【短編集】人魚の島
旅路の果て
ゼネラル・ロボット社製のR型家庭用ロボット、製造番号五〇三七七を購入したのはごく普通の家庭だった。
その家にはハルという名前の男の子がいて、ゼネラル・ロボット社の販売店から配送されてきたピカピカのロボットをひと目見るなり、こう叫んだ。
「ライトだよ! このロボットの名前はライトっていうんだ!」
それを聞いた両親は苦笑を洩らした。というのも、ライトという名前のロボットをハルは以前から宝物のように大切にしていたからだ。
ただし、ロボットといっても、それは太陽電池で動く、高さが二十センチほどのオモチャでしかなかった。周囲の状況に合わせてしゃべる機能はついていたが、所詮は子供向けのオモチャなので、ごく短いセリフしか口にできない。動き方もぎこちなく、つまずいて転ぶと右腕が肩からとれてしまうクセがあった。
オモチャにくらべると、ゼネラル・ロボット社製のR型家庭用ロボットは質問にきちんと応答できる会話能力が備わっていたし、サイズも子供のハルよりずっと大きかった。ハルがこの新しいロボットに夢中になるのも自然の成り行きだったのである。
「ライト! きみは今日からぼくの友達だよ!」
「はい、マスター」
「マスターじゃなくて、ぼくの名前はハルだよ。ちゃんと言える?」
「はい、ハルさま」
「きみの名前はライトだからね! わかった?」
「ワタシの名前はライトです。ワタシはハルさまのお友達です」
こうして、ゼネラル・ロボット社製のR型家庭用ロボット、製造番号五〇三七七には「ライト」という彼に固有の名前があてがわれたのだ。
ハルとライトにとって、それからの数年間は忘れがたい日々となった。
ライトはいつだってハルの最高の遊び友達だった。もちろん、両親はハルの子守りのために家庭用ロボットを買ったわけではない。ライトには家庭内のこまごまとした家事をかたづけるという、彼本来の重要な仕事があった。家にいる時間が少ないハルの両親に代わって、ライトは食事、洗濯、掃除などなど、たくさんの用事をそつなくこなした。さらに、ハルが遊び相手になってほしいときには、ほかの仕事のあいまに子守りの役割までも引き受けた。
「見てよ! ライトの絵を描いたんだ!」
ハルはライトが掃除をしているあいだに描きあげた絵を見せた。ハルが両手に持って広げた絵をライトはつぶさに観察した。
いっしょに暮らす家族がロボットとぶつかってケガをしないよう、ライトのボディは角がとれた円筒形の形をしている。その上に卵を横倒しにした形状の頭部があり、人間の顔の造作に似せてつくられたカメラのレンズや集音マイク、会話のための発声装置が並んでいる。頑丈で細長い手足は伸縮自在な構造になっていて、手の先には人間のそれと同じ五本の指が、足の先には高速の移動も可能となる車輪がくっついている。
真っ白な紙に鉛筆で線を引き、水彩絵具でおおまかに彩色したその絵は、実物と比較して縦と横の寸法がおかしな具合になっていたけれど、ロボットのそうした外見的な特徴をよくとらえて表現していた。
「どう? よく描けてるでしょ?」
完成したばかりの絵を披露するハルは得意満面だ。
ライトには絵の出来栄えの良し悪しを批評する能力が欠けていたが、なにが描かれているのかは判別できた。絵のなかのロボットがどうやら自分であるらしいことはわかった。けれども、絵のなかでライトのとなりに立っている成人男性──口の周りの黒い斑点はどう見てもひげだ──が誰なのかは見当もつかない。
「このひとは誰ですか、ハルさま?」
ハルはにんまりとする。ライトと仲良く並んでいる男を指先でつついて、
「これは大人になったぼくだよ。ぼくが大人になってもライトはいっしょにいてくれるよね?」
「もちろんです」
ライトの返事を耳にして、ハルはますます笑みを深めた。
「今度はライトがぼくの絵を描いて見せてよ!」
「ワタシは絵を描くことができません、ハルさま」
「じゃあ、ぼくが手伝ってあげるね」
手伝うと言っても、結局、ライトの手をつかんで紙の上に線を引くようなやり方になってしまったが、四苦八苦した末にようやく仕上がった絵を見て、ハルは満足げな吐息をついた。
「できたよ、ライト!」
「ですが、この絵はちっともハルさまに似ていません」
太い線と細い線がデタラメにからまっただけにしか見えないその絵をながめて、ハルは苦笑を洩らす。
「大丈夫。練習すればもっと上手になるよ」
それからしばらくのあいだ、ライトに絵を教えることがハルの最優先の課題となった。最初はなかなか思うように、はかがいかなかった。ライトには学習機能があったが、それは家庭用ロボットの仕事に役立たせるためのものであり、絵を上手に描くなんてことは想定外の要求だったのである。
それでも、ハルの熱心な指導とアドバイスのおかげで、数ヵ月後にはまがりなりにもそれが少年の似顔絵であるとわかるぐらいのレベルまでには到達することができた。そうしてできあがったハルの絵は、どれも輝くばかりの微笑みを浮かべていた。ライトから絵を贈られたハルの顔もたちまち絵と同じように笑み崩れた。
「ありがとう、ライト! とてもうれしいよ! 大事にするね!」
ライトには人間のような感情がなかったが、彼の思考回路はハルの喜びを肯定的に受け止めた。あるいは、それこそがライトにとって感情と呼ぶべきものであったのかもしれない。
時間は大河の流れのようにゆっくりと過ぎていったが、ときには谷底を洗う急流のように勢いを増して流れていくこともあった。ライトは毎日の仕事を整然とさばき、ハルは子供であれば誰もがそうであるように、次々と新しい遊びを発明してはライトといっしょになって遊んだ。
それはなんと多感な日々であったことだろう!
ある夜、ハルはライトを外へ連れだし、都会を覆う光の洪水でぼんやりとかすんだ星空をいっしょになって見上げた。
「きれいだね、ライト」
「はい、とてもきれいです」
少年とロボットは無言で暗い空をながめた。ときおり、薄闇のなかを流れ星がすべり落ち、銀色の軌跡を残して溶けていく。そのあえかな光をつかむかのようにハルは夜空に向かって腕を伸ばし、にぎったこぶしをライトの胸にあてた。
「流れ星をつかまえたよ、ライト」
「流れ星をつかまえることは誰にもできません、ハルさま」
ハルはクスクスと笑い声を洩らし、金属製の友達の肩をたたく。
「ぼくにはできるんだよ、ライト!」
それから、真剣な顔つきになってハルはロボットを上目遣いで見やる。
「ぼくたち、いつまでも友達だよ。約束だからね」
「はい、ハルさま」
しかし、ハルとライトが交わした約束の言葉は、少年が成長するにつれてだんだんと忘れ去られていった。
少年期を脱けだし、いつしか青年となったハルは、もうロボットの遊び相手を必要としなかった。その代わり、ハルは同年代の女の子に興味を持つようになった。ハルがライトと口をきく機会もめっきり少なくなり、ライトを「友達」と呼ぶこともいつしかなくなっていった。
それでも、ライトは黙々と自分の仕事に専念した。
ライトはそのためにつくられた家庭用ロボットなのだから。