コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻
01
旦那様の名前は純一(じゅんいち)。奥様の名前は順子(じゅんこ)。墨須(すみす)純一・順子夫妻はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。かどうかは知りません。墨須夫妻についておれが知ってるのは、このふたりに間もなく破局が訪れるということだけです。
「来たな」
と班長――木村満(きむらみつる)巡査部長が言う。おれ達はバンの車内にいた。いつもの四人――このおれ宮本司(みやもとつかさ)と相棒の林零子(はやしれいこ)、それに班長とその相棒・佐久間(さくま)ひとみさんの四名で殺人課急襲隊木村班だ。
あともうひとり、五人目として今日はバンのドライバーも乗ってるが、横でおれ達と一緒になってモニター画像を覗き込んでる。興味シンシン期待ワクワク、『これでコーラとポップコーンがあれば最高なのに』っていう顔だ。
液晶タブレットモニターは二台。運転席と助手席の後ろにそれぞれベルトでくくりつけてあり、それが発している光や画面を見てるおれ達の顔が外からは見えないように、クルマの窓にはぜんぶ目隠しがされている。
モニターに映る画像はどちらも少し傾いていた。カメラはおれと零子とでさっき急いで仕掛けてきたものなんだからしょうがない。
映っているのは安アパートの外に張り出した細い通路。昭和の頃の建築だろう。ロクに借り手もいるまいに、よくまあ今どきこんなのが残っているなと思えるようなたたずまいだ。
しかし今、おれ達が見ているのはその画面ではなかった。ドライバーはアパートの部屋の中で起きてることに頭がパンパンになってるようだが、班長が見て『来たな』と言ったのはこのクルマのバックミラーだ。
おれ達の乗るバンの後方、1ブロックほど離れたところに、クルマが一台停まったのだ。それがドアの小さな鏡に映って見える。男がひとり、降りて道を歩き出すのも左右が逆の像として。
日本じゅう、どこにでもあるような住宅街。ありふれた平日の昼下がり。普通の勤め人ならば働いている時刻だが、その男はジーンズ姿で、手に新聞をたたんだものを持ってる以外は手ぶらだった。
その新聞も、たぶん競馬新聞か、街角フリーペーパーの類だろう。今どき電子配信でなく、紙の新聞を配達させているのなんて、老眼でどうせ小さな文字なんか読めないような昭和生まれの偏屈じいさんくらいじゃないか。
男はそんな歳には見えない……いや、年齢は、既に確認済みだった。墨須純一、二十八歳。
これが今回のマルタイ(殺害阻止対象者)だ。『これから人を殺す』との予知がされてる人物であり、おれ達がその前に――ただし、なんらかの犯罪事実を確かめたうえで――捕まえなければならない相手。もしくは、殺しが防げなそうなら、その前に仕留めなければならない標的。
純一は新聞を『持っている』と言うよりも、その新聞紙で『何かをくるんで』運んでいるようだった。芋やサンマや金太郎飴じゃ人を殺せないのだから、きっと包丁の類だろう。
そうして路地に入っていく。築六十年を超える昭和の古い住宅が建ち並んでいる区画だ。
「よし。手はずはわかっているな」
班長が小声で言った。
「マルタイはヤッパ(刃物)を持ってるようだが、〈銃刀法〉では捕まえない。部屋に入るのを待って、〈不法侵入〉でゲンタイ(現行犯逮捕)にする」
「はい」
おれ達も声をひそめて頷いた。念を押されるまでもない。そのために、おれと零子でさっきカメラを仕掛けてきたのだ。
ずっとなんの変化もなかったモニターに、純一が階段を上って写界に入ってくるのが映った。音声も拾っているし録音だってしているのだが、それはおれには聞こえない。ヘッドホンで聴いているのは零子と、それからバックアップ要員として就いてるバンのドライバーだけだ。
「林は残ってモニターを監視。マルタイが侵入したら合図で突っ込む。行くぞ!」
「おうっ!」
と、あくまでも小さな声で言ってから、おれ達はバンを降りたった。そのときちょうど近くを歩いてたおばあさんが、おれ達を見てギョッとした顔をする。
当然だろう。《POLICE》印のワッペンがベタベタ付いた突入服に編み上げブーツ、頭にローラースケート用みたいなヘルメット、眼に対刃ゴーグルまで付けた三人組が、ドア割り斧付きハンマーやショットガンを手にしていきなり、住宅街の道端に止まっていたバンから降りてくるのを見たら、悪い事をしてるやつならその場でショック死するかもしれない。おばあさんは別に麻薬の売人というわけではなさそうだが、しかしやっぱり腰を抜かしてそのまま死んでも無理のなさそうな歳に見える。
だがこの場合、もしそんなことになってもそれについての予知はされない。大丈夫かな、とおれはちょっと心配したが、しかしばあさん、すぐ懐(ふところ)からケータイを出して、おれ達に向けてパチリとやりやがった。
まったく近頃のババアときたら。若い頃から〈スマホ〉とかなんとかフォンと呼ばれた世代の携帯電話を使ってきてるんだからそりゃあ年季が違うよな。
路地に入ると、すぐに問題の安アパート。班長と佐久間さんが階段の下に張り付いた。
おれはひとり分かれて裏にまわり込む。アパートは二階建てだった。もう一階建て増したなら下の階が潰れてやっぱり二階建てってことになっちゃいそうな安普請だ。
問題の部屋の窓はさっきカメラを仕掛けたときに既に見定めてあった。場合によってはハシゴを使って登ったり、屋根からロープを伝って降りたりするが、今回はそんな必要もない。おれは出っ張りに足をかけ、指がかりを見つけて壁を登りにかかった。
『マルタイは風呂場の窓を開けました』
耳の通信機から零子の声が聞こえてくる。おれは雨樋や物干しを伝って上に登りながら、さっきカメラを仕掛けたときに見ておいた部屋の表のようすを思い起こしてみた。
確かに風呂場の窓は鍵が掛けられていなかった。しかしその窓には上に格子がしてあったはずだ。開けてもそこから中に入ることはできない。
『おっと、出たねえ』とうれしそうなドライバーの声。
『ちょっと、黙ってて』と零子の声。『ええと、マルタイは新聞に包んでいたものを取り出しました。包丁らしき刃物と、ネジ回しです。窓の格子を取り外しにかかりました』
なるほど、と思った。カメラを仕掛けておいたのは、墨須純一がどうやって部屋に入るのか知りたかったからなのだが、しかし、ネジ回しで格子が外れちまうとはあきれるほどの安普請だ――まあ大体、そんなところだろうと思ってもいたのだが。
やつはこれから数分後、アパート内に押し入って中の人間を刺すことになる。それは予知でわかっているが、わからないのが部屋への侵入方法だった。
殺人予知者が予(あらかじ)め〈瞼(まぶた)に視(み)る〉のは死ぬ人間が最後に見て感じることだけ――神の視点で事件のあらゆる状況をあらゆる角度で観察できるわけじゃない。だから殺される当人が、殺人者がどのように部屋に入って来たのかがわからないなら能力者にはわからない。
ゆえに今日、おれ達としては、マルタイ――墨須純一が、部屋に侵入するのを待って現場を押さえる必要があった。
作品名:コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻 作家名:島田信之