堕とされしものたち 機械仕掛けの神
鴉に襲い掛かろうとしたリヴァイアサンであったが、その動きが急に止まる。鴉も動きを止めて"それ?を感じていた。
目の前にいるリヴァイアサンよりも強大な何かが近づいて来る。
下水が海のような大きい波をつくり、鴉が頭から下水を浴びた。
けたたましい咆哮が下水道に響き渡り、巨大な影が水底から頭を出した。それは鴉が先ほどまで戦っていたリヴァイアサンの二倍はあろう、超巨大リヴァイアサンの頭部であった。それを見た小さなリヴァイアサンは恐れを成して一目散に逃げ出した。
巨大なリヴァイアサンはギラギラと輝く瞳で鴉を見据え、ヒトの言葉をしゃべった。
「おまえが鴉か……随分と違うな……」
低く重々しい声が下水道の奥まで響き渡った。
リヴァイアサンを前にする鴉は無表情で、そこから彼の思いを窺い知ることはできなかった。
腹から唸り声をあげたリヴァイアサンは、その大きな瞳を鴉の目の前まで近づけて、臭い息を吐き散らした。
「鴉、俺がわかるか? おまえも随分と変わってしまったが、俺も負けてはいないぞ」
「過去は捨てた――おまえとは?初めて?会った」
「そうか、俺も楽園[アクエ]」を夢見るのは止めた。しかし……いや、いい。同じ堕天者[ラエル]同士で争うのは莫迦らしい。今は俺とおまえは戦う理由がない、それでいい。それに俺が動くたびに上に被害が出ていてはヴァーツに目を付けられる」
ここにいる理由はない。鴉は踵をきびしてゆっくりと歩き出した。
鴉の背中にリヴァイアサンが声をかけた。
「知っているか鴉。もうすぐ地上[ノース]におもしろいことが起きるぞ。おまえはどうするのだ、おまえは誰の見方だ?」
鴉は返事をしない。リヴァイアサンの言葉など耳に入っていないように歩き続ける。
無表情のまま歩く鴉の背中に大きな笑い声が届いた。
ベッド上で目覚めたファリスは部屋を見回し夏凛を見つけた。朝食を食べ終えた夏凛は紅茶を飲みながらテレビニュースを見ている。
「おはよう夏凛」
「うん、おはよ。昨日はよく眠れた?」
「……うん」
昨日はショッピングをして、夕食をファーストフードで済ませた。玄関が破損し、窓が割れて雨が吹き込む部屋に戻るのが嫌で、夏凛は高級ホテルに泊まったが、いっしょにいたファリスは少し落ち着かなかった。
ファリスは大きな窓から外を眺めた。窓は高い位置にあり、地上を行き交う車が小さく見える。雨が深々と降っていて、空はどんよりとしていた。
テレビを消した夏凛がファリスに声をかける。
「朝食食べるなら運ばせるけど、どう?」
「うん、食べる」
夏凛は朝食を頼み、フロントに電話を掛けてからしばらくして、部屋のベルが鳴った。
食事が届いたのだと思った夏凛はドアに向かった。ドアスコープを覗くとボーイと食事を乗せたカートが見える。
夏凛がドアを開けるとボーイがカートに朝食を乗せて部屋の中に運んでくれた。
「ありがと」
そう言って夏凛がボーイにチップを渡そうとした時、ボーイが不可解な行動を起こした。
瞬時にジャケットの内から銃を抜いたボーイは、ファリスを捕まえ銃口を夏凛に向けた。
「動くな!」
叫んだボーイを見て夏凛は大きな欠伸をして眠そうな表情をしている。
「誰に向かって口を訊いているのかな?」
夏凛の手が素早く動き、突如現われた大鎌によってボーイの手首が切断され、銃と手が宙を舞った。
ボーイが怯んだ隙にファリスは夏凛の後ろに素早く隠れた。
床に転がった銃を拾おうとするボーイの手を誰かの足が踏みつけ、ボーイが上を見上げると、そこには可愛らしい表情をした夏凛がいた。
「殺すんだったら、さっきの一撃で殺ってるよ。ちょっとお話がしたいの」
「話すことなんかない!」
「じゃあ、バイバ〜イ!」
大鎌が振り下ろされる瞬間、ファリスは強く目を閉じた。暗闇の中で男の断末魔が聞こえた。
目を瞑っているファリスの手を夏凛が引いた。
「早く逃げるよ」
「どこに?」
「どっか」
夏凛はファリスの手を引っ張って半ば強引に部屋の外に出た。
廊下に出たところで、遠くにいる男たちと夏凛の視線が合う。次の瞬間には男たちは夏凛たちの方へと駆け出して来た。
ファリスの手を放して夏凛が大声を出す。
「全力ダッシュ!」
夏凛が先を走り、ファリスが後を追って走る。その後ろからは男たちが追いかけて来る。
エレベーターの横を抜け、非常階段に差し掛かった夏凛は下ではなく上に向かった。
「どうして下に逃げないの!?」
「そんな普通なことしないの」
階段を上りきった夏凛は屋上のドアを蹴破って外に出た。
屋上は強い風が吹き荒れ、雨が二人に吹き付ける。ファリスには逃げ場があるように思えなかった。
「こんなとこに来てどうするの!?」
「ついて来て」
夏凛は大鎌でフェンスを切り裂いて下を覗いた。
地上は遥か下。人や車の往来が激しい道路が小さく見える。
夏凛が呟く。
「飛ぶよ」
この言葉を理解するのにファリスは少し時間を要した。
「えっ!? どういうこと?」
「そのまんま」
「無理だよ!」
屋上のドアから銃を構えた男たちが流れ込んで来た。もう、逃げ場はない。しかし、飛び降りるなど無謀だ。
「アタシは人間じゃない。行くよ!」
夏凛はファリスの身体を抱きかかえて屋上から飛び降りた。
落下する二人を風が煽り、轟々という音が耳に響き渡る。
あまりの恐怖にファリスは顔面蒼白になり、叫び声すら出せない失神寸前だった。それに引き換え夏凛は微笑んでいる。
地面が見えて来た。落ちて来る二人に気が付いた人々が指差して目を見開いている。
「衝撃に備えて!」
夏凛はそう叫んだが、もはやファリスの耳には届いていない。
激しい音が鳴り響き、コンクリートの地面が激しく砕け飛び、揺れを起こしながら夏凛は着地した。
「さすがに今のは身体の芯まで痺れたぁ〜!」
「…………」
ファリスは放心状態だった。夏凛が地面に下ろしてもまともに立てず、結局夏凛に担がれながらこの場から逃げた。
夏凛は路地裏に入り、物陰にファリスを下ろして自分も壁に凭れ掛かりながら座った。
「大丈夫、精神は還って来た?」
「……うん」
ファリスは小さくうなずいて見せたが、目の焦点が合っていない。
「ぜんぜん大丈夫じゃないじゃん」
「……大丈夫、少しずつ落ち着いてきた」
徐々にファリスの心臓はゆっくりと脈打ち出し、呼吸も静かになってきた。
ファリスはゆっくりと息を吐きながら空を見上げた。細いビルの一筋の隙間から、微かに灰色の空が見え、雨が顔を濡らす。
どうしてこんなことになってしまったのだろうと、ファリスが考えていると、横では夏凛がため息をついていた。
「もぉ、今日もサイテー。あのホテルには二度と泊まれないし、追いかけられるし、服は汚れるし、雨には濡れるし、しかも清掃員の仕事無断欠勤決定だよぉ」
「どうしてホテルにあんな人たちがいたんだろう。夏凛が誰かの恨みを買ったとか?」
「バカでしょアナタ。明らかにファリスを狙ってに決まってるじゃん」
ファリスは酷く驚いた表情をした。自分が狙われるようなことがあるとは思えなかった。
作品名:堕とされしものたち 機械仕掛けの神 作家名:秋月あきら(秋月瑛)