黒いチューリップ 02
「オレ、知らない奴のチンポコなんかしゃぶりたくねえ」仲間の三人から疑わしい目で見られて、もはや相馬太郎の言葉は独り言に近かった。
「バカ、知ってる奴のでもヤダぜ、そんなの」関口貴久が言った。
信憑性は疑わしかったが、相馬太郎の話は仲間を震え上がらせるのに十分だった。少年院へ行けばホモの看守に餌食にされるという恐怖が頭に焼き付く。翌日からは土屋恵子に対して、腫れ物にでも触れるような接し方になった。
遅れることなく月曜日には一万円を支払う。目の前を通り過ぎる時は必ず頭を下げた。文句を言われないように注意を怠らない。
相馬太郎が教室で、としまや弁当の駐車場でドライバーがロックをしないで車から離れた隙に、黒塗りのセルシオを盗んだと自慢すると、その話を聞きつけた土屋恵子はショッピングの送り迎えを要求してきた。もう言いなりだ。
ところが、そんな従順な態度が逆に土屋恵子を付け上らせる結果を生んでしまう。三週間が過ぎた頃だ、新たな要求を突きつけられた。
相馬太郎が仲間を集めて言った。「おい、来週は建国記念日らしいぜ」
「それがどうした?」
「あの女が御祝儀として五千円ぐらい持って来いって」
「マジかよ」新しい要求をするのに土屋恵子はビクビクしている相馬を選んだんだ、と仲間は合点がいった。
「五千円なんて出せるもんか。分かった、オレが話をつける」関口貴久の出番だった。
リーダーは喧嘩の強い山岸涼太だが、誰かと交渉するとか何かを計画するのは関口貴久の役目だ。細かい事に気がつき、どんなことにも常に慎重だった。
前回は丸め込まれたと考えたのか、土屋恵子は強気できた。五千円を二千円まで下げさせたが、すべての祝日に祝儀を差し出すことになった。
「つまり一万円のほかに祝日には二千円を差し出せっていうことか?」
「そうなんだ」
「ちっ、なんて欲張りな女だ」
「がめつ過ぎるぜ」
「じゃ、次は春分の日かよ?」
「そうなるな」
「おい、待てよ」
「どうした」
「だったら五月の連休はどうなるんだ?」
「……」
「昭和の日、憲法記念日、みどりの日、こどもの日って続くんだぜ」
「マジかよ」
「……」全員が暗澹たる気持ちになった。
その数日後だ、関口貴久が仲間に希望を持たせるようなことを言い出す。
「もう金の心配はしなくていいかもしれないぜ」
「どういうことだ?」山岸涼太が訊く。
「まだ今は詳しいことは言えない。全額でなくても、オレたちの負担を減らせる可能性が出てきた」
「本当かよ」
「ああ」
しかし現実には何も変わらなかった。その晩に関口貴久の家が全焼して九州へ引っ越してしまったからだ。金の負担は同じで逆に仲間が三人に減ってしまった。一体何の話だったのかも分からず仕舞いだ。
関口貴久の抜けた穴は大きい。仕事が以前のようには上手くいかない。チームプレーが機能しなかった。理由を説明して土屋恵子には支払いを少なくして、残りは借りという形にしてもらう。利息としてワコールの下着や洋服を盗んでくるように要求された。
交渉は成立したが安心は一時的で、どんどん借金は増え続けていく。支払う気力を失わせるほどの大きな金額になるのに時間は掛からない。厳しく催促はされるが、どうにもならなかった。
仲間三人は疲労困憊して、お互いに口も利かない状態になっていると、土屋高志らしき人物を見たという情報が学校に流れた。真偽は確かめられなかったが、もし警察から釈放されたなら自分たちの悪事をバラされる恐れは去ったことになる。一気に土屋恵子への支払いがバカらしくなった。
毎週月曜日には数千円づつでも金を渡し続けたが、がめつい女への憎しみはどんどん大きくなる。殺してやりたい。せめて学校からいなくなって欲しい。
「もう万引きなんてやりたくない」相馬太郎は決まって仕事の前に、この言葉を吐くようになった。
「オレもだ。もう疲れた」前田良文が続く。
「……」山岸涼太は何も言わない。愚痴を口にしても事情は変わらないからだ。
話し合ったわけではないが、いつか土屋恵子から解放されたら二度と万引きしない、という気持ちで三人は一致していた。
作品名:黒いチューリップ 02 作家名:城山晴彦