キミガ、イナイ。
キミガ、イナイ。
天川さく
連絡がなくなって丸一日。さすがに登校はしているだろうと教室をのぞいたけれど、紗江の姿はなかった。
「無断欠席?」
「珍しいよな。弘輝にも連絡がないのか?」
好奇心に満ちたクラスメイトの瞳を、ああまあな、とやりすごしスマホを見る。返信も既読サインもない。どこで何をしているんだ? 気にさわることをぼくは口走ったかな?
「身に覚えのないことを思い出せっていうのは」
無茶だよ、と胸で続ける。
ひょっとして、とひやりとした思いが押しよせる。何か事件にまきこまれてる? 事故とか?
これは──彼氏たるもの、教室で悠長に構えている場合じゃない?
指先がつめたくなる。いつもは気にならない女子の噂話も耳に飛び込む。
「だってそれ、カフェなんでしょ?」
「白塗りの壁にグレーがかった木の扉なんだって」
「ああいいじゃん。かわいいじゃん」
「何時間いてもよくて、めちゃくちゃカワイイ雑貨とかもあってお茶とかもおいしくて」
「サイコーじゃん。場所どこ? いこうよ」
「住所まではわかんない。でもね。そのカフェに入った人は──別人みたいになるんだって」
「なにそれ。こわっ」
茶化すような笑い声。それが教室に入ってきた教師の声に重なって消える。
やがて板書をするチョークの音が教室に広がり、ぼくはあきらめて机に頬杖をつく。
黒く重くもやもやとした気持ちで吐きそうだ。
だって、と思う。
告白してくれたのは紗江なのに。
ぼくはずっと朋子先輩を見ていて、隙あらば朋子先輩に話しかけ、朋子先輩が大好きなペンギンのネタをあさってばかりで。紗江だって一年のころはぼくと一緒に朋子先輩にくっついてばかりで。
けれど、と視線を伏せる。
覚えてる。
二年の春だ。同じクラスになってから。紗江は朋子先輩を見なくなった。
かわりに──ぼくを見はじめた。
なんでだよって思った。
お前、ぼくは朋子先輩が好きだってこと知ってんじゃん。なんでぼくを見るんだよ。ぼくにどうしろっていうんだよ。なんで受験勉強で必死の朋子先輩を元気づけようとペンギンの絵葉書を買いに行くぼくについてくるんだよ。
なんで──ぼくが朋子先輩を見るのに疲れたタイミングで告白するんだよ。
いいよ、っていっちゃうだろ。そのあとめちゃくちゃ優しくしちゃうだろ? 彼氏として目いっぱい二人の時間を楽しもうとするだろ?
それとも振って欲しかったの?
カツッ、とチョークが折れる音がして我にかえる。教室にアラームが響いていた。校内放送じゃない。クラス中のスマホから。
Jアラートだった。
ミサイルではなく地震の警報。
教師も青い顔をしてまくしたてる。
「姿勢を低くして。速やかに窓から離れて。揺れがおさまるまでその場で待機。余震があるかもしれないから。とにかく頭を守ってっ」
その言葉が終わらないうちに揺れがきた。
突きあげるように鋭く、それから大きく横に揺れる。体験したことのない大きさに息をのむ。パリンと窓ガラスが割れる音がして女子の悲鳴が聞こえて。
朋子先輩だったら、ととっさに思った。
ほら起きたね、ときっと満面の笑みだろう。
だってあの人、地震とか火山噴火とかに目がないし。ペンギン以上に大好物だから。
もっともこのアラートもいきなりじゃない。
この数カ月は繰り返し「気をつけろ」と警告されていた。ホームルームだけじゃない。テレビでもラジオでも。ネットニュースはそれ一色だ。
あまりのしつこさに「大げさだなあ」とぼくが笑うと朋子先輩は「プレートテクトニクス、習ったでしょ」と大真面目な顔をした。
「地殻変動の可能性はいつだってあるし。最近活発なんだから」と続けた。
「報道されていないだけで、南米チリあたりで結構な地震が起きてるし。火山噴火なんて赤道周辺だけじゃなくて、アラスカとかでもハデなんだから」
あのときぼくの隣で朋子先輩の話を聞いていた紗江。
彼女はどんな顔をしていたっけ。朋子先輩の言葉にうなずいた? それとも?
そこまで思って顔がこわばった。
「校庭に避難だっ」
教師が声を張りあげてみんなが立ちあがる。つられてぼくも立ちあがるけれど気持ちはそれどころではない。
え? どういうこと?
なんでぼくは紗江の表情を思い出せない? 一緒にいたじゃん?
足がしだいに重くなり、ぼくはそっと列から離れた。余震で揺れる校舎の外壁に手をそえる。揺れなんてぜんぜん気にならない。ぼくの気持ちのほうがもっと揺れてる。
ちょっと待てよ。どういうことだよ。だって、それじゃあ。まるで。ぼくはずっと朋子先輩ばっかり見てたってことで。そりゃ紗江とつきあう前ならそうだろうけど。だけど。
額に手を当てる。
紗江とつきあってからもぼくは朋子先輩を見てた?
無意識に?
拳をにぎる。
「なんだよそれ。サイテーじゃん」
そんでもって紗江に目いっぱい優しくしてた? 紗江が喜ぶようにあちこち出かけて。クリスマスも楽しんで。
楽しい? 顔がゆがむ。
「そんなの楽しくもなんともないじゃんよ」
どん、と地面が揺れた。制服のポケットでスマホがけたたましくアラームを出す。まぬけにもこりもせず朋子先輩の声を思い出す。
「地殻変動だよ。ただの地震じゃないから。一度で終わらないから。南海トラフだけじゃすまないし。報道? するわけないよね。暴動になるよね」
だから、と。そこまで思って顔をあげる。