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黒いチューリップ 11

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「今日は本当に有難うございました。これで失礼します。いきなり訪問したことを御許し下さい」
「気をつけて、お帰りください」
「金曜日は電話をしてから参ります」
「お待ちしています」
 二人はリビングのソファから立ち上がった。桜井氏はエレベーターのところまで一緒に来てボタンを押してくれた。エレベーターが反応して一階から上がってくる。それを待つ間だった。
「加納さん」桜井氏の表情が重い。
「はい」どうしたんだろう。 
言い難そうに口を開く。「検死で分かったのですが、……妻は妊娠していました」
「えっ」
「でも自分の子ではありません。確信があります。私たちには計画があって、しっかり避妊はやっていましたから」
「……」じゃ、誰が? でも、それは自分の口からは訊けない。
「双子でした。優子は双子を身篭っていたのです」
 加納久美子は冷水を浴びせられたように全身が凍りつく。その事実は聞きたくなかった。これは自分の手に負えないかもしれない、そんな予感がしてきた。桜井氏を見つめるだけで何も言えない。
 帰宅を促すように、エレベーターの扉が静かに開いた。

   66 

 もうダメだ。このままでは悪化していくだけだろう。
 西山明弘は病院へ行く決心をした。虫に刺されてから十日ほど経つが症状は一向に良くならない。痒みは酷くなる一方で、全身に広がろうとしていた。
 咬まれたところから肌は赤黒く斑に変色して、触るとガサガサと荒れて、まるで爬虫類か何かの皮膚みたいだった。
 最初のうちは大家の娘が、献身的に痒み止めの薬を塗布してくれた。ところが症状が酷くなると、頼んでも拒否するようになる。最後は気味悪がって患部を見ようともしなかった。
 頼れる人間は大家の娘だった。不味くても食事の用意はしてくれた。しかし今では、カップ麺がドアの外に置かれているだけになった。部屋に入ってこようともしない。もう顔を合わせたくないらしい。もはや、あの程度の女にも見放された格好だ。なんて様だ、このオレが。信じられない。これほど惨めな気持ちになったのは今までになかった。
 医者に見てもらうしかない。薬局で買ってきた市販の薬では治せないと判断した。症状が少しでも良くなったら、一刻も早く黒川拓磨のバカに仕返ししたい。あの小僧、ぶっ殺してやる。
 何日かぶりにレガシイを運転した。4サイクル水平対向4気筒の振動が、ハンドルを通して伝わってきた。世界的に珍しい独特のエンジンだ。高い買い物だったが後悔はしていない。いい車だ。アトランテック・ブルーパールという、ボディ・カラーも気に入っていた。
 皮膚科の病院は五井の方まで行くことにした。地元近辺ではマズかった。知った顔に出会う恐れがあるのだ。以前に水虫の治療で近くの皮膚科に行ったところ、生徒の母親に会って、ヘンな噂を流されたことがあった。話が人から人へ伝わる途中で水虫が性病の治療に変わってしまう。否定したが、受け入れてくれたか自信がない。人は悪い方を信じたがるのだ。 
 国道127号線に出たところでカー・ステレオのスイッチを押した。レガシイを走らせて久しぶりに気分が少し良くなったからだ。音楽が聞きたくなった。
 スピーカーから流れてきたのは、おニャン子クラブが歌う、『セーラー服を脱がさないで』だった。西山が好きな曲の一つだ。
 初めて聞いた時は少なからず驚いた。こんな歌詞でよくON AIRできたなと思った。まるで全国の女子学生に、早く処女を失いなさいと奨励しているようなものじゃないか。
 一度で気に入った。特に好きなフレーズは、「友達より早くエッチをしたいけど」という下りだ。オレの脳下垂体をジーンと刺激してくれる。何度でも聞きたい。こういう歌詞を書いた奴は天才に違いないぞ。
 繰り返し繰り返し聞くうちに西山の頭には一つのアイデアが浮かぶ。それはバカでもいいから超セクシーな女をナンパして、そいつにセーラー服を着せてやろうという考えだった。
 成熟した身体にセーラー服だ。これは、きっと合う。最高にエロチック。でもセーラー服は脱がさない。着たままがいい。その格好で、オレの核弾頭を搭載したミサイルを何発も撃ち込んでやる。格納庫が空になるまで発射しよう。超セクシーな女を破壊して破壊しまくるのだ。攻撃が終わった後には何も残らない。女は意識も体力も無くなって廃墟と化す。
 色々と作戦を考えていく過程で想像は膨らむ。セーラー服の次は君津南中学の体操服を着せてやろうじゃないか。
 超セクシーな女に、あの小さな赤いブルマーを穿かせるのだ。こりゃ、セーラー服よりエロチックなのは間違いない。これまでは、手塚奈々が授業で校庭をランニングするのを横目で見て楽しむだけだった。
 きっと女は身の置き場もないほど恥ずかしがるだろう。そこでバッグに隠してあった高性能カメラを取り出して撮影を開始だ。お願い止めて、と女が泣き叫んでも無視。お前の恥ずかしい写真を職場の同僚に見せるぞ、と脅して更に恥ずかしい行為を強要する。
 赤いブルマー姿で……、そうだ、ついでに犬の首輪を身に付けさせて、図書館や郵便局の周りを歩かせよう。裸じゃないから法律には違反しない。だけど女は羞恥心で気が狂うほどだろう。その姿を一部始終ビデオに収めてやる。こういう事にかけてだったら西山明弘の想像力は誰にも負けなかった。
 どころが、……ところがだ。肝心の超セクシーな女が一人も見つからない。ずっと探し続けた。でもセーラー服やブルマーを穿かせたいと思う女は、テレビや成人向け雑誌でしか目にしなかった。
 大家の娘は、着ろと言えば素直に着たはずだ。だけど、あの女には似合わない。やっても意味がなかった。このオレが興奮するどころか逆に萎えてしまうのが分かっていたからだ。
 時間が掛かった。バカで少しぐらいブスでもいいかな、と条件を下げてみたりした。それでもいなかった。
 とうとう最初の一人を見つけたのは自分の職場で、驚いたことに想像もしなかったくらいに完璧な女だった。それが君津南中学で美術を教える安藤紫だ。
 長い脚と悩ましい曲線を描く太もも、桃みたいに丸い尻、くびれたウエストに女らしさを強調している胸の膨らみ。成人雑誌のグラビアを飾ってもいいスタイルだ。顔は小さく雛人形みたいに整っていて、艶のあるワンレングスの黒髪に包まれていた。
 なんて女だ。こんなに身近で、こんなに魅力的な女性に巡り合えるとは思わなかった。自分の幸運が信じられない。
 ピチピチした尻を左右に揺らして歩く後ろ姿を見たら、男は誰でもその場に釘付けだ。 仕事へ行くのが楽しくなった。何かにつけて安藤紫先生と話をする機会を作り出す。どれほど自分がいい男であるか、一生懸命にアピールした。
 職場にいても家にいても、西山明弘は安藤紫先生のヌードを頭に思い描く。ふくよかな胸はブラジャーを外した途端、ブルンと弾んで飛び出すじゃないだろうか。きっと乳首がツンと上を向いているに違いない。早く見てみたい。手で触れてみたい。そして口で吸ってみたかった。オレが巧みに舌を動かすと、安藤先生が上半身を仰け反らせて悶える姿を夢に見た。
 彼女のセーラー服を着た姿や、赤いブルマーを穿かされて恥ずかしそうに歩道を歩く様子を想像しては楽しんだ。
作品名:黒いチューリップ 11 作家名:城山晴彦