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【短編集】人魚の島

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 レガンプが保証したとおり、ザッカスはその貧相な見かけによらず、なかなかの名医だった。
 診療室にダンを連れこみ、丹念に診察する。右腕の傷口を薬酒で消毒してから手早く縫合し、紫色のドロリとした軟膏を塗って清潔な包帯を巻く。右の太腿の傷には真っ黒な軟膏を塗りたくった。痛み止めとして渡された赤黒い液体は、腐ったタマゴのようなにおいがしたが、飲むと意外に気分がスッキリした。
「肋骨は折れていないよ。単なる打撲だ」
 脇腹の具合を診たザッカスは白い眉を下げて、カラカラと笑う。
「二、三日もすれば痛みも消えるだろうよ。おまえさん、頑丈じゃな」
 傷の手当ては終わった。が、どんな名医でも予防できない症例が、ダンの身体をむしばんでいたのである。
(ウプッ……気持ち悪い)
 船酔いだった。
 これは想定外だった。もちろん、船に乗った経験がないのだから、船酔いも初めての経験である。初めての実戦も含めて、今日はいろんな意味で記憶に残りそうな日だった。
「船酔いによく効くクスリをあげようか? おそろしくまずいがな」
「……お願いします、先生」
 ザッカスが処方したクスリを飲む。たちまち吐きだしそうになった。とてつもなく、まずい。はっきりいって、人間の飲み物じゃない。クスリじゃなくて毒なのではないだろうか?
 しばらく寝台に横になっていた。すっかり吐き気が治まったわけではないが、どうにか胃袋が落ち着いてくる。痛み止めも効いてきたようだ。えぐるような痛みもガマンできるぐらいになった。
「……おお、そうじゃ。もっといいクスリがあるぞ」
 ザッカスが壁につくりつけの棚をまさぐる。なにやら茶色の丸いかたまりがはいったビンを取りだした。
「なんですか、それ?」
「これぞ南国の秘薬! 強精剤じゃよ、強精剤!」
「……は?」
「なんじゃ、知らんのか。強精剤というのは……」
「いえ、そういうことじゃなくて、どうしておれに勧めるのかと……」
「船のなかでやれることといったら限られておるぞ? おまえさんがうらやましいのう。ワシももう少し若かったら……」
「…………」
「ん、なんじゃ、いらんのか?」
「一応、もらっておきます」
 ダンは南国の秘薬を三粒、ありがたくちょうだいして、腰に下げた巾着(きんちゃく)に入れた。
「あのお嬢さんを最後まで守ってやれ」
 ダンが診療室を引き払うとき、ザッカスが彼の背中に声をかけてきた。ダンが振り返ると、老いた船医はテーブルの上に置いた四角いビンから木杯に白っぽい酒を注いでいる最中だった。
「先生?」
「ワシは何年も船のなかで過ごしてきた。この船の船長よりもずっと長いあいだ、な。だから、わかる。あのお嬢さんは人魚に魅入られてる。あのお嬢さんと同じ、きれいな黒い瞳をワシは以前にも見たことがあるんだよ」
「人魚に魅入られてる? どういうことですか?」
「おまえさんにあげた強精剤……」
 ダンの質問には答えず、木杯の酒を一息にあおり、ザッカスは悠然と言を継ぐ。
「人間の男が使えば精を増すクスリとなる。つまり、生命力が増す、ということじゃ。あのお嬢さんに使えば──命を奪う毒となるだろう」
「……な?」
「ワシの口からはこれ以上のことは言えん。あとはおまえさんとあのお嬢さん次第じゃ」
 ザッカスの首をしめて彼の知っていることを洗いざらい聞きだしたい衝動がこみあげてきた。猫背の老人はもうダンの姿が目に入らないかのように、黙々と酒杯を傾けている。
 ダンはため息をつく。きびすを返して、診療室をあとにした。

 ダンとティアナにあてがわれた船室はひとつだけだった。護衛という立場上、彼女と別の部屋で寝るわけにはいかない。あんなことがあったのだからなおさら、彼女のそばを離れることはできなかった。とはいえ、豊満な身体つきの美少女と寝食をともにするのはいろいろと不都合がありそうだ。
 そうした不都合のひとつがさっそく出来(しゅったい)した。
 割りあてられた船室のドアを無造作に開ける。
 ティアナが着替えている真っ最中だった。
 下着姿のティアナと正対する。露出した白い肌に自然と視線が吸い寄せられる。
 ふくよかな胸のふくらみの半分以上が下着からはみだしていた。
 腰着に足をとおしている途中でティアナの動きが固まった。目を丸くする。口が開く。
 悲鳴を聞くまえにダンは急いでドアを閉めた。あてもなく船内をぶらつく。傷の痛みがあるおかげでよけいなことを考えずにすんだ。ぐるりと下甲板を一周し、自分たちの船室に戻る。今度は慎重にドアをノックした。室内から返事。声の調子からは怒っているのかどうかはわからない。
 ドアを開け、室内に足を踏み入れる。ティアナは壁に固定された腰かけ板に座っていた。顔が赤い。平静な表情をたもっているが、ちょっと涙ぐんでいるかもしれない。
「あー、その……おれが悪かった。ごめんなさい」
「そこに座ってください」
 ティアナが対面に置かれた椅子を手で示す。ダンは素直に彼女の指示に従う。
 床に釘で固定された椅子は、妙に座り心地が悪かった。針のように鋭いティアナの眼差しにさらされているからかもしれない。部屋に立ちこめる花の香りがきつい。それに、以前にもかいだ甘ったるいにおい──なにかがゆっくりと腐っていくときのにおいがする。
 ダンは両方のこぶしをギュッとにぎる。彼女に言いたいことは山ほどあった。正直、なにから言えばいいのかわからないぐらいだ。それなのに、こうしてティアナと向き合って、闇の色をした双瞳に見つめられると、言葉が喉につまって息苦しさを覚える。
 あのお嬢さんは人魚に魅入られてる──ザッカスの言葉が脳裏にちらつく。
 が、ザッカスはこうも言っていた。あのお嬢さんを最後まで守ってやれ、と。
 だからこそ、確かめずにはいられない。ティアナ自身のことを。
「……いい加減、全部を話してくれないか」
 ティアナは顔色を変えない。全身で受け止めている。ダンの言葉を、想いを。
「すべて打ち明けたくないのなら、せめてこれだけでも教えてくれ。あんたを狙ってる連中は誰なんだ? あんたは誰から逃げている?」
「彼らはたぶん、〈カラスの羽〉──表沙汰にはできない仕事ばかりをこなす、国王直属の私設部隊です」
 あっさりと答えが返ってきたので、その意味がダンの頭に浸透するまでしばらくの時間が必要だった。
「……まさか、あんたは国王に追われてるのか?」
「そうです。わたしを殺そうとしているのはこの国の国王、ダウセル三世です」
 ティアナが寂しそうな笑みを浮かべる。力のない笑い声が彼女の口から洩れた。
「どうして国王はあんたを殺したいんだ?」
 ティアナは黒い瞳をそっと閉じた。唇をかむ。肩にかかった銀髪の房を細い指先がもてあそぶ。苦しげな顔。ゆっくりと息を吸い──間を置いてから目を見開く。
「わたしは……」
 そのとき──
 ドアを乱暴にたたく音がした。
 ハッとしたふたりが振り向く。
「そこにいるのか! 返事をしてくれ!」
 ドアの向こうのその声はザッカス──猫背の船医のものだった。
作品名:【短編集】人魚の島 作家名:那由他