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黒いチューリップ 12

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 いつからそこに突っ立ってんだろうか。つい、さっきまではいなかったのに。階段から降りてくる一人ひとりに注意してたはずなんだが気づかなかった。まったく幽霊みたいに――。
 ……おい、嘘だろ。
 戦慄を覚えた。その中年の女が、じっとこっちを見ていることに気づいたからだ。何で? どうして? 失礼なババアだな。お前とオレとじゃ身分が――。や、やばい。鳥肌が立ってきた。中年女の視線を浴びて少年は不安に駆られ始めた。
 友達の母親にあんなのがいたか? いや、覚えがない。それに、もしそうだとしても、あんな表情でオレを見たりするもんか。こんなことは生まれて始めてだ。オレを見るなっ、見るんじゃない。
 逆に睨み付けてやった。この野郎、オレ様から視線を外――。でも中年の女は見るのを止めない。
 呼吸が荒くなっていく。怖い。頼むから、オレを見るのを止めてくれないか。少年も中年女から目が離せない。あっ。その女の口元が僅かに動く。な、何か言う。
 「拓磨っ」女が呼んだ。
 えっ、なに。……タクマ、だって? バカヤロー。オレは、そんな名前じゃないぜ。人違いじゃ――いや、女は確かにオレに声を掛けた。このオレが誰なのか、ハッキリと知っている自信が窺える。なぜだ。
 「行くよ」
 それだけ言うと女は振り返り、改札口へと続く駅の階段を上がっていく。すぐに姿が見えなくなった。
 少年は汗びっしょりだ。もう中年女はいない。助かった思いだった。
 あっ、……そうだ。
 去年の十月ごろだった、同じようなことが起きたじゃないか。そのときは、これほど慌てはしなかったけど……。
 久しぶりにドクター・ペッパーでも飲もうかと、家の近くにある自動販売機の前で自転車を降りたところだった。「ねえ、君」そこで父親と同じ年ぐらいの男に声を掛けられたのだ。
 「五井駅の近くにあるラオックスに行きたいんだけど、道が分からないんだ。教えてくれるかい?」
 ウソだろ、おじさん。オレと話をする口実にすぎない、と分かっていた。なぜなら、その男の姿はすでに二回ほど見ていたからだ。学校からの帰り道と公園で友達とサッカーをしている時だった。距離を取って遠くからオレを観察している様子が窺えた。この日は、とうとう話し掛けてきた。案の定だ、こっちが道順を説明しても上の空でしか聞いていない。
 それどころか、「この辺にキミは住んでいるのかい?」とか「今は何年生なんだい?」、「どこの学校に行っているのかな?」とか全くラオックスに関係のない事ばかり聞いてくる。
 変なオヤジだなあ、と思ったが付き合ってやることにした。態度からオレと仲良くしたがっていることが明らかに分かるからだ。悪いヤツじゃなさそうだし。
 「実はさ、お昼を食べていなくて、お腹を空かしているんだ。良かったら、どうだろう。一緒に食事をしてくれないか?」と言われると素直に応じた。どうしてだか分からないが強い親近感を覚えていた。この人と一緒にいたいと感じていた。 
 「いいよ。だったら、この近くにデニーズがあるんだけど、そこへ行かない?」と言うと、知らないオジさんは満面の笑みを浮かべた。
 しかし、この人の言う事は全部がウソみたいだ。『お腹を空かしているんだ』って言わなかったっけ? スパゲッティを注文したくせに、ほとんど食べない。反対に「もっとフルーツ・パフェは欲しくないかい? アイスクリームはどうだい?」とか、どんどんオレに食べさせようとする。
 時々コーヒーを飲みながら、ずっとこっちを見ていた。不思議なのは左の耳の傷を嬉しそうに見ていることだ。ほとんどの人たちが意識的に見ることを避けるのに。
 そして気になる一言を口にする、「そっくりだ」と。すぐにオレは反応した。「え? どういうこと」
「あっ、すまなかった。忘れてくれ、別に何でもないんだ。ごめんよ」
「……」その否定の仕方は、何か意味があるというふうにしか受け取れなかった。
 ひょっとしたら、この人はオレの正体を知っているのかもしれない、と思い始めた。『そっくりだ』って、一体このオレが誰にそっくりなんだ? 教えてくれ。両親と姉に全く似ていないのは、どうしてなんだ。それに、ずっと周囲の人間と自分は何か違うと感じていた。それらの疑問に答えてくれそうな気がした。バナナ・パフェを食べながら待った。でも世間話をするだけで、聞きたい事は何も教えてくれなかった。一時間ほどしてデニーズを出たが、苦しいぐらいに腹いっぱいになっただけだった。
 「オジさん,ありがとう。すごく美味しかったよ」お礼を言って自転車に跨った。返事はない。愛情に溢れた笑顔を見せて頷くだけだった。
 少年は相手の名残惜しそうな態度から、この人とは二度と会えないことを悟った。交差点を曲がる時に後ろを振り返ったが、もう姿はない。オジさんが帰りにラオックスに寄ったとも思えなかった。
 それから半年が経って、今度は野暮ったい中年女が現れてオレを惑わす。
 だけど……だけど、行くよって、どういう意味だ。勝手に行けって。さっさと行ってくれ。オレに構うな。まったく、わけが分からない。呼吸を整えようと深く息を吸う。早く落ち着きたかった。
 父親が帰ってくるのを待たないと。
 どうする、……どうしよう。何事もなかったように、また父親の姿が現れるのを待ち続けていいものか、疑問が浮かぶ。
 オレってタクマなのか? いや、……まさか。
 えっ、もしかして――。
 その時、不意に気がつく。半年前にデニーズで一緒に食事をしたオジさんは、産まれたばかりの新生児室で隣に寝ていた赤ん坊を殺した父親と同じ人物じゃないのか? 「ああーっ」 
 人が行き交う五井駅の前なのに無意識に声が出てしまう。きっとそうだ。十四年も経って会いに来たんだ。この事実に少年は背筋が震えるほど衝撃を覚えた。どうしてなんだ? 赤ん坊を殺した理由はオレに関係があるのか? たぶん、……いや、きっと、そうらしい。何かの運命に導かれていると確信した。
 無視できそうにない。
 あの野暮ったい中年女に声を掛けられたことで、少年の中で何かが崩れ去った。生まれてから今まで築き上げた様々な事が無意味に感じてきた。学校の成績も、周囲の評判も、始めたばかりのビジネスですらどうでもよくなった。
 オレはオレじゃなかったらしい。ずっと自分は周囲の連中とは違うと不思議に感じてきたが、その答えが見つかろうとしているようだ。 
 父親を引き止めないで、まっすぐ家に帰せば大変なことになる。自分の愛する女房が床屋のオヤジに裸を縛られて弄ばれているのを目にすることになるんだから。息が止まるほど父親は驚くはずだ。明日の出張はキャンセルかもしれないな。期待を掛けた息子が黙って姿を消したら、もう立ち直れない可能性が強い。それに追い討ちを掛けるように、たぶん一ヶ月もしないで愛娘の妊娠が明らかになる。姉は双子を身籠っているんだった。
 出来ることなら家庭の崩壊を自分の目で見て楽しみたい。絶望に打ちひしがれて、苦悩する父親の姿を知らずに立ち去るのは辛かった。問い詰められ、責められて母親が苦しむ様子も見たかった。
 決心した。
作品名:黒いチューリップ 12 作家名:城山晴彦