小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

選ばれた場所

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
十二時三十九分。いつも通りの時間。昼食を食べ終えたわたしは学食を後にした。
 これから行くところは決まっていて、食後は図書室に行くのがわたしの日課になっている。わたしの通っているこの高校では食堂は何故だか地下にある。図書室に行くには一旦上にあがって、さらに校舎と文化棟を繋ぐ渡り廊下を経由しなければならない。意外と道のりは不便なのだ。
 
 それでもわたしは飽きもせずに通っている。別にそれほど熱心な読書家というわけではないが、それでも行くのには理由があった。

 面倒な道のりも食後の散歩だと考えれば苦にはならない。食堂を出た時に感じる地下の冷たい空気はむしろ気に入っていた。生徒たちで溢れ返る食堂は、その熱気と暖房が相俟って、むっとするような温度になっている。重たいドアを開けて外に出た時感じるその冷気は、なんだかとても貴重なものように思えた。この時間に地下をうろつく生徒はいない。わたしが一人でその空気を独り占めに出来るのは有難い。熱くなった頬を冷ましながらわたしはゆっくりと歩きだした。

 渡り廊下は何故か二階にしかない。わたしの教室は三階にあるので放課後図書室に行こうと思った場合も多少の移動を強いられることになる。まぁそれは別にいいけども。足早に階段を上がって二階へ。廊下が騒がしいのはいつものことだ。むしろ廊下という場所はこうでなければいけないような気がする。そんなことを考えながらお喋りに興じている名も知らぬ後輩たちの脇をすり抜け、渡り廊下へと向かった。
 この廊下はかなり変わった造りになっている。壁というものが無いのだ。その替わりに鉄格子のようなものがはめられている点が最大の特徴である。通気性の向上を狙ったのかどうかは知らない。夏は確かに風が気持ちいいけれど、雨が降ると容赦なく吹き込んでくるのだからたまらない。
 文化棟と校舎の間で学年のわからない女子生徒たちがバレーをやっている様子が鉄格子の隙間から見えた。どうしてあんな風に食べてすぐ動けるのかわたしには理解できない。少しの間歩みを止めてその様子を眺めていたかったけど、腕時計を見ると時間は既に十二時四十四分を指していた。急いだ方がいいかな。この時間ならもう来ている頃だろうから。わたしは薄暗い文化棟へと足を向けた。
 文化棟はこの時間だと人気がないのに加えて、特別教室だけでなく廊下の電気まで切られているから、その静かさと薄暗さが余計に際立っている。けれども埃っぽい空気の所為か不思議と音は響かない。わたしの足音もどこかに吸収されてしまっているのか、コツコツというよりパタパタという僅かな音を立てるだけだ。目指す図書室は三階だった。というか三階全体が図書室になっていて、階段を上がるとすぐそこという構造だ。
 古びたドアを開けて中へ。その瞬間に鼻につく図書室独特の匂いは嫌いではない。入ると入室カードを書くのが決まりになっている。備え付けのちびた鉛筆で記入を済ませ、カウンター(でいいのかな?)に向かう。司書の先生はお昼寝の真っ最中のようだったので、一応黙礼をしてからカードを置いておいた。そして奥に目をやると、あぁ、もう来てる。最奥から二つ目、窓際の席。いつもと変わらない。先生を除けば二人っきりっていうのも。足音を立てないようにそっと奥へ向かった。
 一葉はいつものように同じ席で本を読んでいた。
「奈っちゃん」
 わたしの気配、もしくは足音に気付いたのか、本から顔を上げてわたしのあだ名を口にした。名前が奈津だから『奈っちゃん』。極めてシンプルかつ明確なあだ名なのでそこそこ気に入ってはいる。それにいつもと同じ敬礼のような手振りで応える。
「よっす」
 そして音を立てないように注意しつつ、向かいの席に腰を下ろした。色艶を失った木の机は二人で座っても大き過ぎるほどだった。一葉が本に栞を挟んでいる間にふと思いついた疑問を口にしてみた。
「一葉はいつも早いよね。お昼どうしてんの?」
「今日はあんまりお腹が空かなくて……」
「食べてないの?」
「うん」
「ダーメだよ、しっかり食べなきゃ。育ち盛りなんだし」
「ふふ、奈っちゃんってばお母さんみたい」
 言われて確かにオバサン臭いことをつい言ってしまっていることに気付いて、二人して声を出して笑ってしまった。そして「あ」と何かに気づいた一葉が、わたしの顔を指差しつつ、再び声を潜めて言った。
「奈っちゃん、頬っぺにご飯粒ついてる」
「ウソ? どこどこ」
「いいよ。わたしが取ったげる」
 そう言って一葉は右手の人差し指でわたしの左頬をすっとなでた。
 なんだか心までくすぐったいような感覚だった。
 一葉の体温が指と頬を通してわたしに伝わってくるようで、多分顔が少し赤くなってしまったかも知れない。
「一葉ったらもう……恥ずかしいよ」
「いいじゃん、誰も見てないんだし」
 カップルのようなやり取りがおかしくて、そしてまた二人して笑った。

 だけど――

 わたしたちは元々こんな風に仲がよかったわけではない。始めて話をしたのは、一年生の時にあった研修旅行の班決めの時だった。わたしも一葉も進んで話をする方ではなかったから、会話も弾むものでなく、むしろ気まずい沈黙が続いた時間の方が長かった覚えがある。
 打ち解けたのは二学期になってからだ。
 席替えの結果、一葉が窓際の列の一番後ろの席、わたしがその隣になったのがきっかけだった。現国の教科書に載っていた中原中也の詩について話したのを始めに、お互い本が好きだということがわかってからは、隣同士というのも手伝って段々と仲良くなっていったのだった。
 お互い帰宅部というのもあって、委員会(一葉は図書委員、わたしは美化委員だった)が無い時は、夕暮れ時まで教室に残って色々な話をした。
 淋しげな夕陽の差し込む窓際の席は、本当なら大嫌いなはずなのに、何故だかその時だけは居心地のよい空間へと変わっていたような気がした。
 普段ならただのコンクリートの箱にしか思えない教室が、特別な場所のように感じられ、一葉がいるだけで世界の見え方が変わったようにさえ思えた。
 何気ない一つ一つの会話も、目に映る景色も、取りこぼさないようにわたしは必死だった。

 二学期も終わりが近づいたある日の放課後。いつものようにお喋りに興じるはずだったのに、その日の一葉は口を開こうとはしなかった。
 わたしがいくら話しかけても上の空で、「うん」とか「そうだね」とか生返事をするばかりで、やがてわたしも頬杖をついて、窓の外に見える夕陽が傾く校庭をぼんやりと眺めていた。
 何分そうしていたのかははっきりとはわからない。でも一葉の頬が赤いのは、単に西日のせいではないような気がしていた。
 やがて決心したように一葉が切り出した。
「奈っちゃん、わたし好きな男の子ができたんだ」

 その時わたしの世界が揺さぶられるのがわかった。
 一瞬、視界がぶれる。ピントが上手く合わない。確かに目の前にいるはずの一葉がぼやけて見えた。

 ああ、そうか。

 わたしはようやく理解した。
 一葉を好きだということ。
 それも単なる友達としてじゃなく、女の子として。

 驚愕と自覚と混乱を必死に抑え込んで、なんとか冷静を装いつつ、
「そっか」
作品名:選ばれた場所 作家名:黒子