかし野外コンサート会場で将棋倒しの事故があり、運び込まれた大勢の重態患者にドクター達は手一杯で、外来のことは必然的に後回しにされていた。あまりの待ちように、患者が受け付けにクレームをつけにきて、スミスは電話とその応対に追われて休む暇もない。その上、もう一人の担当メイスンが、渋滞に巻き込まれて大遅刻と来ては、患者の応対も横柄になる。それがまたクレームとなって、つまり悪循環の渦の中に、彼ははまりこんでいるわけだった。
「やっと、ランチだ」
今回の医学生の中で一番使えないヤツ――スミスがそうレッテルをつけた医学生のロバートが、処置の済んだカルテをボックスに放り込んだ。この学生ときたら、ここのローテーションに入って二週間が過ぎようとしているのに、未だに血やら肉やらでグシャグシャの患者が運び込まれる度、トイレに直行する。医学部での成績は上位の実習生らしいが飲み込みが遅く、出来ることと言えばマニュアル通りのことばかり。その上、やることのトロさと言ったら、今日この忙しさは、彼が外来に入っているからではないか――スミスはそう思わずにいられなかった。自分がランチも休憩も取れていない現状で、スタッフやレジデントの後ろばかりついてまわるしか能の無い学生が、自分よりも先に、ランチを取るだなどと、どう考えても納得がいかない。
「ランチだと?!」
ロバートに向き直って今しも怒鳴りそうになった時、
「すみません、ここにリクヤ・ナカハラはいますか?」
と背後からスミスに声がかけられた。
振り返ると、二人の東洋人と長身の白人が立っていた。
「リクヤ・ナカハラ…、ああ、リック?」
スミスが聞き返す。
「ええ、今日は出勤していますか?」
一番背の低い東洋人が答えた。声をかけたのは彼らしい。
「リックは…」
今日はスミスの視界に、リクヤ・ナカハラは入って来なかった。へらへらとしているが学生の中で技術的にはまあまあマシな彼は、ここでは重宝に使われているから、出勤しているとしたら救急搬送の患者を担当しているのだろう。
「今日は出勤してる。患者をICUに運んで行きましたよ」
言葉が詰まったスミスの代わりに、ロバートが答えた。
「会いたいので、呼んでもらえますか?」
「あなたは?」
「兄です」
スミスとロバートは思わず顔を見合わせた。その東洋人はどう見てもリックより年上に見えなかったし、彼に兄弟がいることなど聞いていなかったからである。
「伝えるけど、ご覧の通り今日は大忙しだから、リックもなかなか手が空かないと思うけど?」
今度はスミスが答えた。リックの兄と名乗った東洋人は、まず後ろに立つもう一人の東洋人を、それから隣に立つ金髪の白人を見た。二人が時間差で頷くのを確認してから言った。
「構わない。待ちます」
スミスはドクター・ラウンジで待てばいいと教えたが、三人はそれを断って、邪魔にならないところを求めて去った。
およそ病院に似つかわしくない彼らを、患者もスタッフも一瞬振り返る。特に背の高い白人は俳優ばりの容姿で、歩くたびに見事な金髪が光を放つようだった。幾人かの女性が黄色い声をかけるところをみると、俳優なのかも知れない。あのリックの兄だって悪くない。不思議と目を引く美しさがある。人に見られることに慣れているようだから、ビジネスマンではないだろう。もう一人の東洋人はこの二人に比べてまるで目立たない存在だったが、逆にそのことが目を引いて印象に残った。
「何者かな、あの三人」
ロバートは彼らの後ろ姿を見送りながら呟いた。その彼を二号処置室から呼ぶ声がした。
「あああ、ランチがぁ…」
ロバートは額に手を当てて、大げさに天井を仰ぎ見る。もう一度呼ばれて、大きく息を吐いた後、二号室に走った。結局、彼のランチはお預けとなったわけで、スミスは「ざまあみろ」と胸の内で舌を出した。
「リック」
ICUフロアでエレベーターを待っていたりく也の隣に、同じE.R.ローテーションの医学生ジェフリー・ジョーンズが並んだ。彼も『寄り道組』で、りく也とは同い年と言うこともあって仲が良い。遅刻魔のジェフリーはローテーション初日に大遅刻して顰蹙(ひんしゅく)を買い、ナース達から「リック以外は最低」と一括りにされていたが、慣れて持ち前の判断力の良さが発揮されると、その評価も上がって来ている。
「どうしたんだ、それ」
りく也が白衣ではなくオペレーション・ウェアを着ているのを見て、ジェフリーが聞いた。
「食中りの患者に吐かれたのさ」
肩を竦めて答える。エレベーターのドアが開いたが一杯で、二人は一台見送った。今日は休憩する間もないほど忙しい一日なので、ちょっとした休憩代わりだ。
「ハイ、リック。今日は何時上がり?」
ICUのナースがりく也の元に歩み寄った。ポッテリした唇がマリリン・モンローのように色っぽい。
「七時。君は?」
「私は六時半。待ってるから今夜どう?」
「いいよ」
「じゃ、また後で」
彼女は媚びたウインクをりく也に残し、ICUの中に入って行った。
ジェフリーが横目でりく也を見た。
「相変わらず、お盛んだな、Dr.ナカハラ?」
含みある目は笑んでいる。りく也のモテ様はマクレインでは有名だった。来るものは拒まず、仕事で帰れない日以外は、独り寝はないんじゃないかと言われているくらいだ。
「思いっきり疲れて眠りたいんだよ。疲れすぎて、自分で抜く気も起こらないし」
「うわぁ〜、やっぱりナース達の噂通りなんだな? リックは女を性欲処理の道具としてしか見てないってさ」
「本当のことだろ?」
「今に大やけどするぜ」
「だから相手を選んでる。お手軽で後腐れなくって、遊びを遊びと割り切れる相手。『相性』が良いに越したことはないけど、そこそこ気持ち良くしてもらえばいいし」
「じゃあ、商売女にすりゃいいじゃないか?」
「変な病気を移されても困るしな」
しれっと答えるりく也に、あきれたようにジェフリーは息を吐いた。次のエレベーターが来て、今度は空いていたので乗り込む。
「サイテー。こんな男だって知らずにきゃあきゃあ言う彼女達が、気の毒になってきたよ」
「どうとでも」
りく也は不敵に笑った。ますますジェフリーはあきれて、りく也の脇を拳骨で小突いた。
エレベーターが一階のE.R.に着いた。降りた二人の学生にスタッフ・ドクターが、次に診る患者の指示を出して走り去って行く。病棟の様子は数時間前からほとんど変わっていない。相変わらず外来患者が待合室から溢れていた。
ドクター・ラウンジで少し休憩を取ろうと思っていた二人の目論見は崩れ、通りかかるナース達に追い立てられるように、受付脇のカルテ・ボックスに向かった。
「あ、リック、お客が来てるぜ」
指示された患者のカルテを探すりく也に、スミスが声をかけた。
「客?」
「兄貴だって言ってた」
スミスの答えはりく也の予想外の、それも思ってもみないものだった。
「さく也?」
だから半信半疑で聞き返す。
「や、名前は聞いてない」