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黒いチューリップ 13

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 君津南中学校の三年A組の生徒全員が、体育の授業で校庭に集まっていた。男子も女子もサッカーの予定だったが、担当する森山先生が職員室からなかなか出てこない。生徒たちは暇を持て余し、お喋りをしたり、ふざけ合ったりしていた。こりゃ、いい。休み時間の延長だ、そんな気分だった。
 しばらくして校舎の方から体育の教師が、二人の灰色のスーツを着た男を連れて歩いて来るのを認めると、生徒たちの喋り声は次第に消えた。明らかに場違いな感じのする男二人だ。いつも朗らかな森山先生の顔に浮かぶ緊張した表情。生徒たちは異様な雰囲気を感じ取った。
 側まで来ると体育教師は立ち止まって、一人の男子生徒を指差した。二人の男が、その生徒に近づく。体操着姿ではなくて学生服のままの秋山聡史だった。体調不良を訴えて見学者リストに入っていた。回りにいた生徒が自分は関係ないという感じで一斉に身を引くと、そこに黒いスーツの男二人と秋山聡史だけの空間が出来上がった。何が始まるのか生徒たちは固唾を呑んで見守る。いい事じゃないことは間違いなさそうだった。何か大それた悪いことであって欲しいという期待感。その目撃者になれるかもしれないという幸運。他のクラスにいる友達に自慢気に話せるという優越感。全員が一言も発しないでショーが始まるのを待った。
 「秋山聡史くんだね」
「……」声を掛けられた生徒は訝しげに頷く。
「警察の者だけど――」
「い、いやだっ」
 背広の内ポケットから黒い手帳を出して、男が口にした警察という言葉が耳に届くと生徒たちに衝撃が走った。一瞬の静寂。「え、何だって?」聞こえなかった生徒が他の生徒に問う声が上がる。
 「警察だってさ」
「え、マジで?」
「うん、そう聞こえた」
「警察だって」
「警察だってよ」
「警察らしいぜ」あちこちで同じ言葉が繰り返される。当事者の秋山聡史にしては、相手に最後まで言わせない。後退りして拒否の言葉を張り上げた。
「ちょっと、話を聞かせ――」警察官が続ける。
「いやだっ、いやだっ」
「落ち着こう、秋山く――」
「火、火はつけたけど……、く、黒川くんに言われて﹃祈りの会﹄には出ました。そこで、ちゃんと祈りました。だ、だから……、警察には捕まりません。警察には行かない、絶対に。いやだーっ」そう言うなり逃げ出した。
 慌てて追いかける警察官二人。「待ちなさい」
 秋山聡史は大声で怒鳴りながら校舎の中へと消えた。「いやだーっ」体調不良のはずなのに足は速く、小柄ですばしっこい。姿を隠してしまう。自殺する可能性も否定できない。すぐに身柄を確保する必要があった。教職員も総出で逮捕に協力するしかない。警察官は署に応援を求めた。突然すべての授業が中止。全校生徒は教室で待機、各自で自習することに。トイレに行くのも制限された。何人もの警察官が廊下を駆けて行く。一体何が起きているのか。騒々しくて教科書なんか、とても手につかない。外に首を出して校庭に集まっている三年A組の連中から何かを聞き出そうとする生徒。窓を閉めなさいと手振りで指示を出す体育教師を完全に無視。こういう状況では情報を持っている者が人気者になれる。
 「誰かが警察に逮捕されるらしいぜ」三年A組に仲のいい友達がいたB組の男子生徒が、経緯を聞いて教室で待機する生徒たちに告げた。
「え、何で?」クラスでリーダー的存在の生徒が訊く。
「たぶん万引きじゃねえの」
「万引きした程度で何人もの警察官が学校に押し寄せるかな」
「そうだな。じゃあ、テロか」
「生徒の中にアルカイダの戦闘員がいたってことかよ、まさか」
「きっとイスラム原理主義者が三年A組の中に潜んでいたんだぜ」
「あのクラスにアラビア系の顔つきっていたか? 待てよ、北朝鮮の工作員ていう可能性は考えられなくないか」
「有り得るな。だけどさ、こんなところで破壊活動って何かしょぼくねえか? たかが田舎の中学校だぜ」
「そこが狙い目なのさ。盲点を突いているっていうか」
「なるほど」
「ところで逃げてるのは誰なんだ?」他の生徒が訊いてくる。
「山岸じゃないかな。あのグループの誰かだぜ、きっと」
「違う。奴らは校庭にいるぜ。よく見ろよ」
「あ、本当だ。じゃあ、分からねえな。誰だろう、テロを計画してた奴なんて」
「ひょっとして高木教頭だったりして」
「え、あのハゲが? がっはは。笑えるぜ。だから好きだよ、お前って」
 君津南中学校は大混乱になった。
 秋山聡史が一人で家に戻ることも考えられたので、自宅の前には一台のパトカーが派遣された。
 父親は夜勤明けの休日で朝から酒を飲んでいた。ここ数日間はクレーンの重心が取れていないまま荷を吊ったとか、フォークリフトの爪が狭いまま長尺物の荷を運んだとか、口うるさいリーダーから注意されることが多くて気分は最悪だった。今朝は今朝で女房がスーパー富分のパートを休んでパチンコの新装開店に行った結果として、今月分の家賃が払えそうにないことを知って苛立ちは更に募った。これ以上はサラ金から借りられそうもない。浴びるように酒を飲んで現実から逃避することしか思いつかなかった。そこへ二人の警察官が現れて、息子が中学校で何か大変なことをしでかしたと伝えられると、とうとう堪忍袋の緒は切れた。おもむろに皮のベルトを手に取ると、横にいた女房に向けて勢いよく振り下ろす。
 「いいか。てめえの教育の仕方が間違っているから、こんなことになるんだ」
「い、痛いっ」妻は腰を落とし、肩を手で押さえた。
「あっ、ご主人。止めて下さい。暴力は――」慌てる警察官。
「畜生っ、やりやがったな。このヘボ亭主」妻は立ち上がった。
 父親の暴力を止めようとした警察官だったが、反撃に出た妻が投げた灰皿を側頭部に受けてしまう。「あっ」耳が裂傷を負って鮮血が噴出す。痛みに屈みこむと、そこに皮のベルトが飛んでくる。もはや泥酔いした父親は相手の判別がつかないらしい。目の前にいる者すべてが敵だった。真っ赤な返り血に興奮して我を忘れる。無我夢中で皮のベルトを叩きつけた。「いいか、よく聞け。指紋認証の時間が一分、二分早くてガタガタ言うんじゃねえ。そもそも終業ベルとタイム・レコーダーの時間が一致してないからダメなんだろうが。お前ら、みんなしてオレを悪者にしようって気なんだ」意味不明な言葉を口にしながら皮のベルトを振り回し続けた。「あれ、この虫は何だ? おい、見ろ。部屋が虫だらけじゃねえか。畜生っ。お前が掃除しねえから、こんな――」
 もう一人の警察官がパトカーの無線を使って君津署に応援を求めた。家の前には近所の人たちが集まって、中から聞こえてくる騒ぎの音に耳をそばだてていた。窓ガラスが割れる音、家具が壊れる音、罵倒と悲鳴。「ご主人、落ち着いて下さい。どこにも虫なんかいないでしょう。これ以上騒ぐと逮捕しますよ」
 「うるせいっ。今月の家賃をどうすりゃいいんだ、バカ野郎」
「奥さん、お願いですから何か服を着て下さい。今は、そんな事をする場合じゃ――う、痛てっ」
 耳に飛び込んできた警察官の最後の言葉に集まった人たちは思わず、お互いの顔を見てしまう。ねえ、今の聞いた? 一体、何が起きているのかしら。ああ、見てみたい。想像するだけなんてもどかしい。
作品名:黒いチューリップ 13 作家名:城山晴彦