暦 ―こよみ―
食事を終えたふたりは、ホテルの一室にいた。
由紀子は緊張のあまり、先ほどの料理の味など全くわからかった。ただ機械的に、食べ物を口に運んでいただけな気がする。直樹は明らかに様子が違う由紀子を気遣い、柔らかな雰囲気を作ろうと心掛けた。いつもの笑顔で優しく話しかけたが、そんな直樹に、由紀子は作り笑顔を浮かべるだけだった。
そして、部屋に入ったふたりだったが、ツインのベッドを目の前にして、由紀子はただうつむいてソファーに掛けていた。すっかり黙り込んでしまった由紀子に、直樹はにこやかにこう言った。
「由紀子さん、やっぱり今夜は疲れたので休むことにしましょう。だから安心してください。僕は先にシャワーを浴びて寝ますから、その後、由紀子さんも自由にくつろいでくださいね」
そして直樹は浴室に向かい、シャワーの音が聞こえてきた。
浴室でシャワーを浴びながら、直樹はこれでよかったんだと思った。あんなに怯えているというのは、男の自分にはわからない強い抵抗があるのだろう。愛しているからこそ、すべてを抱きしめたいのに、それが彼女にとって苦痛であるというならいたしかたない。
(いつか自然に受け入れてくれる時がきっと来る。今はまだその時ではないんだ。
でも、隣に由紀子さんが寝ていると思うと、今夜はとても眠れそうにないなあ……)
由紀子はシャワーの音を聞きながら、じっと身を固くしていた。やがて、浴室から直樹が出てくると、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、それを飲み干した。
由紀子はというと、表面上は、あいかわらず人形のようにじっと息をひそめていた。しかし心の奥では激しく葛藤していた。そう、お部屋は一緒でいいですよね? と言われてからずっと……。
そんな由紀子の気持ちをほぐし、楽しい旅の締めくくりに戻そうと、直樹はやさしく語りかけた。
「由紀子さん、今日はちょっと疲れたけど楽しかったですね。じゃお先に、また明日。おやすみなさい」
そう言って、直樹はベッドに入った。
いつまでこうしているわけにもいかない。由紀子はソファーから立ち上がると、着替えを持って浴室に向かった。そして、シャワーを浴びながら、目を閉じた。
(いい歳をして、私はまるで駄々っ子だわ。直樹さんが望むのなら、そして幸せな結婚生活のためにいつかは乗り越えなければいけないことなら……)
恥じらいと不安に揺れ動きながらも、体を打ちつける湯に勇気をもらい、由紀子は決心した。
そしてバスタオルに身を包み、浴室を後にすると、ためらうことなく直樹の元へ向かった。