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黒いチューリップ 01

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 霊感が強いとは知らなかった。それを隠して我々を油断させたわけだ。なんて女だ。危ないところだった。息子が次からは気をつけてくれることを期待する。
 この裏切り者の女教師と一緒に焼死だ。同時に女が手にしている忌々しい鏡も焼けて割れてしまえだろう。もう使いものにはならないはずだ。そして息子は生き延びる。老人との約束がすべて果たせたことになる。オレの役目は終わりだ。好きなだけ贅沢もさせてもらった。もう悔いはない。
 他人に預けた息子にも二ヶ月前に会って話をすることが出来た。素晴らしい子供になっていた。左の耳たぶが無かったのは、老人の魂を受け継いでいる証拠だ。   
 十四年前に、この子を手元に置くべきじゃないかと思ったが、それは正しかったようだ。礼儀正しさの中に隠れた狡猾さ、頭の回転の早さ、レストランで食事をしていて随所に現れた。このオレが電気屋へ行く道順なんか訊いていないことは初めから見破っていたにも関わらず一言も触れない。つまらない世間話に、ずっと付き合ってくれた。なかなかだ。『私がキミの本当の父親なんだ』と告白して強く抱きしめたい誘惑を抑えるのが大変だった。
 うっかり一言、「そっくりだ」と口にしてしまう。それほど十九年前に会った老人の姿に容貌から仕種まで似ていたのだ。瓜二つと言っていいくらいに。この息子の反応は早かった。何一つ聞き逃さない注意力を持っていた。すぐに「何でもない。忘れてくれ」と否定したが信じてないのは明らかだった。用心しながら喋らないと大変なことになりそうなほど賢い奴だ。
 だかららと言って、教室から出て行った息子を見限っているわけじゃない。あれも大変な能力を秘めた子だ。愛しているし、期待もしている。ただ自分の力を過信したり、見せびらかしたりすることに不安を覚えた。
 小学校の低学年で因数分解を解いてみせたり、流暢な英語を披露したりして周りを驚かせたことがあった。注目を集めて気を良くしていたのを強く叱りつけた。中学に上がると喧嘩沙汰を度々起こすようになる。生意気な態度が気に入らないと上級生たちから目を付けられるからだ。体の大きな連中を倒して、クラスメイトから賞賛を浴びているのを嗜めた。虚栄心は弱点になる。つまり油断に繋がるのだ。
 炎に包まれた男の意識が遠退いていく。生きたまま体を焼かれる激痛にも関わらず、その表情は安らかだった。

  







  08 1999年 ノストラダムスが世界の終わりを予言した年 1月 

 へえ、なかなかやるじゃない。英語教師の加納久美子は、職員室で小テストの採点をしていて嬉しい驚きを覚えた。自分が担任を務める二年B組の転校生が満点を取ったのだ。完璧な回答だった。この子は一般動詞とBe動詞の区別を、しっかり理解していると感じた。中学二年生で、これはなかなかだ。
  クラスの副委員長である佐野隼人の点数が今回も悪くて、心配していたところだったので、沈んだ気持ちを少し回復させてくれた。成績が急に落ちていることで佐野隼人とは早急に話をしなければならなかった。
 三時限目は授業がなくて空き時間だ。職員室には加納久美子の他は高木教頭がいるだけだった。何かと話しかけてくる学年主任の西山先生がいなくて幸いだ。
 一月の半ばで天気は良く、窓からの日差しが加納久美子の背中を容赦なく照らしていた。椅子に座った時は心地良い暖かさを感じたのが、今では焼けるように熱かった。
 もう限界。席を立ち、カーテンを閉めようと窓際に近づく。校庭では体育の授業中で二年A組とB組でサッカーの試合が行われていた。加納久美子の頭に、去年のワールド・カップ フランス大会で日本代表が三連敗した苦い記憶が蘇る。アルゼンチンとクロアチア戦は仕方がないとしても、ジャマイカ戦はがっかりさせられた。
 サッカー好きで知られるタレントのジェイ・カビラは、日本代表がアルゼンチンに勝つかもしれないと試合前にニュース・ステーションでコメントしていたが、それには驚いた。ワールド・カップ初戦で、『マイアミの奇跡』の再現か? まさか、それは有り得なかった。
 あら、……まあ。校庭で行われていたのは、あまりにも一方的な試合だった。加納久美子のB組がA組を完璧に翻弄していた。あ、そうか。うちのクラスには4人もサッカー部のレギュラーがいることを思い出す。司令塔の佐野隼人、エース・ストライカーの板垣順平、ミッド・フィルダーの鶴岡正勝と鮎川信也だ。四人の連係プレーは巧みだった。ほとんどA組の生徒はボールを持たせてもらえない。動きも緩慢で、やる気すらなさそうにも見える。4-0と表示されたスコア・ボードを見て、その理由も分かった。 
 英語の小テストで満点を取った転校生の姿が目に入った。ハーフライン近くにポジションを取っていたが、ゲームに関わるようなプレーはしていなかった。チーム・メイトからボールのパスもなく、もっぱらこぼれ玉を追っている感じだった。勉強の成績はいいけど運動神経の方はイマイチっていうタイプかしらと加納久美子は思った。大きな事故にでも遭ったらしく、額に数センチの傷と左耳には怪我の痕があった。からかわれたりしていないだろうか、と心配もした。
 味方のゴール・キーパーからボールを受けた鶴岡が少し間をためて、敵のフォワード二人が近づいてきたところで鮎川にパスを出した。スペースに余裕が出来てボールをもらった鮎川は逆サイドにいた板垣に精度の高いロング・パスを送る。板垣は早いドリブルで敵陣内へと走り込む。その時、加納久美子の目にも相手ゴール前で待つ佐野隼人の姿が入った。左サイド奥まで切り込んだ板垣はバックスを引き付けると敵ゴール正面にクロスを上げた。フリーになった佐野隼人のヘッディング・シュートに期待したキックだ。しかし相手ゴール・キーパーは大柄で動きも早かった。完全に一対一だ。難しいシュートになりそうだ、と加納久美子は思った。どうなるか、と誰もが動きを止めて見ていた。そこに、いきなりB組の一人が走り込んできた。そしてボールが佐野隼人の頭に届く途中で、ハイジャンプすると強烈なヘッディング・シュートを放った。キーパーは反応できない。皆が呆気に取られた。ボールはゴールの隅に突き刺さり、5点目を決めた生徒はそのままネットに倒れこんだ。
 すごいっ! だれ?
 静寂。驚き過ぎて誰も声を上げない。遅れて体育教師のゴールを告げる笛が鳴った。倒れた生徒が、ゆっくり立ち上がる。小柄だ。え、うそっ。ゴールを決めたのは転校生の黒川拓磨だった。我に返ったB組のチーム・メイトが歓声を上げながら走って彼に詰め寄っていく。加納久美子も校庭へ飛んで行きたい気分になった。でも相手ゴール前で一人、まるで主役の座を降ろされた役者みたいに佐野隼人が佇んでいるのに気づいて気持ちは冷えた。
 「すごいじゃない」
 うわっ、びっくり。いきなり背後から声を掛けられて慌てた。そのハスキーボイスは、美術の安藤紫(ゆかり)先生に違いない。職員室へ入ってきたのは知らなかった。「やだ、驚かさないで」
「あ、ごめん。ごめん」
作品名:黒いチューリップ 01 作家名:城山晴彦