黒いチューリップ 06
「……」じゃあ、無理だろう。わざわざ休みの日に、そんな馬鹿らしいことで学校に出て来る奴なんかいないぜ。
「どうだろう、出席してくれるかい?」
「来月の話じゃ、今から約束はできないな。ほかに予定が入っちゃうかもしれないし」馬鹿馬鹿しい。そんなものに付き合っていられるか。
「なるほど」
「がっかりさせて悪いな」
「いや、構わない。でも残念だな。ひとつ提案があったんだが、それは言わないでおこう」
「提案?」
「そうだ」
「え、どんな?」こいつ、興味を誘う言い方をするじゃないか。
「お互いの思いが叶うように協力し合うことさ」
「協力し合うだって?」
「うん」
「どうやって?」
すると転校生は答える代わりにポケットから折り畳んだ一枚の紙を取り出して見せた。「何だよ、それは?」
「触ってみろよ」
言われるがままに波多野孝行は差し出された紙を手にした。「へ
え、なんか凄い紙だな」高価な和紙らしい。表面はザラザラしていて重々しい感じがした。
「だろう」
「うん。だけど協力し合う事と関係があるのかい、この紙が?」
「ある」
「どんな?」もったいぶってるぜ、こいつ。
「その紙に願い事を書くと叶うんだ」
「えっ、何だって?」
「聞こえただろ。今、言った通りさ」
「待ってくれ。もう一度、言って欲しい」
「願い事が叶うんだ、その紙に書けば」
「マ、マジかよ?」
「ああ」
「そんなこと信じられ--」
「信じられなければ、それでいいさ。そういう気持ちなら願い事を書いても叶うことはない」
「……」
「信じるってことが大事なんだ」
「つ、つまり、その紙に願い事を書いて信じれば、叶うってことなのか?」
「その通り」
「……」マジかよ。にわかには信じられない話だが、この重厚な紙の手触り感が信憑性を醸し出していた。無視できない。
「どうする?」
「この紙を貰うために、オレは何をすればいいんだ?」
「祈りの会に出席して欲しい」
「それだけか?」
「そうだ。ただし……」
「ただし、何だ?」きっと金だ。世の中、すべてが金で動いてる。
「自分の願いが叶うように強く信じるのと同じように、僕の願いが叶うように強く信じてくれないとダメなんだ」
「……」何だって? そりゃ、簡単じゃない。なにしろ、お前の相手は学校の教師なん--。
「難しいのは分かっている」
「おい、相当に難しいぜ」
「じゃ、止めるか」
「いや、待ってくれ」篠原麗子と恋人同士になるチャンスかもしれない。ダメで元々だし、見逃すわけには行くもんか。
「やるのか」
「ああ」波多野孝行は決断した。
「出来るのか?」
「もちろんだ」
「もし同じように信じられないと大変なことが起きるぜ」
「え、……例えば?」
「きみの気持ちが、思ってもいなかった相手に伝わってしまう場合もあるんだ」
「別の女に、っていう可能性が出てくるのか?」
「そうだな」
「いやだ。オレは篠原麗子じゃない女には興味がない」
「だったら自分の為に、そして同じように僕の為に強く信じてくれないと困る」
「わかった、任せてくれ」
「大丈夫か?」
「心配しなくていい」
そう返事して転校生と別れた。魔法の紙が欲しくて、出来そうにもないなんて言えなかった。すぐに相当に難しいことだと、ひしひしと感じた。自分が篠原麗子と恋仲になりたいという気持ちは強くて、絶対になれると信じることはそんなに難しくもない。しかし奴の相手は加納先生だ。とてもじゃないが、二人が恋人同士になるなんて想像できるもんか。身長だって奴の方が5センチぐらいは低くないか。見た目にも釣り合いの取れないカップルだ。だけど、ここは努力しないと。自分の恋を成就させる為にも、あいつの思いが叶うように信じてやらないといけない。
波多野孝行は最後に、魔法の紙に書いた文の横に自分の名前を付け加えた。黒川拓磨の指示が、その紙を篠原麗子のではなくて、転校した関口貴久が使っていた空の下駄箱に入れろというものだったからだ。何でだろう? 不思議に思ったが言われた通りに実行することが大事だと考えた。そこで一応、念のために波多野孝行と署名を入れた。彼女が誰から思われているか、ハッキリと分かるようにだ。これなら間違いない。
明日の朝、下駄箱の中に魔法の紙を入れるつもりだった。篠原麗子がガールフレンドになってくれたら、二人でディズニーランドへ行きたい。どんなに楽しいだろう。そうだ、カメラが必要だ。どれを買えばいいのか、鶴岡政勝にアドバイスをしてもらおう。
映画も見に行きたい。ピクニックもいい。ショッピングも一緒にしたい。夏には海へ行こう。彼女の水着姿が見てみたい。きっと超セクシーだろうな。うきうきしてくる。波多野孝行の頭の中は、恋人同士で過ごす週末のプランでいっぱいになった。そこには一抹の不安も入る余地はない。
25
「今日も上手く行ったじゃないか」相馬太郎が言う。上機嫌だ。
「そうだな」山岸涼太が応える。
「どのくらいになりそうだ?」前田良文が訊く。
「うむ、……五千円ぐらいかな」
「で、今回のオレたちの取り分は?」
「三千円だ」
「古賀と小池に二千円も払うのか?」文句は相馬太郎だった。
「そう決めたんだ。お前も同意したじゃないか」
「ちっ」
「おい、相馬。仕事が上手く行ってるのは、彼女たちが加わってくれたからだぞ」
「それは分かっている。だけどオレたちが始めた仕事なんだぜ、分け前が同等なんて気に入らねえ。それにオレたちは半分を土屋恵子に支払わなきゃならない。すると一人当たり、たった五百円だぜ」
「仕方ないだろう」
「いつまで払い続けなきゃならないんだ?」
「あの強欲な女が君津南中学にいる限りだろうな」
「ふざけんな」
「なあ、黒川拓磨の話に乗ってみないか?」前田良文が二人の会話に割って入る。
「お前、あんな馬鹿げた話を信じているのか?」山岸涼太が驚いて訊き返す。
「いいや、信じているわけじゃない。だけどダメで元々じゃないのか」
「そうだな、前田の言う通りだ」相馬太郎が賛同する。
「……」
「これに願い事を書けばいいだけのことだ」言いながら前田良文はポケットから白い紙を取り出してみせた。
「お前、まだそんな紙を持っていたのか?」
「そうさ。せっかく貰ったんだ、そのまま捨ててしまうのは勿体ないぜ」
「さすがだ、前田」と相馬太郎。
「何て書くつもりだ?」山岸が訊く。
「土屋恵子が学校からいなくなって欲しい、って書くのさ」
「それで?」
「関口が使っていた下駄箱に入れるだけでいい、と言っていた」
「お前、わざわざ黒川に聞きに行ったのか?」
「そうだ。悪いか?」
「……」あきれて何も言えない山岸涼太。
「上手く行くかな?」相馬が前田に訊く。
「たぶんダメだろう。上手く行ったら儲けもんさ。だけどオレたちに他に何ができるんだ? 馬鹿みたいに払い続けるしかないんだ。だったらダメ元で、やってみようぜ。どうだ、山岸」
「オレは乗り気がしない」
「どうして?」相馬太郎だった。
「オレは、……」
「どうした」
「あの転校してきた黒川拓磨っていう奴が不気味で気に入らない」
「どこが?」
「あいつは何かを企んでいそうで嫌なんだ。親しくなりたくない」
作品名:黒いチューリップ 06 作家名:城山晴彦