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黒いチューリップ 12

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 一人じゃ、とても無理。他の生徒たちも操られているんだし。そう思ったが、加納久美子は立ち止まって成り行きを見るしかなかった。

   77

 まったく、なんてこった。
 畜生っ。どいつも、こいつも。高木教頭には恐怖心など全く無かった。ただ怒りだけだ。何年か前に何かと面倒を見てやった後輩に裏切られた苦い思い出が蘇ってきた。
 隣の町で女子中学生の制服を盗んで、何を思ったか、それを着込み、スカート姿で自動車を運転して警察に捕まった馬鹿野郎だ。
 飲酒取締りの検問に気づいて急いでUターンをしたところが、逆に注意を引いてしまう。当たり前だろう、バカ。近くにあった空き地に車を停めて、着ていたセーラー服を脱ごうとするが、きつ過ぎてなかなか脱げない。飲酒運転だと思って追ってきた警察官は、どれほど目にした光景に驚いたことか。いい大人が女子中学生の制服を着たまま夜のドライブと洒落込んでいたのだから。
 いとも簡単にバカは白状したらしい。翌朝、学校に電話を掛けて、「警察に捕まったので休みます」と告げる。その後の職員室は大騒ぎだった。電話を取った女の事務員と女教師たちが、あれやこれやと、どんどん話を勝手に大きくしていく。仲が良かったと見なされた自分は質問攻めだ。何も悪い事はしていないのに、本人がいないから犯人扱いだった。
 罪状が明らかになると、自分も同じような趣味があるんじゃないかと、多くの人達から疑われた。とくに警察からの追求は厳しかった。干してある女性の下着や服を盗む破廉恥な連中と同類と見なされたのだ。
 「彼には親切にはしてやったが、そんな事をやっているなんて、まさか知らなかった。自分は無関係だ」
 しかし何を言っても信じてもらえず、こっちが必死に弁明するほど刑事は確信を強めていく。辛くて涙が出た。
 証拠が無いので警察からは釈放されたが世間の目は冷たかった。疑われただけなのに、もはや性犯罪者扱いだ。後輩に親切にしたばっかりに、恥かしくて悔しい思いを何年も味わった。なかなか教頭にさせてもらえなかったのは、きっとその所為に違いなかった。
 やっと事件の記憶が薄れた今、今度は生徒だ。君津南中学に、また汚点が一つ増えてしまう。
 黒川拓磨、こいつは優秀な生徒だ。もう意外とは思わない。セーラー服を盗んだ奴も国立の千葉大学を卒業していた。
 ふざけんなっ。性犯罪者は人間なんかじゃない。オレが懲らしめてやる。生徒だろうが何だろうが関係ない。それにだ、この小僧には株で大損させられていた。叩きのめしてやる。オレが味わった恥かしい思いと、大金を無くした喪失感の鬱憤を、ここで晴らしてやろう。
 高木の血液中のアドレナリン濃度が、今や最高値に達しようとしていた。
 いいか、このクソ小僧。このオレをただの教師と思ったら、大きな代償を支払うことになるぞ。そこらのひ弱な連中とは違うんだ。
 杉八小学校六年の頃に流行ったプロレスごっこでは、いつだって鉄人ルー・テーズの役だった。誰にも文句は言わせなかった。キーロックから四の字固め、スリーパーホールドやコブラツイストなど多彩な技を持ち、その掛け方は仲間で一番早かったのだ。その輝かしいテクニシャンぶりは今でも健在だ。
 だが、このクソ生意気な黒川拓磨にプロレス技をお見舞いする気はなかった。まどろっこしい。こいつには5階級制覇を成し遂げた脅威のボクサー、シュガー・レイ・レナードがするような、スーパー・エクスプレスと呼ばれた集中連打を浴びせてやりたい。ボコボコにしてやろう。
 「犯されそうになった加納先生を守るために必死でした」
 教師が生徒を袋叩きにすれば当然だが非難の声が上がる。釈明の言葉はこれだ。
 この野郎、股間をオッ立てたまま平然と歩いて来やがる。やはりバカなのか、お前も。いいだろう。まず、その顔面に必殺の右ストレートを食らわせてやる。
 上手いことに、オレの方を全く見ていなかった。完全に油断している。その視線は加納先生に注がれたままだ。彼女は、お前なんかが手の届く存在じゃない。ませたガキだ。
 射程距離に入った。下半身を露出した生徒は、まさか学校の教師が暴力を振るうとは思ってもいない様子だ。加納先生と一発ヤることしか頭にないのか、この色狂いの中学生が。よしっ。オレが目を覚まさせてやろうじゃないか。 
 高木教頭は身構えた。上半身の筋肉に力が入った。
 
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 「……」加納先生、早く出てくれ。
 片手で携帯電話を持ちながらも、波多野刑事は馬乗りになって凶暴になった息子を押さえつけていた。しかし殴られたり、蹴られたり、噛み付かれたりして、こっちの方がダメージは酷い。着ていたアメリカン・イーグルのポロシャツはボロボロで、あちこち血が滲んでいた。防御するだけで攻撃は出来ない戦いだが、やってられるのは警察に入って習得した格闘技のおかげだ。だが苦しい。左の肩がズキンズキンと痛む。もう、いつまで耐えられるか分からなくなってきていた。若いだけに息子の力は無尽蔵だ。こっちは限界を感じ始めていた。
 今は片手しか自由に使えない。息子が息を切らしているので少しの間はあるはずだ。加納先生と連絡が取りたかった。
 学校で何かが起きているか、それとも起きようとしているのか。彼女の身が心配だった。
 呼び出し音は鳴り続けている。でも応答がない。
 波多野は学校で何かが重大な事が起きていると確信した。すぐにでも駆けつけたいが--。「あっ」
 息子の孝行が勢いよく身を翻したのだ。こんな力が、まだ残っていたのかと驚かされる。と、同時に強烈なパンチも飛んできた。かわすことは出来たが、波多野は手にしていた携帯電話を落としてしまう。 
 しまった。加納先生と連絡が取れなくなった。もう息子の相手だけで精一杯だ。きっと彼女も学校で窮地に立たされているに違いない。
 「うっ」
 息子の両手が横から波多野の首に回る。まずいっ。転がっていく携帯電話を目で追っていた僅かな隙を突かれてしまう。締め上げてくる。その力の入れ方に躊躇いがない。
 こいつは自分が父親の息の根を止めようとしていることに気づいていない。誰かに操られて、目の前にいる敵と無意識に戦っているのだ。 
 苦しい。呼吸が出来ない。目の前が真っ暗になってきた。

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 高木教頭の肩に力が入った瞬間だ。
 「むぐっ」これから凄まじい強烈な右ストレートを生徒の顔面に浴びせようとしたところで、いきなり左の脇腹に強烈な痛みが走った。「うっ」腹部を押さえる。
 何が起きたのか分からない。気がつくと、黒川拓磨がこちらを向いていた。まさか、お前の仕業か? 
 奴の両手が拳骨になっていた。ボディ・ブローを食らったのかもしれない。信じられない。まったく目に見えなかった。
 やや前屈みの姿勢で苦痛に耐えていた。そこに生徒の膝が跳ねるようにして顎に命中した。勢いで頭が起き上がる。次は風を切る音がしたかと思うと拳が飛んできた。早過ぎて、かわすことも出来ない。左の頬と鼻面に二発のパンチが突き刺さった。「ぐうっ」
作品名:黒いチューリップ 12 作家名:城山晴彦