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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第一巻

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「?妖婦?がまた我が儘をしていると後宮中の噂になるもの。ミニョン、今はまだ特別尚宮に任命されたばかりだから、目立つことは慎みたいの」
「確かに、おっしゃるとおりです。私が浅はかでした」
 ミニョンは主君の命に忠実なだけで、悪くはない。 
「でも、そんな日が早く来ると良いわね」
 オクチョンが明るく言うのに、ミニョンも笑顔で頷いた。
 大王大妃には平気を装ったものの、やはり?妖婦?呼ばわりされるのは辛い。
―本当の私は妖婦などではないのに。
 大声で叫んで泣きたい衝動に駆られるときもあった。
 何も悪いことをしたわけではない、噂のように寝所でスンを惑わせているわけでもないし、ましてや兄を官職につけて欲しいなどと願った憶えもない。
―私はただ、スンの側にいられるだけで幸せなのに。
 ただの女官でいる限り、お手つきの女にすぎないから、特別尚宮となり正式な後宮の女として認められたのは嬉しい。スンの?妻?だという自覚が持てるからだ。
 でも、それ以上を望んではいない。側室になって王室の一員になりとも思わない。
 子どもはいつかは欲しい。オクチョンも若い娘だから、大好きなスンの子どもを授かり、産んで育てたい。できれば、スンによく似た女の子が欲しい。自分は虐げられて育ったから、娘には恵まれた環境で育って欲しい。
 側室の子でも、王の娘なら、少なくとも自分のような目に遭うことはない。そして、いつか我が娘も自分のように好きな男とめぐり逢って、幸せな結婚をして欲しい。―できれば、妻一人を愛してくれる誠実な男に嫁がせたい。
 自分はこれ以上、何も望まないのに、何故、他の人は自分を色眼鏡で見るのだろう。
 オクチョンは滲んだ涙をまたたきで散らした。
 彼女の服装も、女官の制服から今では一転して華やかなものになった。これでもう、スンから贈られた紅玉のノリゲも遠慮なくつけられる。
 ふいに、じっとりとした熱気を孕んだ風が殿舎と殿舎の小道上に舞い立った。
 纏った衣服の背筋をねっとりと汗がつたってゆく。庭園から聞こえる蝉の声も余計にうだるような暑さを増すようだ。
「八月も終わりだというのに、今日も暑いわね」
 傍らのシン尚宮に声をかける。腹の底の見えない人ではあるが、これからはお付きの尚宮として仕えてくれるからには、打ち解けたかった。
 気心が通じているので、ミニョンとは色々と話すが、シン尚宮とはいまだ腹の探り合いをしているような感じで、彼女の人となりが?みきれない。
「戻りましたら、早速、冷たいお茶をお持ちしましょう」
 シン尚宮は、にこりともせず応える。しかし、口元がかすかにほころんでいる。筆頭尚宮だからといって偉ぶってもいないし、女官たちに混じって、てきぱきと仕事を片付ける一面もある。
 きっと悪い人ではない。何より、これからずっと側にいてくれる尚宮なら、良い人だと信じたかった。
―そなたは人が好すぎる。
 スンの言葉が耳奥で甦る。
 オクチョンは微笑んだ。いつだって、大好きな彼を思い出すと、一人でに笑顔になれる。
 空を見上げれば、蒼い空が宮殿の壮麗な瓦越しにひろがっている。絵筆で描いたような入道雲が涯(はて)に大きく見えた。
 スン、それでも私は人を信じたいわ。
 オクチョンは今は大殿で政務を執っているはずの想い人に話しかける。
 疑心暗鬼で誰かを疑うのは哀しいことよ。
 私はたとえ馬鹿だ、お人好しだと笑われても、最後まで信じたい。裏切って誰かを泣かせるよりは自分が裏切られて泣かされる方が良い。
 多分、本当にそう言ったら、スンには
―馬鹿だな。
 と、笑い飛ばされるだろうけれど。
 もう一度、可憐な薄紅色の紅吊舟を名残惜しげに見てから、オクチョンは歩き出した。
 チャン・オクチョン、この時、十七歳。粛宗と出逢って五ヶ月になろうとしていた。
   



 

インパチェンス
  花言葉―和名は紅吊舟(べにつりぶね)。
私だけを見て、鮮やかな人、強い意思、豊かさ、私に触れないで、短気、おしゃべり、目移りしないで、浮気しないで。
 英語名は「せっかち」という意味。触れただけで種が弾けるところから命名。
 七月二十四日の誕生花。

ルビー
  宝石言葉―情熱、 勇気、威厳、活力、集中力、努力。「炎の石」、「情熱の石」、「勝利の石」と呼ばれる。七月生まれの誕生石。和名は紅玉。
   
 









※この作品は史実を元にしたフィクションです。