選ばれた場所
これだけ言うのが精一杯だった。少し恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに、その相手について話し始めた一葉と向き合いながらも、わたしの胸は壊れそうだった。出来ることならば、この場で全てを打ち明けてしまいたかった。
でもわたしには、一葉のことが好き、大好き、そう叫んで抱きしめる勇気なんてなかった。
ただ目の前にある冷たい壁の前に立ちすくむことしかできなかった。
その後一葉に何があったかということについては知らない。聞きたくもなかったし、変に勘ぐるのも一葉に悪いような気がしたのだ。
一葉が誰と付き合おうと、わたしが一葉を好きなことには変わらない、それでいいと思った。この気持ちも伝えまいと決めた。今までの関係を壊したくはなかったし、もし一葉が誰かと付き合っているなら、それを邪魔したくはなかった。
片想いだっていい。
いや、その方が多分お互いにとって幸せだとわかっていたから、その先を求めるのは止めにした。
二年生になってクラスが別れてからは、わたしが塾に通い始めたこともあって、こうして昼休み位しか顔を合わせる機会もなくなってしまった。だからこそ、その僅かな時間を大切にしようと心に決めた。
わたしたちはいつもの様にまた声を潜めてお喋りに興じた。話すのは取り留めもないことばかりだった。多分他の人が聞いたら下らないと思う会話なのだろう。
でもわたしにとってはこの時間こそが至福の時だった。他愛のない話でも、ずっとずっと話し続けていられるような気がした。しかし気付くと時計はもう十二時五十五分を過ぎていた。
時間が止まればいいのに。
何度そう思ったのかはわからない。願わずにはいられなかった。窓の向こうの空はどこまでも突き抜けていくような青さで、午後の暖かい日差しの差し込む図書室の空気は、優しくわたしたちを包んでくれていた。
もし叶うのなら、この瞬間を切り取っておきたいとさえ思う。
わたしと一葉、二人だけの世界。
そんなことはムリだってわかってるのに――
それでも、
神様、どうかこの瞬間をわたしにください。
「――ちゃん、ねえ、奈っちゃんてば、どうしたの?」
「え、ああ、うん、なんでもないよ」
いけない。完全に自分の世界に入り込んでしまっていたようだ。
わたしはよっぽど妙な顔をしていたに違いない。その所為か一葉もなかなか信用してはくれなかった。
「ウソだー、なんか遠くの世界に思いをはせてるような感じだったよ?」
違うよ。
わたしが想っていたのは一葉がいるこの場所のことだよ――なんてことを言うわけにはいかない。適当に言い訳をしておかないと。
「いや、なんて言うか……空が青いなぁって思ってさ」
「ホント? 確かに青いけどさ。まぁいっか。あ、もうあと二分で授業始まっちゃうよ。奈っちゃん、行こ」
そう言って本を持って立ち上がった一葉に聞こえないようにわたしは呟いた。
「………………ばか」
時計を見ると確かにもう十二時五十八分になっていた。わたしも席を立って一葉の後を追った。
わたしたちはずっと一緒にはいられない。
それは痛いほどわかっている。
午後の魔法は実にあっけなく解けてしまうものだ。
(ここは選ばれた場所。そしてわたしの夢が果てる場所)
そう心の中で一言残してからわたしは図書室を後にした。