黒いチューリップ 04
「ほら、ニューヨークに育った四人の少年たちが少年院に送られて看守に虐待される話だよ」
「あ、……ああ」それなら覚えている。なかなか面白かった映画だもの。確かブラッド・ピットが出演していて、他にも何人か有名な俳優が……。ああ、ダメだ。頭がボヤけてハッキリしない。
「あの映画そのものは悪くなかった。だけど原作となった小説の面白さには足元にも及ばないな」
「……」へえ、……そうなの。な、なんか映画の話なんか、どうでもいいような……もう興味がない。それよりも、こ、この……甘ったるい感じ……。
「『マジソン郡の橋』だって--」
「あっ、……あう」
もう彼の言葉は耳に入ってこなかった。無意識にも香月の首は後ろに仰け反った。腿を撫でられることに違和感を覚えていたが、それが今は消えた。続けて……もっと続けて。あたしを撫でて。こんなに気持ちがいいのって初めて。「は、は、はあ」
彼の手が動く。スカートの裾から中へと、奥の方へ進んでいこうとしていた。これって……もしかして、いけない事じゃなかったかしら。「はあ、はあ」そうだったかもしれない。恥かしいところに届いちゃう。だけど香月に拒絶する力は残っていなかった。逆に彼の手がスカートの奥で動きやすいように太股を広げてみせた。身も心も甘く溶けてしまう直前、一階のリビングに閉じ込められた犬のリボンが激しく吼えるのが聞こえた。
演技のレッスンって、気持ちが良くて楽しい。女優はラブシーンで真価が問われるって言う彼の意見は正しいと思う。二人で土曜日をレッスンの日に決めた。だけど今週は水曜日に母親が上手い具合に出掛けることになった。「香月、ごめん。ご飯の用意はして行くから。帰ってくるのは、早くても木曜日の夕方になりそうなの」
「いいよ、仕方ないもの」と面倒くさそうに答えたものの、心は宇宙に飛び上がるぐらい舞い上がった。彼を家に呼べる。泊まってくれるかも。そしたら朝までずっと--。想像するだけで下腹部がムズムズしてきた。顔はニヤけて火照りそう。そこをなんとか堪えて、難しそうな表情を保つ。頑張れ、香月。
えっ、これってアカデミー賞級の演技じゃない、もしかして。『恋におちたシェークスピア』のグイネス・パルトローにも負けていないはず。
きっとレッスンの成果が出ているんだ。それが実感できる。あたしって凄い。
待ちに待った水曜日の下校時間だった。これから家に帰って、演技の先生を迎える用意を急いでしないといけない。ああ、嬉しくて死にそう。
そうだ、明日は学校なんか休んじゃえばいいのよ。彼を朝まで帰したくない。香月は無断欠席にならない方法を思いつく。母親のマネをして学校に電話をすればいいのだ。加納先生は難しいかもしれないが、他の教師や事務員の女だったら絶対に騙せそう。これこそ、あたしの演技力が試される場面じゃないかしら。
やってみるべきだわ。頑張れ、香月。アカデミー主演女優賞を目指す、その第一歩だ。
五十嵐香月が十四年の人生において、一番の生きがいを感じた瞬間だった。
作品名:黒いチューリップ 04 作家名:城山晴彦