流し雛の里
死者こそ数えるほどだったが、病気のために働けなくなる者が続出していたのだ。
もともと裕福とは言えない土地、村人が助け合いながら暮らしてきたのだが、その歯車がいくつか欠けてしまうと互助システムも機能しなくなってしまう。
原因が判明し、それが取り除かれたのが昭和33年、そしてぼんぼりが流されるようになったのが34年から……相関関係がないと考える方が不自然だ。
そして中石村に関する記事をつぶさに調べて行くうちに、広瀬はもう一つ小さな記事を見つけ、思わず天を仰いだ……。
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「広瀬さん……でしたな、こんな辺鄙な村にどうしてわざわざお越し下さったのですかな?」
村役場は、築40年は経っていようかと言う鉄骨2階建ての建物、内装もごく簡素なものだ、そして広瀬が通された村長室兼応接室の内装も事務室と変わらない造り、応接ソファも角が擦り切れかけている。
「実はあれからぼんぼり流しのことを色々調べておりまして」
村長の顔に当惑の色が浮かび、ひとしきり沈黙が流れた。
広瀬は調べてきたことを話した。
そして……。
「昭和33年、この村で幼い兄妹が川で溺れて亡くなっていますね」
村長は押し黙ったままだが、その顔には明らかに動揺の色が浮かんだ。
「あれは事故だったんでしょうか……それとも……」
村長は大きなため息をついた。
まるで背中から大きな荷を下ろした時のように。
「ご推察の通りですじゃ、あれは事故なんかじゃありゃせなんだ」
「兄妹は川に流されたのですね?……村の穢れを流すために」
「その通りですじゃ、当時の村長……私の祖父じゃが……が言い出したことでしてな、村の者は誰しもむごいことだと思ったでしょうな、ワシもそう思ぅとりました」
「しかし、誰もそれを止めなかった……」
「あの子たちの両親は例の病気で亡くなっていましてな、あの子たちも同じ病に苦しめられておりました……じゃが、当時の村には身寄りを失い病気に冒された幼子二人を養う余力もございませんでな……どのみち失われてしまう命ならば一思いに……そしてそれが村を救うことになれば……と、藁にも縋る思いで二人を藁で編んだ小舟に乗せて流しましたのですじゃ」
「……やはり……」
「何を言っても言い訳にしかなりませんがな、そこまで逼迫しておったのです」
「ですが、病気の原因がわかって……」
「左様……穢れなんぞではなかった、人間が作り出した毒に冒されていたのだと判りましてな、工場側もすぐに対策を打ちましたし、治療法もわかった……病への怖れは取り除かれましたのじゃ、と、生贄のように川に流してしまった兄妹になんということをしてしまったのか……と……あの子たちの病もいずれ治り、村の活力もいずれ戻って引き取って育ててやれる余力も生まれましたでしょうがな……後の祭りとはこのことですじゃ」
「それで、兄妹の供養のために……」
「いかにも……次の桃の節句に、あるおなごが流し雛の代わりにあのぼんぼりを流しましてな……それを見た村の者もこぞってそれに倣いましたのじゃ……せめてもの供養のために、せめてもの罪滅ぼしのために……それが今でも続いている……そういうことですじゃ」
「やはりそうでしたか……」
「……ああ、何やら肩の荷を降ろしたような心持ちがしますな……誰も口にはせんでも、誰もが重い荷を背負っておりましたからな……もっとも、あのことを知る者も近頃では随分と少なくはなって来ておりますがな」
「しかし、あの風習はこれからも続いていくんでしょうね」
「続けて行かねばいかんことですじゃ……良いきっかけを頂いたような心持ちがいたしますな……今の年寄りがいなくなったらぼんぼり流しもいつか途絶えてしまうのではないかと思ぅとりました……村の歴史の汚点ではありますが、忘れてしまって良いことでもありゃせん……文書にして伝えて行かねばなりますまいて」
「その文書ですが……私に書かせてもらうわけには行きませんか?」
「おお、それは願ったり叶ったりですじゃ、ぜひともそうして頂ければ……」
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広瀬が書いた文書……それは事の顛末をありのままに描いたものではなかった。
時を遠い昔に置き換え、幼い兄弟が龍神にすがって村を襲った日照りによる飢饉を救い、龍神が用意した藁の船に乗って川に流れて行った、それ以来桃の節句に雛人形を流すのを止め、代わりに兄妹の供養のためにぼんぼりを流すようになった……そう書かれていた。
「広瀬さん、これは……」
「嘘……そう言ってしまえばそうなりますね……ですが、行事の由来を知らない若い世代や子供たちにはその時代の事情は理解できません、時代が違うのです、自分たちの祖父母、曾祖父母がしてしまったことを受け入れることはできないでしょう、それよりもぼんぼり流しがこの先ずっと続いていくことが肝心なのです、何もかも時代のせいにするのはいかがなものかと思いますが、当時はそうせざるを得なかった……私はそれを理解できます」
村長はしばらく広瀬の顔を見つめていたが、やがて深々と頭を下げた。
こうして『ぼんぼり流し』の由来は村の歴史に書き加えられ、これからもずっと続いていくことだろう。
そして広瀬はもう一度あの光景を眺めたいものだと思いながら多忙な時を過ごしている。
(終)