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黒いチューリップ 03

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「してくるよ。しつこいったらありゃしない」
「なんて?」
「富津中との試合を見に来ないか、だってさ」
「来月だっけ? やるらしいね。香月は何て答えたの?」
「決まってんでしょう。サッカーの試合なんか見に行くもんか。くっだらない」
「じゃあ、断ったの?」
「もちろんよ。もう電話してこないで、って言ってやったわ」
「よく言える、そんな酷いこと。香月らしいけど」
「どうして?」
「だって板垣くんにはルもりたルピタで散々、服とか買わせたじゃない」
「違う、違うよ。あれは板垣の奴が勝手に買ったの。あたしは貰ってやっただけ。でもセンスがなくて気に入らないのばっかりなんだから」
「あれ? この前だけどブルーの水玉模様のワンピースを着ていたじゃないの。すっごく似合っていたよ」
「ああ、あれ? ……うん、あれだけだね。あたしが着られるっていうのは。でもさ、もう板垣順平の名前は聞きたくないの。あいつの話しを持ち出さないでほしい、お願い。あの時はワールド・カップ熱に浮かれちゃって、ちょっと付き合っただけなのよ。ジャマイカ戦で日本代表が負けて目が覚めたわ」
「わかった。もうしない」と渚。「あ、さようなら。秋山くん」
 三人の前を同じクラスの男子、秋山聡史が通り過ぎていく。佐久間渚の言葉に軽く会釈を返す。が、五十嵐香月と山田道子の二人には目もくれない。男子にしては小柄で学生服とカバンが大き過ぎるという印象が強かった。
 「あんな奴に何で挨拶するのよ? 渚は」秋山聡史が十分に遠ざかってから、意外という感じ香月が訊く。
「いい子だよ、秋山くん」
「そうかしら? なんだか陰気で気持ち悪いけど」と道子。
「無口で大人しいから、そう見られちゃうかも」
「あたし、あの子が笑ったところ見たことない」香月が言う。
「あたしも」
「去年だけど、乗っていた自転車がパンクして困っていたのを助けてくれたことがあるんだ」と、渚。
「へえ」
「どうやって?」
「その場で秋山くんが修理してくれたの」
「え。あの子が近くにいたの?」
「そう。たまたま通り掛かったみたい」
「ラッキーだったじゃないの、渚」
「うん」
「そんな技術を持っているんだ、あの子」
「すぐに簡単そうに直してくれたよ」
「ちょっと驚き」
「じゃあ、挨拶するのは当然かもね」
「で、しょう」二人を納得させたことに気を良くした佐久間渚は、別の話題を持ち出した。「ところでさ、今日の体育の授業で転校生の黒川くんが凄いシュートを決めたらしいよ」
「ヘッディング・シュートでしょう? あたしも聞いた」と道子が即座に応える。
「またサッカーの話? もう聞きたくない」と五十嵐香月。
「大丈夫だよ。あいつの話はしないから」
「頼むよ」
「ちょっと、いい? あたし、香月に訊きたいんだけど」山田道子が真面目な口調で言う。
「何よ?」
「香月は黒川くんのこと、どう思っているの?」
「どういう意味?」
「どういう意味って、つまり好みのタイプかなって訊いているんじゃないの。とぼけないで」
「ふっ、よしてよ。全然タイプなんかじゃないわ」そう言うと山田道子の顔が嬉しそうに微笑んだ。
「本当?」
「うん」当然と言えば当然だが、山田道子が香月の気持ちを尊重するところは好ましい。
「よかったね」と、佐久間渚。五十嵐香月が仲良くなりたいと思う男子には近づけないという暗黙の了解が出来ていた。
「うん」山田道子が大きく頷く。
「ねえ、だったら黒川くんに手紙を出してみたら?」
「ええっ」驚く山田道子。「……そんなこと」
「そうだ。いい考えじゃない」と、香月が続く。
「無理だよ、絶対に」
「大丈夫だと思う、今日の雰囲気なら」と、佐久間渚。
「え、……いいよ」
「でも仲良くなりたいんでしょう?」
「そりゃあ、……まあ」
「だったら行動を起こさなきゃダメよ」香月が畳み掛ける。
「何て書けばいいのか分からないもん」
「友達になって下さい、でいいのよ」
「え、だって、もう友達みたいなもんだよ」
「バカねえ、道子。わざわざ手紙で出すことに意味があるんじゃないの。親しい仲になりたいっていう意思が伝わるのよ」香月のアドバイスが続く。
「……でも」
「でも、何よ?」
「あたしなんか相手にしてくれないと思う」
「行動を起こさなきゃ分からないじゃないの。そんな消極的な態度じゃダメよ。ダメで元々っていう感じで手紙を渡せばいいの」
「香月の言う通りだわ。道子、あたしが代わりに手紙を渡してあげてもいいよ」と渚。
「……」
「ついでに渚に返事も聞いてもらえばいいじゃない」
「……」
「どうする、道子」
「本当に?」
「うん。道子のためならやってあげる」
「ああ、ダメ。自信ない」
「仲良くなりたくないの?」
「なりたいけど……。もし拒否された耐えられそうもない」
「じゃあ、このままでいいの?」
「……わからない」
「あの黒川くんが酷い言葉で女の子を失望させるような事を言うとは思えないけど」と、渚。
「そうね。なかなか彼は優しそうだよ」香月が続ける。
「わかった。待って。家に帰って考えさせて、お願い」
「いいよ、そうしな。一人になって、試しに手紙を書いてみるといい。いい文が書けるかもしれないじゃない」
「ありがとう。そうする」
「ところで、……あたし、そろそろ帰らないと」渚が言う。
「え」と、道子。
「どうして?」渚が続く。二人とも驚きを隠さない。いつもより三十分ぐらい早かった。
「ごめん。親が家庭教師を雇ったのよ。今日が初日で、早く帰って色々と準備しないと」
「男の人? 大学生?」
「そうみたい」
「へえ。だったらイケメンだといいね」
「期待はしていないわ」
「わかった。じゃ、また明日ね」
「うん。バーイ」



   15

 秋山聡史は佐久間渚が挨拶してくれたことで、この上なく幸せな気分だった。あの子より可愛い女の子は世界に存在しない。いつの日がガールフレンドになってもらいたい。彼女に相応しいのはサッカー部の佐野隼人なんかじゃない、このオレなんだ。
 恋に落ちたのは中学一年の二学期で、席は隣同士だった。英語の授業が始まる前の休み時間だ。渚の「単語、調べてきた?」という一言で、宿題を忘れたことに聡史は気づく。ちぇっ。仕方ない、また叱られるんだと覚悟した。ところが彼女が、「あたしのノートを写してもいいよ」と助けてくれたのだ。
 女の子から、いや誰からもそんな親切を受けたことがなかった。
ノートは数分で写し終えたが、隣の席に座る佐久間渚の存在は依然とは全く別のモノとなった。
 確かに可愛い子だ。そういう女は特にオレに対して冷たく当たるのが常だった。だけど佐久間渚は違った。こんなに優しい妖精のような女の子の隣に座っていたんだ。まったく気づかなかったオレはバカか。
 本当に可愛い。毎日、オレに挨拶してくれる。学校へ行くのが楽しくなった。日増しに彼女への思いが強くなっていく。
 仲良くなりたい。だけど、どうアプローチすればいいのか分からなかった。出来ることは朝の挨拶ぐらいで、それも軽く会釈するだけだった。帰りの「さようなら」なんか声に出して言えない。佐久間渚が言ってくれた時に頭を下げて教室から出て行くだけだ。
作品名:黒いチューリップ 03 作家名:城山晴彦