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黒いチューリップ 02

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 ずっと安藤紫は一人の生徒を探していた。君津南中学二年生の中にいることまでは分かっている。一年八ヶ月前に行われた彼らの入学式で、あの女を見たのだ。校舎から体育館へ行く通路で出くわした。安藤紫が職員室へ戻ろうと逆方向に歩いていたとき、数メートル先で急に立ち止まる父兄に気づいた。不自然な動き。反射的に顔が向く。目が合った。
 背が高くて綺麗という印象は変わりがなかった。さらに磨きがかかっている。色気があって大人の女の魅力に溢れていた。見ただけでは不十分だったろうが、相手の挙動が安藤紫に確信を持たせた。
 立ち止まったのは一瞬で、すぐに女は気を取り直して足早に横を通り過ぎて行く。もちろん挨拶はない。会釈すらしなかった。体育館の方へと向かった。
 その日、あの女の姿を二度と見ることはなかった。つまり入学式が始まる前に帰ったということだ。
 偶然にも再会して、あの女の子供が自分が美術を教える生徒の中にいるという事実を知って安藤紫の心に怒りが蘇った。
 あいつの母親の性衝動が原因で自分の人生は大きく狂った。死にたくなるほど苦しんだ。なのに、あの女は結婚して子供を産んでいる。反対に安藤紫自身は、いい男すら見つけられていない。ずっと幸せな家庭を持つことを夢みているにも関わらずにだ。
 これは不公平だ。いけない。是正されなければならない。これまで安藤紫の肢体で快楽を貪りながら、性欲が満たされた後に不誠実な行動を見せた男達は全員が罰を受けている。あの親子が何事もなく生きていていいはずがない。
 多くの男たちが結婚の話を持ち出した途端に態度を変えた。そして、いつも同じような台詞を聞かされた。
 『今は経済的に難しい』だったらベッドに誘う前に言ってよ、バカ!
『結婚生活を続けていく自信がない』あら、ベッドに入る前は自信満々におっ立たせていたじゃない!
『まだ結婚は早いって、親が反対しているんだ』いきなり親の話を出してきて、あんた小学生だったの!
 腹が立っても頭に浮かんだ言葉は一言も口にしない。『いいわ、わかった。だけど、それでもあなたが好きなの。こんなふうに時々逢ってくれたら、それだけで嬉しい』これが見切りをつけた時の台詞だ。都合のいい尻軽女を演じてやる。男は女の身体だけを目的に連絡してきた。逢うたびに安藤紫はペナルティと名づけた毒薬を男の飲み物に混ぜた。 
 殺しはしない。身体に障害を負わすのが目的だ。死んでしまったら面白くもない。       
 『最近になって急に視力が落ちてきたんだ』
『近ごろ疲れが酷くて』
 それらの言葉が聞かれたら毒薬の効果が出てきた証拠だ。負った障害は決して回復しない。ここで尻軽女の演技は終わる。
 『残念だけど、もう逢えないわ。あなたほど素敵な人じゃないけど、あたしを好いてくれる人がいるの。その人と結婚しようと思っている』これが別れの言葉だ。中には厚かましい男がいて、最後に一発やろうとせがんでくるのがいる。
 『だめよ。だって、お腹に赤ちゃんがいるの』そう言って身体には指一本触れさせない。
 失望させた男は全員が健常者でなくなる。残りの人生を障害を負って生きるのだ。安藤紫は浮気を繰り返す夫を何度も許した母親とは違う。受けた苦痛は何倍にもして相手に返してやる。あの親子にも同じ罰を受けさせてやりたい。ターゲットは奴らの孫であり子供である、この君津南中学に通う生徒だ。
 母親を確認できた生徒の名前を名簿から一人ひとり消していく作業が続いた。あの女の子供だ、きっとそれなりの顔立ちをしているに違いなかった。また、成績が良くない生徒、だらしなさそうな生徒は始めから除外した。一年半ほど掛かったが、その数を十人ぐらいに絞れた。見つけ出したら失明させてやりたい。生徒に罪はないが、これがあの親子に大きな苦しみを与えられる唯一の方法だから仕方がない。愛する孫、愛する子供が障害児になって、そこで美術教師の安藤紫が何かしたんじゃないかと、少しでも疑いを持ってくれたら大成功。だけど安藤紫は逮捕はされない。証拠は何一つ残すものか。怒りに我を忘れて刑務所に入れられた母親みたいな真似はしない。疑わしきは罰せず、だ。奴らには、あたしの恐ろしさを死ぬまで感じて生きてほしい。美術室にある机の引き出しには、その生徒のために用意したペナルティの白い粉末が用意されていた。
 だけど計画は思ったようには捗らず時間は残り少なくなりつつあった。一日でも早く生徒を捜し出して、一緒にインスタント・コーヒーを飲めるぐらいに手懐けないといけないのに、だ。黒川拓磨という転校生が現れたのは、新年を迎えて見直した計画を急いで進めようとしていた矢先だった。

   11

 放課後、職員室にいる加納久美子のところへ生徒が代わる代わる顔を見せる。部室の鍵を取りに来る水泳部の部員、担任するクラスの掃除が終了したと報告に来る生徒、大学入試レベルの英語で分からないところを訊きに来る優秀な生徒などだ。顧問を務める水泳部のクラブ活動が終了するまでの時間は、明日の授業で使うテキストを整理したりと準備を行う。 
 職員室のドアがノックされた。「失礼します」という声の後に生徒が入って来る。佐野隼人だった。サッカー部のキャプテンをしているだけに、痩せてはいてもアスリートらしい身体つきで、身のこなしには素早さが感じられる。学級日誌を届けに来たのだ。いい機会だ。手遅れになる前に成績のことで話がしたい。
 「何か変わった事ある?」いつも同じ質問をする。
「いえ、別に」いつも同じ答えが返ってきた。
「あ、そう」視線を合わそうとしない。避けている。成績が良かった頃の彼とは大違いだ。
「失礼します」
 「ちょっと、待って」加納久美子は生徒を引き止めた。
「……」
「勉強のことで話がしたいの。一体、どうしたのよ? すごく成績が落ちているじゃない」
「……」生徒が下を向く。
「何があったの?」
「いえ、別に」
「いえ、別に、じゃないでしょう」この言葉ほど嫌いな言葉はなかった。しかし生徒から最も聞かされるのが、この言葉なのだ。「心配しているのよ。どうしたの? 聞かせて」
「……」生徒が顔を上げた。でも言葉はない。
「ちゃんと教会には行っているの」加納久美子は話題を変えようと考えた。佐野隼人はクリスチャンだった。
「はい」
「そう」少し安心した。もし信仰心も無くしたとなれば事態は深刻だった。「何かに悩んでいるの?」このぐらいの歳になれば悩むことが手にあまるほど増えてるはずだった。恋愛、容貌、勉強、進路、親との関係、学校生活など数え上げたらきりが無い。それらに、どう対処して生きていくかが問題なのだ。
「……」顔は上げたままだった。
「ねえ?」加納久美子は促す。
「……先生」
「なに」何か言おうとしている。突破口が開けるかもしれない。
「先生は」
「うん」
「霊感ってありますか?」
「……、はあ?」一体、何の話よ。調子抜けしてしまう。
「……」
「どういうこと?」それと勉強と何の関係があるの?
「そのう……、つまり……、先生には霊的な体験がありますかっていうことです」
「なんで?」
「いえ、……ただ、訊いただけです」
作品名:黒いチューリップ 02 作家名:城山晴彦