愛シテル
口元はへの字になったが、笑んだ目は優しい。悦嗣とさく也の関係が良好であることがわかって、何だか英介は嬉しかった。いつもの最強と評されるものではなく、「にまにま」と言ったほうが似合う英介の笑顔に、悦嗣の目が訝しい表情に変わった。
「それで、さく也のどこに惚れたんだ?」
だからつい、聞いてみたくなる。悦嗣はあきれたように答えた。
「おまえまで、何、言ってんだ」
「だって、さく也と俺じゃタイプが違うもの」
古傷に触られて、彼はため息をついた。最初、悦嗣は英介の事が好きだったのだ。十年前、仙台音楽祭の帰りの新幹線で、疲れて眠っていた彼は、寝惚けて「おまえの事が好きだった」と英介に告げた。過去形で言われたので、想う相手が他に出来たのだと英介は悟った。そしてその相手が中原さく也なのではないかとも思ったことも覚えている。
「エツ!」
英介が更に突っ込もうとするより早く、ステージ上でユアンが悦嗣を呼んだ。調律のオーダーの変更か、話の蒸し返しか。後者の公算が高いが、ピアニストに呼ばれて行かないわけにはいかない。
「やれやれ、どいつもこいつも。今日は厄日か」
と仕方なく悦嗣は重いであろう腰を上げ、同時に英介にもついて来いと親指で示す。英介は肩を竦めてみせ、後に続いた。
そしてまた振り出しに戻る。ユアンが悦嗣に話かけ、英介が適当に通訳し、悦嗣が聞き流す。
ユアンの『恋に盲目的』な様子と、実は『さりげなく大恋愛中』なのではないかと思わせる悦嗣の後姿に、「また恋をするのも悪くないな」と英介は思った。脳裏に浮かぶ愛妻・小夜子がジロリと睨む。
――君とするに決まってるだろう
思わず声を出して苦笑した英介に、二人が同時に視線を寄こしたのは言うまでもない。