黒いチューリップ 01
「見てたの?」相変わらずセクシーな姿の安藤先生だった。華奢な身体つきなのにバストとヒップは女らしく存在感を強調している。肩まで伸びる髪は少しだけウェーブがかかっていて、清楚な顔立ちと共に優しそうな雰囲気を醸し出していた。今日はチャコール・グレイのスカートに、キャメルのジャケットで決めている。中のポロシャツはライムカラーだ。完璧なファッション。どうして、こんな人が教師でいるの? 場違いも甚だしい。もっと華やかな場所で輝いているべき女性だ、と加納久美子は常に思っている。この君津南中学で知り合って、それ以来ずっと仲良しだ。
「見てたわよ。すごいヘッディング・シュートだった」
「見事としか言いようがないわ」
「勉強の成績はどうなの?」安藤先生が訊いた。
「優秀よ。英語に関して言えば先週に行った小テストで一人だけ満点だったわ。ほかの教科の先生たちも、これまでのところ黒川君のことはベタ褒めって感じだもの」
「ふうむ」
「いい転校生が来てくれたと思っている」
「良かったわね」
「……」それだけ? 当然、安藤先生が担当している美術での評価が返ってくるものと思っていた。それじゃ、優秀ではないってことなのかしら。「あなたの教科では?」加納久美子は訊いた。
「……」
「ねえ?」返事を促す。
「……彼って、すごく絵も上手なのよ」
「へえ」やっぱりか。だけど安藤先生が答えをもったいぶるところが腑に落ちなかった。どうしてなのよ、彼女らしくもない。
「中学生とは思えない」
「え」
「上手なんだけど……、すごく暗くて重い絵なのよ」
「どういうこと?」
「今にも嵐がやって来そうな荒れた海を、少女が一人で高台に立って眺めている絵よ。ほとんど色を使わなくて黒を基調にして描かれているの」
「……」加納久美子は黒川拓磨の父親が去年の暮れに亡くなっていることを思い出した。母親が学校に提出した書類を、教頭の高木先生から渡されたとき指摘された。まだ一ヶ月ぐらいしか経っていないと驚いたのだった。きっと心に深い傷を負っているに違いない。
「どう、見たい?」
「え?」
「黒川君が描いた絵を見てみたくない?」
「う、うん」加納久美子は頷いた。「見せて」
あと数分で休み時間のチャイムが鳴るところだった。二人は三階の美術室へと急いだ。
09
「えっ、……こ、これ、彼が描いたの?」
「そう」
「……」
中学生が描いたとは思えない重苦しい絵を前にして、加納先生は言葉を失った様子だった。
「どう思う?」安藤紫は訊いた。彼女の意見が聞きたい。
「……」聞こえてないみたいに黙っている。
「ねえ?」
「……、すごい」
「でしょう」
「中学生で……こんな」
「彼、絵の才能を持っているわ」
「この女の子って誰なのかしら」加納先生は独り言のように言う。
「……」描いたのは自分ではない。だから答えようがなかった。
「きっと誰か特別な子なんでしょうね。だって彼女の肩には傷があるもの」
「そうだと思う」安藤紫は相槌を打つ。
「兄妹っていうことはないわ、彼は一人っ子だもの」
「あら、そう」安藤紫は嘘をつく。その事実は、とっくに知っていた。
「ええ」
「……」もっと何か加納先生が言ってくれるのを待った。ところが三時間目の授業の終了を知らせるチャイムが鳴る。
「そろそろ職員室へ戻るわ」
「うん」会話が続けられなくなっていて、加納先生はホッとしたみたいだった。安藤紫は彼女を促すように応えた。「じゃ、またね」
作品名:黒いチューリップ 01 作家名:城山晴彦