暦 ―こよみ―
長月(四)母ひとり子ひとり その二
「お姉さん、本当に素敵なお母さんなのよ」
「はいはい、もう何度もお聞きしました」
「何回でも言いたくなるくらい、素敵なのよ」
「早紀ちゃんが変わっているのは今に始まったことではないけど、お姑さんに当たる人をそんなに気に入るなんてね」
「お姉さんは直樹さんのお母さんどう思うの?」
「ええ、それは素敵な人よ」
「じゃあ、私たちは、そろって素敵なお姑さんに恵まれた数少ない幸運な姉妹というわけね」
「まあ、そういうことになるかしらね」
渉の実家から帰ってくると、早紀子は家族を捕まえては佳子の話をした。
「あの子にも呆れるわね、まるでお姑さんが恋人みたいなんだから」
母の保子は苦笑したが、父の和孝は娘を見直したようだった。
「今どき、姑と仲良くしようなんて娘はそうはいないだろうな。早紀子はたいしたものだ」
「変わり者なだけですよ。それにまだ一度会っただけなんですから」
「第一印象は大切だ。これはひょっとすると、由紀子に続くかもしれないな」
「あら、あなたは、まだ若い早紀子が片付くのは反対だったんじゃないんですか?」
「歳など関係ないさ。嫁ぐというのは、相手の家に馴染もうとする気持ちが一番大切なんだ。兄貴のところをみればわかるだろう?」
「何もお義兄さんを引き合いに出さなくても……」
「呆れちゃうでしょう? 早紀子ったら、もうお姑さんにぞっこんなんだから」
「そこが早紀ちゃんの面白いところだと思うよ。人と違った感性というか、一見、自由奔放に見えるけど、意外と物事をしっかり見据えて堅実さを大切にしているというか。とにかく面白い子だね」
直樹と由紀子はいつもの店で、遅い夕食を取っていた。食後のコーヒーを飲みながら、直樹はさらに続けた。
「今夜のデザートは、早紀ちゃんの長野旅行だったね。楽しい話を聞かせてもらったよ」
「私ったら、今夜はちょっとおしゃべりだったわね」
「由紀子さんのおしゃべりなら一晩だって付き合うよ」
「まあ、直樹さんたら……」
「ところで、由紀子さんのお姑さんのことなんだけど」
「え? あらイヤだ、一瞬誰かと思ってしまったわ。直樹さんのお母さんのことね」
「その母が、あの黒木さんとシンガポールに行くことになるらしくて」
「え! どういうこと?」
「仕事の関係で急に出た話でね、僕たちの結婚を待っていっしょに暮らすつもりだったのが、どうも早まりそうなんだ」
「そう、別にいいんじゃない、どちらが先でも」
「僕もそう思うよ。待ってられるのもなんだか居心地が悪いしね」
「そうね、たしかに」
「それでね、初めは入籍をする気はなかったらしいんだけど、海外で暮らすとなると、ちゃんと夫婦になった方がいいってことになってね。来月、お披露目みたいなのを内々でやりたいらしいんだ」
「それはよかったわね。お母さんもお嫁さんか……」
「披露宴まで先を越すことになってしまって、申し訳ないって言っているけどね」
「そんなことかまわないわ。喜んでお祝いに行かせていただくわ」
「由紀子さんなら、そう言ってくれると思ったよ」
「私より、直樹さんが寂しんじゃない? お母さんの結婚披露宴を目の当たりにするなんて」
「今の僕には、由紀子さんがいるじゃないか」
「あら、それはおめでたいこと続きでいいんじゃない」
家に帰った由紀子は早速、直樹の母、美沙子の入籍披露のことを母保子に報告した。
「日にちが決まったら言うから、その日は空けておいてね。内々ということだから、お兄さんと早紀ちゃんと五人で伺えばいいわよね」
「招待するのはあちらだから、正式な招待状をいただいてからのことね。浩一や早紀子にはまだ言わない方がいいと思うわ」
「そうね、じゃお父さんとお母さんは確実だと思うから、よろしくね」
しばらくして、由紀子は直樹からその招待状を受け取った。それには、こちら側の招待客のリストも添えられていた。
そこには和孝夫婦、浩一夫婦、由紀子、早紀子と渉、政興、節子夫婦の名があった。
「まあ、横浜のお姉さんや渉くんまでって!」
「政興伯父さんには遠方の金沢からということで、御車代を送付する旨まで書かれているわ。
金沢のおじいちゃんとおばあちゃんは、ご高齢で大変でしょうから、私たちの結婚式の時にご挨拶させていただきます、とも」
「まあまあ、いろいろと気を使っていただいて。それにしてもこんなに大勢だなんて」
「内々って聞いてたから、まさかこんなに呼ばれるとは思わなかったわ」
「これではこちらの身内ばかりになってしまうわね。お母さんが、直樹さんを託したいのは由紀子だから、こちらの身内に息子をよろしくって伝えたいのね、きっと」
「そういえば、渉くんのところも母ひとり子ひとりだけど、直樹さんのところほどそれにこだわっていないわね。早紀ちゃんも気にしていないようだし」
「たしかに、あなたたちは姉妹そろって、同じような境遇の人と結ばれることになるなんて、奇遇だわね」
「でも、中身は全然違うんですものね。直樹さんのお母さんと私はそれを意識しすぎるのかしら? だって早紀ちゃんたら、まったく気にする様子はないし、渉くんのお母さんも自然な感じですものね」
「それぞれ相性というものがあるものなのよ。由紀子のところは互いに気遣い、早紀子のところはストレートに心に飛び込んでいく。どちらもそれでうまくいっているのだからそれでいいんじゃない?」
「そうね、でも早紀ちゃんを見ていると、気を遣い合うのって必要かしらと思えてくるわ」
「たしかに、早紀子の方が楽そうに見えるわね。でも、だからって由紀子にはああはできないでしょう? それぞれの性分だから仕方ないわよ」
「その通りね。直樹さんのお母さんは、姉のような親しみを感じる時もあるけど、やっぱり一定の距離を置いてしまうわ」
「それが普通よ、早紀子が変わっているのよ。それは由紀子が一番わかっていることでしょう?」
「そうでした。あとは披露パーティーがうまくいくといいんだけど」
「早紀子がいるから、大丈夫よ」
「そうね、最高のムードメーカーですものね。ホント心強いわ」
どこまでも頼りになる妹が帰ってきたら、この報告をしなければならない。今夜は美味しいコーヒーでも入れてあげようと由紀子は思った。