コート・イン・ジ・アクト
07
殺人課の隊員は、酒なんかあんまり飲んじゃいけないのだ。おれはビールを大ジョッキで注文すると、目の前に出てきたそれを半分ばかり一気に空けた。零子もグビグビやっている。おれと零子は、それでようやく人心地のついた顔を居酒屋のテーブル席で見せ合った。
あの銃撃から半日あまり。なんやかんやいろいろあって、ようやく解放されたところだ。
銃撃犯は見つかってない。何者かもわからない。どの部屋から撃ったのかがわかった程度だ。あまり使われてない物置部屋に火薬の匂いが立ち込めて、わざと残していったのだろう薬莢が散らばっていたという。
使われたのは狩猟用の三十口径。火薬の多いマグナムだ。見せてもらった薬莢は、穴を開けたらトランペットかサクソフォンになるんじゃないかと思うくらいの大きさがあった。
で、そこから、病院の中にまだあるはずの銃を探そうと犬まで使って匂いを追わせた――職員とはだいぶ揉めたそうだが――しかし、他の薬品の匂いにでも紛れたのか空振りに終わったという。ことによると犯人の方もそれを見越して、銃のケースに酢でもまぶしておいたなんて話もないことじゃあるまい。
おれと零子はほとんどずっと質問責めに遭ってただけだ。『一体なんで見舞いに来た』とか、『彼女と何をやってた』とか、『何、ホントか、それだけか。もっといろいろしたんじゃねえのか』とか。『あー羨ましいそんな役になってみてえもんだよな』とか。最後には掴み合いになりかけた。
そうして今はこの通り、ふたりでビール飲みながら、焼鳥とポテトサラダと揚げ出し豆腐がやって来るのを待っている。
零子が言う。「一体どういうことだと思う?」
「さあな。非番が台無しだ」
「とりあえず、ふたつに分けて考える必要があると思うの。ひとつは、ちゃんと狙って撃ったんだけど外れた場合」
「ヘタな野郎だ。まあ銃口が1ミリずれりゃ1メートル的(まと)を外すのが射撃だからな。一発目が外れりゃ後はメチャメチャさ」
「確かに可能性はあるわね。もうひとつは、もともと当てる気がなかった。脅しが目的の銃撃の場合」
「そりゃあ、なんのために」
「わかんないけど、おかしいじゃない。殺すつもりで狙撃なんかするやつがいる? 殺人予知がされるこの世の中で……」
「いくらでもいるんじゃないか」
「そりゃそうだけど、相手が相手よ。秋山さんは、もともと殺されるはずのところを救けられた人間だった」
「それがなんだ?」
「それに、あのときの状況よ。ツカサはあの時、彼女とイチャついていた」
「別にイチャついてなんかない」
「なんか引っかかるのよね」
「おれはイチャついてなんかないって」
「じゃなくてさあ。出来過ぎてると思わない? なんでツカサが一緒にいるとき襲われんのよ」
「誰か人が見ている前で撃ち殺したかったんじゃないのか」
「うーん」
とそこに、ポテトサラダがやって来たので議論はしばらく中断した。ついでにビールのお代わりを頼む。
「どっちにしても弾丸が当たることはなかったのよね。予知されていなかったんだから」
「うん」
と言った。殺しなら予知される。止められるのは、予知を知ったうえで行動できる者だけだ。おれ達は何も知らなかった。だから未来は変えられない。あの銃撃で彼女が死ぬことになっていたなら、止めることはできなかった。
あの場でああなることは、予(あらかじ)め定められていたわけだ。彼女はおれがいたことで命が助かったのかもしれないし、犯人に当てるつもりがなかったのかもしれない。とにかく人が死ぬことは最初から有り得なかった。
ではもし『彼女が殺される』との予知があったものとして、チームが駆けつけたとしよう。それでどうなるかってのは、殺人予知者にもわからない。本来の時間の流れと違うことには、予知が利かなくなってしまうのだ。
犯人を撃ち殺したり、隊員が返り討ちになって死ぬのもまた〈殺人〉だが、それを予め知ることはない。被害者を救出できるかどうかも最後までわからない。時間の乱れが落ち着いてまた予知できるようになるまで二時間の時間がかかる。
零子が言う。「じゃあもし殺す気だったとして、どんな動機が考えられる?」
「さて、口封じかな。裁判で証言させないためとか」
「無意味でしょう。証拠は歴然としてるもの。平山は何をどうしても有罪よ」
「じゃあ、逆恨み。『元はと言えば全部あの女が悪い』ってんで、よくある話だ。ヒマラヤ雪男は拘置所だからな。代わりにあれの親かなんかが……」
「殺し屋雇って狙撃させた?」
「うーん」と言った。「ありそうもねえなあ」
揚げ出し豆腐が来た。また議論はしばらく中断。
それから零子が、
「実はツカサが狙いだった……ってことはないと思うのよ。ホシ(犯人)はあの病院の中をよく知ってる人間よ。狙撃に都合のいい部屋を知ってて、銃を隠して立ち去った。ホシは病院の関係者か、あるいは手引きをした人間が病院の内部にいるとしか考えられない」
「うん」
と言った。それはデカ(刑事)さん達も言ってた。犯行時刻に持ち場を離れた者がいないかを中心に、関係者を調べ始めているという。そしてそれが、難しい仕事になりそうだとも。
職員は常勤非常勤合わせてウジャウジャいるし、勤務スケジュールなどあってないような人間ばかり。医師・看護師・薬剤師といった他に、聞いたこともないような職種の者がゾロゾロしてる。そしてみんなが仕事に追われ、さっき何を食べたかすらも覚えていない。
それとは逆にヒマそうな入院患者とその見舞い人が迷宮探検とシャレ込んでいて、十年住んで主(ヌシ)と化してる者なんか、職員よりよっぽど詳しかったりする。一体どこから手をつけたらいいのやら――。
なんてなことを言っていた。しかしデカの仕事なんて、殺人課のおれ達には関係ない。
「だからさ、ちょうど手が空(す)いたんで撃ち殺してやろうとしたらおれがいたんじゃないのかな。そいつとしては他に都合のいい時間がなかったんだよ」
「なんでそこまで忙しい人が狙撃なんか考えるのよ」
「うーん……いや、わからんぞ。やっぱ人間、忙し過ぎると頭おかしくなるからな。ここは一発、人でも殺そうと思ってさ。息抜きのつもりだったとか」
店員が来た。「焼鳥お待たせしましたあ」
「おっと」
「他にご注文ありませんか?」
「えっと、じゃあ、それからね」おれはいくつか注文した。「で、なんの話だっけ」
見ると零子の顔に、《なんでアタシはこんな脳ミソ筋肉の相棒なんだ》と書いてあるのが読み取れた。
作品名:コート・イン・ジ・アクト 作家名:島田信之