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暦 ―こよみ―

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睦月(一)新しい年


 慌ただしい年末も押し迫った大晦日、由紀子は真新しいカレンダーの表紙をめくり、リビングの壁に止めた。新年を迎える準備が整い、ホッと胸をなでおろす。あとは新しい年を迎えるだけだ。
 明日は元日。来年は平成最後の年、そして元号も変わる。自分にとってもどんな一年になるのだろうと由紀子は思った。
 

 真中由紀子、二十八歳。都心から少し離れた東京のベッドタウンと呼ばれる閑静な住宅街に、両親と妹と四人で暮らしている。五十五歳の父、和孝と、五十三歳の母、保子、そして、高校三年の妹、早紀子とは十も歳が離れていた。それから、兄、浩一は三十歳、高校の同級生だった多恵と結婚し、三歳ののどかと二歳のまどかというふたりの子どもの父親になっていた。
 
 元日の朝、由紀子が目覚めると階下からかすかにテレビの音が漏れてきた。正月恒例のお笑い番組だろうか、にぎやかな笑い声がする。
 さあ、新しい年が明けた。由紀子はベッドから起き上がり、薄紅色のカーテンを開けた。朝の柔らかい陽射しが射し込み、部屋が一気に明るくなった。その陽射しに誘われ窓を開けると、一瞬にして真冬の冷気が肌を刺す。すぐに窓を閉め、エアコンのスイッチを入れた。
 由紀子は控えめでおとなしい性格だったが、その容姿は目を引くものがあった。顔だちにもその内面が表れ、人に優しい印象を与えた。学生時代、年齢より落ち着いたその雰囲気に惹かれた男子たちは、気軽に声をかけられず遠巻きに見ていることが多かった。そのため高嶺の花とまではいかないが、何事もなく学生生活は過ぎ去り、社会人になっても変わりなく穏やかな日々を送っていた。
 
 
 部屋が温まる頃には正月を意識して普段着より少し改まった装いで、由紀子はテレビの音のする階下に降りた。リビングに入ると、父和孝が年賀状に目を通していた。母保子はテーブルにおせちを並べているところだった。
「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
 親子の間で一年に一度だけよそよそしい挨拶が交わされる。それが終わると、
「ほら、由紀子、お燗ができたから持って行って。お父さんも用意ができたから食べましょう」 
いつもの会話に戻る。
「早紀子はまだ起きないのか?」
 年賀状の仕分けを終え和孝が聞いた。
「昨日は友だちと初詣に行くとかで、今朝方帰ってきたみたいですよ。午前中は起きませんよ、きっと」
「それでお前何も言わなかったのか! 若い娘が朝帰りだなんて」
「大晦日くらいいいかと思って。電車も終夜運転していますし、街も賑やかですから」
 夫婦の会話に由紀子が割って入った。
「お父さん、いつの時代の話をしているの? そんなこと言っていると年寄り扱いされるわよ」
 女ふたりを相手に、和孝はちょっとむきになった。
「早紀子は今年大学受験を控えているんじゃないか。遊び回っている場合じゃないだろう。母さんがしっかりしなければダメじゃないか!」
 保子に代わって由紀子が答えた。
「だからこそ神頼みにお参りに行ったんじゃないのかしら。それにお正月くらい息抜きさせてあげていいんじゃない? 気晴らしも必要だと思うわ。だいたいもう親の言うことなんて聞く歳ではないし」
「そんなもんかね。父親の威厳なんて地に落ちたものだ。こんな時代に親になんかなるもんじゃないな、まったく」
 すっかり機嫌を損ねた夫をなだめるように保子が言った。
「お父さん、お正月からそんなこと言わないで下さいよ。子どもたちはお父さんがいてくれるから、安心して暮らしていられるのをよくわかっているんですから」
「どうだかな」
「それはそうと、お正月明けに金沢のお義父さんたちがみえるんですよね?」
「え? おじいちゃんたちが来るの?」
 お節に伸ばしかけていた箸をおいて由紀子が聞いた。
「七日に金沢を出て、世田谷のお義兄さんの所にしばらくいてから、ウチへ来るそうよ。それから横浜のお義姉さんのところへ行くみたい」
「そうなんだ。みんなのところを回るのね。滅多にないことだから歓迎しなくちゃね」
「そうね、お義父さんたちには気持ちよく過ごしていただけるように準備しなくちゃね。それからどこか観光にもお連れしなくては」
「そんなことは兄貴や姉さんがするだろうから、ウチはいいんじゃないか」
 和孝が口を挟んだ。
「そうはいかないですよ、ただ、家に居てもらうというわけには」
「それにしても親父たち、またなんで急に来るなんて言い出したんだろう? あの歳でここまで出てくるのは大変だろうに」
 その時、リビングのドアが開きパジャマ姿の早紀子が入ってきた。
「そんなの決まってるじゃない、誰も来てくれないから自分たちの方から会いに来るのよ」
「あんた、何その恰好は! 今日は元日よ、ちゃんと着替えてらっしゃい!」
 保子がぴしゃりと言った。
「そうだったわね、あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」
 パジャマ姿のまま、早紀子はちょこんと頭を下げた。
「早紀子!」
「いいじゃないか母さん、正月からそんな大きな声を出すなよ」
「お父さんこそ、きっちり言ってやってくださいよ」
「そうよ、さっきは父の威厳がどうのって言ってたじゃないの」
 由紀子が呆れて口を出した。
「まあ、正月だから大目に見てやるさ」
「父上様はさすが心が広い」
 すました顔の早紀子に和孝が言った。
「調子に乗るな! そうだな、親父たちが上京したらみんなで歓迎するとするか」
「そうですよ、子どもたちが小さい時はお正月やお盆には、よく金沢へ里帰りしてお世話になったものでしたね」
「そういえば、私たちが大きくなってからいつのまにか行かなくなったわね」
「まあ遠いからな、子どもたちの成長を見せるとか、何か用でもなければなかなか行かないさ。電話で元気な様子はわかるしな。でも、もう親父もお袋も八十過ぎているから、ここらで親孝行でもしとこうか」
「そうですね、ゆっくりしていってもらいましょう」
「私が東京を案内するわ」
 早紀子がそう言うと、
「何言ってるの! あなたは受験生でしょ。そんな暇はありません!」
 保子の言葉に答えるように由紀子が言った。
「私が行くわ、おばあちゃんたちとはもう何年も会ってないけど、小さい頃に優しくしてもらったことはよく覚えているの」
 テレビからは相変わらず、にぎやかな笑い声が聞こえてくる。由紀子はふと、金沢で二人きりで正月を迎えている祖父母のことを思い浮かべた。
「どうせなら、こっちでお正月を迎えればよかったのにね」
「帰省ラッシュを避けたんだろう」
「そうだったわね、民族大移動ですもの、お年寄りには無理よね」
 父の言うことにもっともだと思いうなずく由紀子の隣で、早紀子はお節をつまんでいた。
「早紀子! つまみ食いなんかしてないで早く着替えてらっしゃい!」
「は〜い」
 早紀子はかまぼこを一切れ手にして、部屋を出て行った。
 
 次女の早紀子は、背が高く、はっきりとした目鼻立ちの、ショートカットのよく似合う今どきの女子だった。性格も見かけ通りで、思ったことは口に出し、いつもマイペースで周りを振り回す。
作品名:暦 ―こよみ― 作家名:鏡湖