小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

黒いチューリップ 01

INDEX|4ページ/8ページ|

次のページ前のページ
 

 ずっと今まで子供なんか好きじゃなかった。うるさく騒々しいだけの存在で、近所で遊ぶガキどもを怒鳴ったことが何度もある。それが、どうだ。自分の息子が産まれた途端に気持ちは逆転した。愛おしくて仕方がない。出来ることなら二人を手元に置いて育てたかった。
 お前を手放すことになるが、愛していないわけじゃない。もちろん、お前をスペアの息子とも考えていない。いつか会いに行くからな。お前の成長した姿が見たい。それまで精々、好きなだけ悪事を働いてくれ。
 えっ、ウソだろ?
 男は驚きに一瞬だが身を引く。赤ん坊が目を開けたのだ。それもハッキリと。まるで父親の謝罪を受け入れたかのように。その目つきは好奇心に溢れ、聡明さを窺わせるものがあった。こいつは賢くなりそうだ……。ああ、しまった。急に後悔の念に襲われる。こっちを手元に残すべきじゃないのか。そうだ、そうしよう。早く終わらせる事が最も大切なのは分かっているが、男は着せたばかりのガウンを脱がせ始めた。初めから遣り直しだ。時間はなかった。いつ見回りの看護婦がやっくるか分からないのだ。ラチェットでクランプを鉄パイプに取り付けて足場を作っていく作業とは勝手が違い過ぎる。ちっ。上手く行かない。手先は器用じゃなかった。デリケートな細かい仕事には向いていない。どんどん焦る。この三つの小さいボタンが憎い。額に流れた汗が目に入った。畜生っ、ダメだ。男は諦めた。優秀な子を手元に残すことよりも、誰にも見つからずに赤ん坊の取り替えをやり遂げることが大切なのだった。このままで行く。それしかない。
 雑念を振り払うかのように、取り替えた他人の赤ん坊に自分の息子のガウンを急いで着せようと身を屈ませた時だ。甲高い声を背中に浴びた。
 「何、してるんですか?」
 全身が凍りついた。絶体絶命。その声からして小太りの口うるさい婦長に違いなかった。嫌なヤツに見つかっちまったもんだ。この女もこの場で殺すか? 一人殺すも二人殺すも、こうなったら同じ事だ。ポケットには小型のナイフが忍ばせてあった。仕事で使うヤツで、持っていても不自然じゃないように仕事を終えたばかりの作業服姿で産婦人科病院へ来たのだ。
 「この部屋に入ってはいけませんよ」婦長が近づいてくる。「何をしてたんですか? 誰ですか、あなたは?」
「……」男は返事ができない。体を動かすこともできなかった。
 この状況をどう打開すべきかと必死で考えた。でもパニックで何も頭に浮かばない。汗すら止まった。もう寒いくらいだ。このクソ女も殺すしかなさそうだ。
 「警備員を呼びますよ」背が低いくせに、この時とばかりに高圧的な態度だ。
 そうか、なるほど。新生児室まで入ってくるまで気づかなかったのは、婦長がスニーカーを履いていたからだ。これじゃ、足音は聞こえてこない。男はポケットの小型ナイフを握った。
 「す、すいません。黒川と言います。子供のガウンが脱げていたので着せてやろうと思って--」マジかよ。信じられねえ。自分でも驚きだ。こんな上手い嘘が咄嗟に口から出てくるなんて。
「え? あら、本当だ」婦長の厳しかった表情が少し和らぐ。男の手から赤ん坊の青いガウンを取り上げて、胸のところに書かれた名前を確認した。「お父さんですね。困りますよ、勝手に入ってこられては」
「すいません。風邪でもひかれたら大変なことになるかと--」
「ここは冷暖房完備です。ご心配には及びません」言いながら婦長は手早く赤ん坊にガウンを着せていく。「後はやりますから、出て行ってください」
「わかりました」男は大人しく踵を返した。『血の洗礼』は日を変えてやれば……。
 え、……ちょっと、待てよ。
 ドアに向かって一歩を踏み出したところだった、ある考えが頭に浮かんだ。この新生児室に何か赤ん坊を殺す凶器になりそうな物はないか? 姿勢はそのままにして目だけで探す。近くにピンセットが置いてあった。これは使えそうだ。無意識にも口元が緩む。今日のオレは冴えてるな、そう思うとポケットに忍ばせてあった小型ナイフを取り出し、振り向いて一気に婦長に襲い掛かった。
「ぎゃーっ」























   05 

 「ねえ、ちょっと危なくない?」
 横を歩く高校三年生の女が訊いてきたので少年は答えた。「心配ない、大丈夫さ。ここには何度も来ているんだ」
 四つ年上の女が怖がっているのは当然だった。二人は夜の八時半を過ぎた富津岬の展望台にいた。人から無理やり借りた白いクラウンを駐車場に停めて、展望台の階段まで歩いて来る途中で何台かの若い男たちが乗るスポーツ・カーの前を通り過ぎた。好奇の目を注がれているのを強く感じた。若い女を連れた中学生くらいの男子が無免許で車を運転して来たのは誰の目にも明らかだ。暇を持て余した連中にとっては、ちょっかいを出す格好の獲物に違いなかった。
 「帰ろうよ」女が言う。
「どうして? せっかく、ここまで来たんだぜ」
「駐車場にいた連中ったら、あたしたちのことジロジロ見てたわよ」
「それが、どうしたのさ」
「何だか怖いわ」
「平気さ。ここからの夜景は綺麗だぜ。絶対に見て帰るべきだ」
「……」
「しっかりしてくれよ。いつもの潤子さんらくしないぞ」
「……わかった。じゃ、早くしよう」
「そうこなくっちゃ」
 高校三年生の潤子と二人だけで会うのは今日が三度目で、少年はモノにする気でいた。ただし今回は、いつもと違うやり方を用いるつもりだった。
 初めて潤子を見たのは君津にあるアピタのマクドナルドだ。数人の友人達と一緒にハンバーガーを食べていた。タンクトップにジーパン姿の男が隣にいて、そいつは態度から潤子に好意を持っているのが窺えた。でもボーイフレンドではなさそうだ。
 目鼻立ちがハッキリしている潤子はグループの中で特に目立っていた。本人も自覚しているようで、ワンレングスの黒髪を優雅に揺らして誰よりも大きな声で笑い、仲間のフレンチフライを勝手に取って口に運んだり、全く遠慮することがなかった。まさに笑いの中心。頭も良さそうで好みのタイプだ。大人の女になりつつある身体が発散させる初々しい色気にはそそられた。
 少年は潤子がアルバイトをしている地元のスーパー・マーケットを探り出して、そこで働くことにした。すぐに仲良くなった。映画に誘うと、ちょっと驚いた様子を見せた。当然だろう。少年は身長が百六十センチしかなくて、潤子よりも五センチも低かった。彼女としては可愛い弟みたいな存在として見ていたのに違いない。だけど中学生にしては自信に満ちた態度と、頭の回転の早さに不思議な魅力を感じていたはずだ。
 その日は白いクラウンで彼女の家まで迎えに行く。中学生なのに自動車を運転していることで、助手席に乗ることを最初は躊躇う。「大丈夫だよ。兄貴の免許を借りてきているんだ。警察には捕まるもんか」そう嘘を言って安心させた。映画『ドクター・ドリトル』を見た後はファミリー・レストランへ行ってお喋りを楽しんだ。
作品名:黒いチューリップ 01 作家名:城山晴彦