3分間の奇跡
「ねぇ、どうしていまだにビートルズなの?」
和音(かずね)は不満そうに口を尖らせた。
和音との出会いは3年前。
俺がリーダーを務めるバンド、『ペニー・レーン』はバンド名からもわかるようにビートルズに強く影響を受けている、そもそも高校時代の同級生でビートルズをこよなく愛する4人が集まって組んだバンドだ。 最初の頃はまったくのコピーバンド、まだ4人とも演奏技術が未熟だったので初期のロックンロールナンバーを中心にコピーしていた。
それでも学園祭などで演奏すると評判は良かった、楽器は拙いもののコーラスは昼休みにまで集まって練習していたからそこそこイケてたのだ。
もちろん楽曲の良さも大きな要因、俺たちは90年生まれ、ビートルズの現役時代など知る由もない、それでも彼らの曲は同年代の高校生でも耳にしたことがあり、軽快なビートに乗ったコーラスは新鮮に聴こえたのだろう。
進学した大学はそれぞればらばらだったがバンドは続いた。
集まって練習できる機会は減ってしまったが、高校時代よりも自由になる時間が増えるとそれぞれの腕前も上がって来た。
週に一度、貸しスタジオに集まって練習すると以前はできなかったことができるようになっている、それも4人が4人とも……面白くならないはずがない。
中でも俺は音楽理論から勉強した、ビートルズの曲を分析しているうちに曲も作れるようになり、ペニー・レーンはコピーバンドから脱却して行った。
そうなれば誰かに聴いてもらいたいと言う欲求も出て来る。
ライブハウスに出演するようになると結構な人気になり、大学を卒業する頃にはかなり大きなライブハウスからも声がかかるようになって出演すれば結構な人気を得るようになっていた。
そして卒業を控えた四年生の夏、会場間もない時間帯の前座的な扱いだったが、とあるロックフェスに出演させてもらい、その時の聴衆の反応を見て、俺たちをフェスに推薦してくれたプロデューサーからCDデビューの話を持ちかけられた。
それぞれ就職も決まっていたのだが、バンドに夢中になっている者にとって音楽で食っていくことは夢だ、四人でじっくり話し合ったが、音楽で身を立てるチャンスは今しかない、と言う結論に達し、俺たちは一般企業への就職を取りやめてプロのバンドとしてチャレンジすることを決めた。
バンド活動は順調と言えば順調、ぱっとしないと言えばぱっとしない、そんな微妙な感じで2年続いた。
ペニー・レーンの音楽は過度にマニアックでも攻撃的でもない、耳に心地良いもの、ビートルズを良く知る人ならば彼らに強く影響されていることがわかる。
どこで演奏してもそこそこウケるが、ブレイクには程遠い、そんな状態が続いた。
そんな頃に出会ったのが和音だ。
和音は子供の頃から高校までピアノを習っていて、コンクールの入賞経験もあった。
だが、高校の時に友達に請われて参加したバンド、その経験が和音の運命を変えた、一人で演奏するピアノと違って仲間と気持ちを合わせて演奏する楽しさ、型に嵌らない楽曲、ビートの心地よさ、その虜になってしまったのだ。
音大への進学も考えていた和音だが、バンドへの思いが断ち切れずに一般の大学に進学、そこでバンド活動を続け、ライブハウスにも時折出演していた。
それをたまたま聴いた俺がペニー・レーンの練習に引っ張って来て、即席オーディションのようなことをやると他の三人も気に入ってくれた。
その頃、ペニー・レーンが一皮剥けるには、俺たちにとっての『サージェント・ペパーズ』が必要、そう考えて意欲的な曲を作っていたがそれをステージで演奏するにはキーボード奏者が必要だった。
リズムギター担当の俺も少しはキーボードを弾くが、腕前は人前で披露するほどのものでもない、その点、和音の技量は抜群だったし、コーラスに女声を入れられると言うのも大きな魅力だった。
そして、和音も『プロになれるのなら』と俺たちのオファーに一も二もなく乗って来た。
和音を加えて五人編成となったペニー・レーンは確実に一皮剥けた。
クラシックの素養がある和音はアレンジにも力を発揮してくれて、ペニー・レーンのオリジナル曲に深みを加えてくれた。
和音効果はそれだけではなかった、女声が加わることでコーラスアレンジの幅がぐんと広がっただけでなく、ステージに華やかさも加わった。
そして間もなく、ペニー・レーンは初めてのスマッシュヒットを放ち、一躍人気バンドの仲間入りを果たした。
それからしばらくは順調だった。
バンド内で和音の存在感は徐々に強まって行ったが、それを問題視するメンバーはいなかった。 和音もバンドの一員、仲間だ、ビートルズも一作ごとに変遷して行ったしジョージやリンゴの存在感も高まって行った、メンバーの個性がぶつかり合い、高め合ってより良いものを作れるようになるものだ、そう信じていたからだ。
だが、高校時代からの友人でありビートルマニアとして結集したオリジナルの4人と、途中から参加し、ビートルズをルーツに持たない和音との温度差は徐々に顕著になって行った。
それに輪をかけたのが和音のルックス。
女性は見られることでより美しく成長していくものだ。 ペニー・レーンの人気が上がって来てより大きな会場でコンサートを開くようになり、メディアへの露出も増えるにつれて和音のルックスも磨かれて行き、そのことによってペニー・レーンの人気も上がって行く。
興行的には好循環だが、バンドのためにはあまり良い循環とは言えなかった。
ステージで和音の存在感が増して行くに連れてレコード会社も和音を大きくフューチャーした曲を求めるようになり、音楽の上でもバランスが徐々に崩れて行った。
そのことに危惧を感じないわけではなかったが、その頃にはもはやペニー・レーンはアマチュアバンドの延長上にはなかった、成功は商売と密接に結びついてしまっていて、かつてのような身軽さは失われ、ペニー・レーンはメンバーだけのものではなくなっていたのだ。
「ねぇ、どうしていまだにビートルズなの?」
その頃、新曲のアレンジについて話し合っていた時に和音が業を煮やしたように言い放った言葉だ。
「あたしたちはビートルズじゃなくてペニー・レーンなんだから、もうビートルズの影響から離れても良い頃だと思う」
和音もペニー・レーンを愛している、だからこその提案、苦言であることはオリジナルメンバーの4人にも伝わった。
しかし、ビートルズが好きでたまらず、コピーバンドからスタートしてここまで来た4人はあくまでもビートルズがあと5年、10年と存続していたら作っていたであろう音楽を追求したい、しかし、ビートルズをバックボーンに持たない和音が考える音楽はそれとは違うものであることも想像に難くない。
和音のその一言がきっかけとなって、和音を加えた5人は話し合いを重ね、その結果として別々の道を歩むことを決めた。
和音を失ったペニー・レーンは新しいメンバーを迎えることはせずに、サポートメンバーを交えてレコーディングやステージを行うことを選択した。
和音(かずね)は不満そうに口を尖らせた。
和音との出会いは3年前。
俺がリーダーを務めるバンド、『ペニー・レーン』はバンド名からもわかるようにビートルズに強く影響を受けている、そもそも高校時代の同級生でビートルズをこよなく愛する4人が集まって組んだバンドだ。 最初の頃はまったくのコピーバンド、まだ4人とも演奏技術が未熟だったので初期のロックンロールナンバーを中心にコピーしていた。
それでも学園祭などで演奏すると評判は良かった、楽器は拙いもののコーラスは昼休みにまで集まって練習していたからそこそこイケてたのだ。
もちろん楽曲の良さも大きな要因、俺たちは90年生まれ、ビートルズの現役時代など知る由もない、それでも彼らの曲は同年代の高校生でも耳にしたことがあり、軽快なビートに乗ったコーラスは新鮮に聴こえたのだろう。
進学した大学はそれぞればらばらだったがバンドは続いた。
集まって練習できる機会は減ってしまったが、高校時代よりも自由になる時間が増えるとそれぞれの腕前も上がって来た。
週に一度、貸しスタジオに集まって練習すると以前はできなかったことができるようになっている、それも4人が4人とも……面白くならないはずがない。
中でも俺は音楽理論から勉強した、ビートルズの曲を分析しているうちに曲も作れるようになり、ペニー・レーンはコピーバンドから脱却して行った。
そうなれば誰かに聴いてもらいたいと言う欲求も出て来る。
ライブハウスに出演するようになると結構な人気になり、大学を卒業する頃にはかなり大きなライブハウスからも声がかかるようになって出演すれば結構な人気を得るようになっていた。
そして卒業を控えた四年生の夏、会場間もない時間帯の前座的な扱いだったが、とあるロックフェスに出演させてもらい、その時の聴衆の反応を見て、俺たちをフェスに推薦してくれたプロデューサーからCDデビューの話を持ちかけられた。
それぞれ就職も決まっていたのだが、バンドに夢中になっている者にとって音楽で食っていくことは夢だ、四人でじっくり話し合ったが、音楽で身を立てるチャンスは今しかない、と言う結論に達し、俺たちは一般企業への就職を取りやめてプロのバンドとしてチャレンジすることを決めた。
バンド活動は順調と言えば順調、ぱっとしないと言えばぱっとしない、そんな微妙な感じで2年続いた。
ペニー・レーンの音楽は過度にマニアックでも攻撃的でもない、耳に心地良いもの、ビートルズを良く知る人ならば彼らに強く影響されていることがわかる。
どこで演奏してもそこそこウケるが、ブレイクには程遠い、そんな状態が続いた。
そんな頃に出会ったのが和音だ。
和音は子供の頃から高校までピアノを習っていて、コンクールの入賞経験もあった。
だが、高校の時に友達に請われて参加したバンド、その経験が和音の運命を変えた、一人で演奏するピアノと違って仲間と気持ちを合わせて演奏する楽しさ、型に嵌らない楽曲、ビートの心地よさ、その虜になってしまったのだ。
音大への進学も考えていた和音だが、バンドへの思いが断ち切れずに一般の大学に進学、そこでバンド活動を続け、ライブハウスにも時折出演していた。
それをたまたま聴いた俺がペニー・レーンの練習に引っ張って来て、即席オーディションのようなことをやると他の三人も気に入ってくれた。
その頃、ペニー・レーンが一皮剥けるには、俺たちにとっての『サージェント・ペパーズ』が必要、そう考えて意欲的な曲を作っていたがそれをステージで演奏するにはキーボード奏者が必要だった。
リズムギター担当の俺も少しはキーボードを弾くが、腕前は人前で披露するほどのものでもない、その点、和音の技量は抜群だったし、コーラスに女声を入れられると言うのも大きな魅力だった。
そして、和音も『プロになれるのなら』と俺たちのオファーに一も二もなく乗って来た。
和音を加えて五人編成となったペニー・レーンは確実に一皮剥けた。
クラシックの素養がある和音はアレンジにも力を発揮してくれて、ペニー・レーンのオリジナル曲に深みを加えてくれた。
和音効果はそれだけではなかった、女声が加わることでコーラスアレンジの幅がぐんと広がっただけでなく、ステージに華やかさも加わった。
そして間もなく、ペニー・レーンは初めてのスマッシュヒットを放ち、一躍人気バンドの仲間入りを果たした。
それからしばらくは順調だった。
バンド内で和音の存在感は徐々に強まって行ったが、それを問題視するメンバーはいなかった。 和音もバンドの一員、仲間だ、ビートルズも一作ごとに変遷して行ったしジョージやリンゴの存在感も高まって行った、メンバーの個性がぶつかり合い、高め合ってより良いものを作れるようになるものだ、そう信じていたからだ。
だが、高校時代からの友人でありビートルマニアとして結集したオリジナルの4人と、途中から参加し、ビートルズをルーツに持たない和音との温度差は徐々に顕著になって行った。
それに輪をかけたのが和音のルックス。
女性は見られることでより美しく成長していくものだ。 ペニー・レーンの人気が上がって来てより大きな会場でコンサートを開くようになり、メディアへの露出も増えるにつれて和音のルックスも磨かれて行き、そのことによってペニー・レーンの人気も上がって行く。
興行的には好循環だが、バンドのためにはあまり良い循環とは言えなかった。
ステージで和音の存在感が増して行くに連れてレコード会社も和音を大きくフューチャーした曲を求めるようになり、音楽の上でもバランスが徐々に崩れて行った。
そのことに危惧を感じないわけではなかったが、その頃にはもはやペニー・レーンはアマチュアバンドの延長上にはなかった、成功は商売と密接に結びついてしまっていて、かつてのような身軽さは失われ、ペニー・レーンはメンバーだけのものではなくなっていたのだ。
「ねぇ、どうしていまだにビートルズなの?」
その頃、新曲のアレンジについて話し合っていた時に和音が業を煮やしたように言い放った言葉だ。
「あたしたちはビートルズじゃなくてペニー・レーンなんだから、もうビートルズの影響から離れても良い頃だと思う」
和音もペニー・レーンを愛している、だからこその提案、苦言であることはオリジナルメンバーの4人にも伝わった。
しかし、ビートルズが好きでたまらず、コピーバンドからスタートしてここまで来た4人はあくまでもビートルズがあと5年、10年と存続していたら作っていたであろう音楽を追求したい、しかし、ビートルズをバックボーンに持たない和音が考える音楽はそれとは違うものであることも想像に難くない。
和音のその一言がきっかけとなって、和音を加えた5人は話し合いを重ね、その結果として別々の道を歩むことを決めた。
和音を失ったペニー・レーンは新しいメンバーを迎えることはせずに、サポートメンバーを交えてレコーディングやステージを行うことを選択した。