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第八章 交響曲の旋律と

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1.真白き夜明け−3



 明るい陽射しが、執務室を包み込む。薄く窓硝子が開けられていても、室内はほんのりと暖かかった。
 昨日は、やや風が強かったからだろうか。窓から覗く桜の枝は、だいぶ華やぎを失ってしまっている。止まっている雀が、どことなく寂しげに見えた。
 そんな中、執務机の奥で頬杖をつく、鷹刀一族総帥、鷹刀イーレオ。
 そして、その前に立つ、青年になりかけの少年、ルイフォン――。
 ルイフォンは軽く顎を上げ、いつもの猫背を伸ばし、イーレオと向き合っていた。
 髪は綺麗に梳(す)いて編み直し、毛先は真新しい青い飾り紐で留められている。その中央には、言わずもがなの金の鈴。上衣は、この国の人間が改まったときにしばしば着用する襟の高いそれであり、しかも首元のボタンは一番上まできちんと留めてあった。
 イーレオは息子の服装には何も触れず、ただ、その傍らのメイシアに、にやりとする。昨日までの彼女なら、彼の横に二歩、後ろに一歩ほど離れたところに立っていたはずなのだ。それが、今は真横に寄り添っていた。
「藤咲家当主、藤咲コウレン氏の救出作戦については、夜中に提出した報告書に書いた通りだ」
 ルイフォンがテノールを響かせた。
 まだ朝の早い時間帯のためか、いつもイーレオの後ろに控えているチャオラウはいない。部下たちに朝稽古をつけているらしい。昨日の夜は遅くまで執務室で待機していたはずなのに、ご苦労なことである。
 同じく総帥の補佐として執務室にいることの多いミンウェイは、先に寄ったコウレンの部屋に医者として控えていた。コウレンはまだ目を覚ましておらず、緊張して部屋を訪れたルイフォンは肩透かしを食らったのだった。
 その代わりに、というわけではないが、何故か背後にある応接用のソファーで、シャオリエがくつろいでいる。部屋に入った瞬間から、ルイフォンは気になって仕方がなかったのであるが、「ひよっ子は、他人を詮索するより先に、自分の仕事をしなさい」と言われてしまった。
 イーレオが、報告書を指しながら尋ねた。
「これに書いてあることに相違ないな?」
「ああ」
「ご苦労」
 そう言って、イーレオは眼鏡の奥の目を細め、魅惑的な笑みを漏らす。
「こちらも首尾は上々。お前の計画通りだ。エルファンの部隊に被害はないし、経済制裁の件はシュアンがよくやってくれた。斑目は近く、組織を大幅に縮小せざるを得なくなるだろう」
「そうか。よかった」
 失敗するとは微塵にも思っていなかったが、やはりほっとする。安堵の息をついたあと、ルイフォンは、にっと口角を上げた。
「まだ、親父を狙っている〈蝿(ムスカ)〉や、俺に何か伝えたかったらしいホンシュアの――〈七つの大罪〉絡みの問題が残っているけど、藤咲家に関しては、これで一件落着だな」
 ようやく、メイシアの今後についての話を切り出せる。本当は、彼女の父コウレンの許可を得てから、イーレオに持っていきたかったのであるが、眠っていたので仕方ない。
 ルイフォンは、猫のような目を好戦的に光らせた。そして勢いのままに口を開こうとしたとき、イーレオの苦い顔に気づいた。
「親父? 何か、あったのか?」
「捕虜の件でな。あとで皆を集めてミンウェイに話してもらう」
 その口調から、悪い報告だとルイフォンは察した。
 出鼻をくじかれた形になったが――しかし、今ここで言うべきことは言っておかねば、と彼は腹をくくった。
「……親父、大事な話がある」
「なんだ?」
 イーレオはルイフォンに目線をやった。その瞳は鋭く、冷たく、すべてを見抜くようで――実際、イーレオには、おおよその話の方向性は理解できていた。
 シャオリエが、にやりと笑いながら足を組み替え、体の位置をルイフォンの姿がよく見える向きに変える。その気配を感じながら、ルイフォンは口を開いた。
「メイシアが鷹刀の助けを得るために、親父と『取り引き』したのは承知している」
 承知しているも何も、彼の目の前で『取り引き』が成立したのだ。
「とりあえず、親父の愛人に。やがては娼婦になる、という約束だった」
「そうだな」
「その件、反故にして欲しい。――俺の交渉材料は、ふたつある」
 ルイフォンから、彼特有の豊かな表情がすっと消え去った。彼が〈猫(フェレース)〉として真剣に仕事をするときの顔。端正だが無機質で、目だけが異様に鋭い――。
「言ってみろ」
 イーレオは顎を載せていた掌から、顔を上げた。ゆっくりと背を起こし、軽く両腕を組んで睥睨する。それだけで、室温が一気に下がった。
「ふたつとも、俺が一族に貢献した案件だ。その報奨として、『取り引き』の反故を要求する」
「ほほう」
「ひとつ目は、藤咲メイシアの父、藤咲コウレン氏を斑目から救出した件。これは彼女との『取り引き』内容そのものだから、俺がやらなければ鷹刀の誰かがやることになったはずだ。――俺はこれを、綿密な事前調査や警備システムの無効化など、俺でなければ不可能な手段を用い、被害ゼロで成功させた」
「ふむ」
 イーレオが相槌を打つ。その腹の内は読むことができない。
「ふたつ目は、斑目への経済制裁を提案し、それを実行するための情報を集め、敵対組織を壊滅状態へ追い込んだ件。これは、まだ誰もやったことのない手柄のはずだ。しかも、こちらも鷹刀はまったくのノーダメージだ」
「そうだな。お前は実によくやった」
 深々と頷くイーレオに、ルイフォンは一歩前に勇み出た。
「なら、いいよな? メイシアの『取り引き』は反故だ」
 彼女を手に入れるために、最高の策を練り、最強の手札を用意した。
 総帥としてのイーレオの面目を潰すことなく、親子としての情に頼ることなく、誰もが納得するような、交渉材料だ。獲物を捕らえた猫の目が、口よりも明確に笑う。
 しかし――。
「いや、却下だ」
 短く発せられた低音が、無慈悲に響いた。
「な……っ!?」
「確かに、お前の働きは素晴らしい。本来なら、なんでも望みを叶えてやるべきだろう。――だが、あの『取り引き』は別だ。あれを反故にできる功績など、存在しない」
 落ち着いたイーレオの眼差しが、ゆっくりとルイフォンの顔をなぞる。ややほころんだ口元が、ルイフォンには嘲笑に思えた。
 ルイフォンは、つかつかと前に歩み出て、執務机を思い切り殴りつけた。
「ふざけんなっ! 何が不満だって言うんだ!?」
 机に載せられていた報告書が、振動で跳ね上がる。それはルイフォンの努力の結晶だった。
 しかし、目の前で拳を打ち付けられても、イーレオは微動だにしない。
「お前は、あの『取り引き』の本質が分かっていないな」
 イーレオの高圧的な物言いに、ルイフォンは逆上しそうになり、すんでのところで思い留まる。
 これは、交渉だ。喧嘩ではない。
 冷静になれ、と自分に言い聞かせ、彼は呼吸を整えた。背後ではメイシアが心配そうに見ている。負けるわけにはいかない。
「『取り引き』の本質とは、どういうことだ?」
 ルイフォンは問い返す。
「お前は、あの『取り引き』の内容をちゃんと覚えているか?」
「内容って……? 鷹刀がメイシアの父と異母弟を救出する代わりに、メイシアが親父の愛人になったのち、娼婦として働く、だろ?」
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN