黒いチューリップ 13
娑婆に出たら、まず格闘技を本格的に習う。女子プロレスに入門しよう。あたしのラリアットに磨きを掛けたかった。
きっとプロレスラーとして世界チャンピオンになれるだろう。もしかしたら女子プロレスに限らないで、男の団体でも十分にやっていけるかもしれない。あのスタン・ハンセンと互角に戦える自信があった。
リング・ネームはどうする。小池和美じゃ、迫力がない。アントニオ猪木の由来はアントニオ・ロッカだ。じゃあ、プロレスの神様と称えられるカール・ゴッチにちなんでカール小池なんてどうだろう。
……いや、ダメだな。どこかのスナック菓子と間違えられそう。
これは、じっくり考えるべきだ。下手なリング・ネームをつければ笑い者になる恐れがあった。時間をかけて慎重に選ばないといけない。
goodなリング・ネームが決まれば実力はあるのだから、きっと人気者だ。雑誌の取材、インタビュー、テレビのコマーシャル、どんどん高収入のオファーがやってくる。セレブだ。テレビ朝日の﹃徹子の部屋﹄に呼ばれちゃったりして、超有名人の仲間入り。君津南中学校からも講演依頼が来て地元に凱旋。女子少年院へ送られた生徒が、その後の努力で大成功を掴む。あたしの話に誰もが拍手喝采。そうだ、その時はサングラスをして真っ赤なメルセデス・ベンツで行ってやろう。
準備が整ったところで古賀千秋に連絡する。再会しても、女子少年院に入れられた恨みは一切口にしない。これまで通り下手に出てやるつもりだ。近況を聞きながら、いつどこで待ち伏せすればいいかを探る。夜に人気のない通りで後ろから襲う計画だ。警察に捕まりたくないし、千秋にも顔を見られたくなかった。付き合いは続けたい。
まずラリアットで気を失わせよう。そしてカミソリを二枚刃にして、あの女の顔にCKのイニシャルを描いてやる。二枚刃にするのは病院で皮膚の縫い合わせを難しくさせる為だ。顔の傷は太く、ハッキリと残したい。みんなが目を背けるように不気味に仕上げる。誰もが古賀千秋と目を合わせて話をしなくなるのだ。
CKは、あいつの名前とは別の意味がある。
中学二年の夏休みだった。古賀千秋はカルバン・クラインのTシャツを着て待ち合わせ場所に現れた。「これって、あたしと同じイニシャルなんだ」と言う。その後も何度も「今,流行っているの」と自慢するので、こっちも相槌を打つつもりで「カッコいいね」と言葉を返す。すると透かさず、「じゃあ、売ってあげてもいい。あたしには少し大きめだから」と、無理やり四千円で買わされた。
数日後にルピタで同じTシャツを着た山田道子と遭遇する。「しまむらで二千円で見つけた」と聞かされた時はショックだった。お前が、売った金で白と黒の二枚のTシャツを手に入れたと知ったのも間もなくだ。でも何も言えない。文句を言えば友達でなくなる恐れがあった。自分の居場所、自分の存在が脅かされるのだ。
奢らされるのは毎度のこと。一緒にマクドナルドへ行けば支払いは、いつも自分だ。嫌われたくないから金を出す。でも有難うの言葉は聞かない。あいつがしてくれた事と言ったら、篠原麗子から貰ったサラミを食べきれないからと一つ分けてくれただけだ。それも賞味期限の切れたやつを。何かに何度も何度も擦られたみたいで、包装してあるビニールの色は褪せて商品名すら消えかかっていた。どうしてだろう。太くて固くて長いから食べ難いし、全然おいしくなかった。
その積もり積もったツケを支払わせてやろうじゃないか。
お前の顔にCKの文字を刻み込む。それでカルバン・クラインのTシャツを着て君津の街を歩いてもらいたい。顔にも胸にもCKの文字だ。これって究極のお洒落じゃないだろうか。
もう満足な仕事には就けないのは明らか。そこで付き人として、あたしが雇ってやるんだ。散々こき使ってやるよ。『徹子の部屋』では、生活苦の同窓生を雇って世話していると美談を披露しよう。それで人気はウナギ登りだ。女スタン・ハンセンとして、小池和美の想像は果てしなく膨らんでいく。君津南中学では書記でしかなかった少女が、地位と名声そして富を得るのだ。サクセス・ストーリー。
あ、そうだ。気が変わった。転校生に貰ったメガネは掛けることにしなきゃ。知らない奴は、見てバカする。そこが狙い目だ。ラリアットで思い知らせてやる。身につけたプロレス技が出所するまで錆びないように時々は使わないといけないことに気づく。
待ってなよ、古賀千秋。
93
はあ、はあ……あ、……。あうっ、……い、いや。
いやらしい男の舌が太股からじわじわと上がってきて敏感な部分を舐めるたびに、篠原麗子の口からは甘い喘ぎ声が漏れた。
はあ、はあ……いや、……お願い、許して。
どんどん高まりへと追い詰められていく。お気に入りの赤いチューリップ柄のベッドシーツは、身をくねらしているうちにしわくちゃになっていた。左右に振っていた首が無意識に後ろに仰け反る。あ、……あう。
また恥ずかしい狂態を義理の父親だった男に晒してしまうことになりそうだ。いや、あ、……あ、許し――。
あ、いやっ。
途端に愛撫が止まった。な、……なんで? 深い失望感が麗子を包む。
「ねえ、一休みしようか」
麗子の太股の間に顔を埋めていた中年男が布団から這い出てきて言った。夜の暗がりの中でも、そいつの太って弛んだ醜い体は隠しようがない。首から下は男なのか女なのか分からないほどだ。こんな不細工な奴に愛撫されて自分は感じている。いいや、それだけじゃない。こいつに女の喜びを教えられたんだ。そう思うと麗子は情けなかった。どうして波多野くんじゃないのよ。
はあ、はあ、……はあ。
しばらくは何も言えない。呼吸が整うまで時間が掛かる。返事をする代わりに麗子は布団をはいで片方の脚を高く上げると、その膝を大きく曲げた。こんな格好をすれば陰毛が生えた淫らなところが丸出しになるのは分かっている。思った通りで、男の視線が自分の下腹部に釘付けだ。その隙を突いて奴の肩を思いっきり蹴ってやった。
半年前に母親と離婚した男はベッドから転げ落ちた。両手は後ろで固定されているので床に直撃だ。
「い、痛いっ。な、何をするんだ」
麗子は上体を起こすと床に転がった男を見下ろした。「誰が休んでいいって言ったの?」
「そ、そんな……麗子ちゃん」
「せっかく、いいところだったのに。早く上がってきて続けな」
「待ってくれ。もう、たっぷりサービスしたじゃないか。それに麗子ちゃんが、いや、いやって言う――」
「ばかっ。あたしの口癖じゃないの、知っているくせに。トボけるんじゃないよ、まったく。ほら、まだ二時間ぐらいしか経っていないじゃないの。あたしが満足するまでは休んじゃダメよ」
「勘弁してくれよ。もう前みたいな体力はオレにない。いくら土曜日の夜でも朝までなんて無理だ。それにノドがカラカラに渇いている。舌だってヒリヒリして痛いし、アゴもシビれて感覚が無くなってきているんだ。頼むから少しだけ休ませてくれ。そしたらまた続けるから、な?」
「だめ。早くしないと大声出して騒ぐわよ」
「そんな……」
作品名:黒いチューリップ 13 作家名:城山晴彦