暦 ―こよみ―
如月(四)留守番
この日、由紀子は珍しくしっかりとしたメイクに、華やかなヘアースタイルで家を出た。コートの下はドレス、今日は友人の結婚式だった。
家を出る時、妹の早紀子が囁いた。
「お姉さん、今日はチャンスよ。新郎の友人たちをよく見てくるといいわ。胸がときめくことがないか? どこにいても直樹さんのことが思い浮かぶか? そして、花嫁さんに自分の姿をダブらせたいか?」
「はい先生、自分なりによく観察してくるわ」
姉を送り出し居間に戻ると、保子が朝食の片づけをしていた。
「由紀子は出かけたのね?」
「ええ、今。お姉さんて磨けば光るタイプよね、今日つくづく思ったわ。身内の私から見てもホント綺麗だもの」
「何生意気なこと言ってるのよ。それよりあんたはこれからどうするの?」
片付けを終えた保子が椅子に座って話しかけた。その流れでしかたなく早紀子も正面の椅子に腰かけた。
「とりあえず来月の卒業式を終えたら、バイトでもしようと思っているの。あとのことはそれからゆっくり考えるわ」
「専門学校へでも行くとなれば、手続きとか早くしなければならないでしょうから、そんな暢気なことは言っていられないんじゃないの? 何か身につけたいようなことはないの?」
その時ちょうど電話が鳴った。保子が電話に向かっていくのを機に、早紀子はグッドタイミングとばかり居間を後にした。
早紀子が自分の部屋でメールチェックをしていると、母の保子がノックをして入ってきた。
「今の電話、横浜のお義姉さんからだったんだけど、お姑さんの具合が悪いみたいなの。入院したらしいからちょっとお父さんとお見舞いに行って来るわ」
「そう、わかった、留守番はまかせといて」
その日は宅配が来ることもなく、友だちからのメールもなく、誰とも接触することなく一日が過ぎて行った。
(卒業して何もしなかったら、こんな日が続いてしまうのかしら? これで、昼夜逆転でもしたら立派なひきこもりだわ)
先日、姉にはダンサーになりたいなんて言ってしまったが、もうそんな気持ちは失せていた。
友人たちの進路が次々と決まりだしてくると、さすがの早紀子も心中穏やかではなかった。自分だけが取り残されていく、そんな気がした。友人たちもそれを察したのか、進路の決まらない早紀子への連絡を控えるようになっていた。こちらから連絡すれば遊んでくれるだろうが、早紀子自身、今はそんな気にもなれない。
夜になり、みんなが帰ってくると、家の中はいつものにぎやかさを取り戻した。
「お帰り、お姉さん、結婚式はどうだった?」
「後でゆっくり話すわ」
「お母さん、横浜のお姑さんの具合はどう?」
今日の早紀子は一段とおしゃべりだった。友人と話す機会がなければ家族と話すしかない。
「それがね、入院が長引きそうなのよ。それも悪いことって重なるものね、お義姉さんも先週転んで足を骨折してしまったんですって。心配かけると思って言わなかったみたい。こんな時にお義姉さんまで動けないのでは、お義兄さん一人ではどうにもならないわね」
「あら、それは大変ね」
由紀子が心配そうに言った。
「ヘルパーさんに来てもらっているそうだけど、毎日というわけにもいかなくて困っているそうよ。私が通ってもいいんだけどこの家のこともあるし、早紀子、あんたもう学校は卒業式に行くだけよね? 手伝いに行ってもらえないかしら? なんだったら泊まり込みで」
「ええ! 私が?」
「そうね、早紀ちゃんならおしゃべりだから、家の中が明るくなって伯母さんたちも喜ぶんじゃないかしら。それにお母さんが行くより、伯母さんも気兼ねがいらないでしょうし」
「お姉さんたら……私が家事なんかできないの知ってるでしょ!」
「だからいい経験になるじゃない。ウチに居たらお母さんに甘えて何もしないんだから、伯母さんのところで教えてもらってくるといいわ」
「あんた、バイトするって言ってたわよね? 私がちゃんとバイト代払うわよ。それに、お義兄さんが来月で早期退職するそうだからそれまでの間だけよ。あんたが進路のことで用がある時は私が代わるから」
「それはないと思うけど……」
「それなら、決まりね。お金をもらえて家事も覚えられるなんて、それこそ一石二鳥だわ。期間限定だというし大丈夫よ、早紀ちゃん、がんばってね」
「…………」
由紀子が寝ようとベッドに入ろうとした時、早紀子が声をかけてきた。
「お姉さん、寝た?」
「今寝るところよ」
ドアを開け、モコモコのパーカーを羽織った早紀子が入ってきた。
「ちょっといい?」
「よその家って勝手がわからないから、確かに大変よね。でも――」
「違うわよ、その話じゃないわ。もうお手伝いさんのバイトはしっかり引き受けることにしたから」
いつまでも、ぐちぐちと言わないところは早紀子らしかった。
「じゃ、何?」
「今日の結婚式、どうだったかなと思って」
「ああ、その話ね。いいお式だったわよ」
「素敵な男性はいなかった? 直樹さんと比べてどうだった?」
「そうね……新郎の友だちは、もう半分くらいは既婚者だったわ。薬指に指輪をしてたから。みんなもう三十過ぎているしね。それに、こう言っては失礼だけど、既婚者組の方が魅力的な人が多かったような気がするわ」
「残るべくして残ったってことか」
「そんなはっきり言ったら失礼じゃない。それに、それを言ったら私だって残り組だわ」
「たしかにそうだ!」
早紀子は声を上げて笑った。そんな妹につられることなく、神妙な顔つきで由紀子は言った。
「それでね、思ったんだけど、私はもともと男性に恋をするたちではない気がするの。今までもそうだったから、たぶんこれからも。でも、人並みに結婚はしたいわ。ずっとひとりで生きていく自信はないから。だから、私を望んでくれる人と結婚したいと思うの」
「なんだか私にはよくわからないけど、直樹さんでオーケーということね」
「そういうことになるかな……」
「なんか直樹さんがかわいそうな気がしてきたわ。そんな消極的な理由で結婚相手に選ばれるなんて」
早紀子はそう言って自分の部屋へ引き上げていった。由紀子は、傍らにあったスマホをとると直樹にメールを打った。
『今日、友人の結婚式に行って来ました。
幸せのおすそ分けをもらってきたような気がします。
おやすみなさい』
「これなら、消極的ではないわよね」
そうつぶやいて、送信ボタンを押した。