ネヴァーランド
1)
7月半ばの午後6時。
今日最後の鐘が東長寺から聞こえてきた。暮れ六つの鐘である。この村では、朝6時から午後6時まで2時間おきに鐘が鳴る。午後6時は、正確には酉の時第三刻だから、午後5時に鳴らされるべきだが、実用上全体が一時間ずらしてある。
なぜ今時寺の鐘を鳴らすかというと、時計や携帯を身につけない村人が多いからだ。
鐘の音が、東西に向き合った山腹と、南側で蓮華川をせき止めているダムに、反響し、こだまが少しずつ、ずれて返ってくる。谷間にたくさんの鐘楼があるかのようだ。
今まで鳴いていたセミの大半は、鳴りをひそめる。一方、民家の屋根や畑にたむろしていたカラスは一斉に飛び立ち、鳴きわめきながら森へ散って行く。
動物たちにとっては迷惑な音なのだろう。しかし村人にとっては、ほっとさせ、安心させてくれる安堵の呼びかけだ。夜の間も鐘を撞いてくれという者さえいる。
森は蓮華川で二分されている。東側の針葉樹林帯は夕陽を浴びて橙色に輝き、西側の落葉樹林帯は早くも紺青色の暮色に沈んでいる。
研究所は川の西側にある。島田浩作は防虫スプレーを靴箱の上に置いた。勝手口から外に出た。
六つ目の鐘が鳴り終わり、あちこちからセミの声が聞こえてきた。
浩作は蓮華川を目指して歩き始めた。河原にまでは降りず、土手にあがり、川に沿ってそぞろ歩き、再び山道に入ると、白雲神社の奥の院まで登って帰ってくる。彼の散歩コースだ。
鍵はかけたことがない。
車一台がやっと通れるほどの道をたどる。
土を踏みしめるごとにズックが音を立てる。
両側の草は生い茂り、広葉樹はトンネルとなって頭上を覆っている。茂みと林から、生き物達の声とうごめく音が聞こえ、発する匂いが漂ってくる。昆虫と鳥と獣達がひしめいているのだ。
散歩はしていても、浩作は緊張を解かない。
自分が引き起こした事態の推移を思い返し、これからの展開を想像するたびに、恐怖と歓喜に心ときめき膝頭が震える。市民生活を当面は尊重せねば不便で損であるぐらい、27歳になる彼はよく弁えていた。ただし科学の世界ではモラルを持たないことが科学者の必要条件であり、科学者たるもの、善悪に拘泥して一歩踏み出すことを躊躇すべきでないと確信していた。そして一年前に、彼は、個人としては小さな一歩に過ぎないが、人類としては巨大な一歩を踏み出してしまった。
斜面に踏み出した一歩はずるりとすべって、浩作は前のめりになった。軍手をはめた手を地面につくと、そのままゆっくりと腰を下ろし、有機物の発酵する臭いを嗅ぎながら周囲を見まわす。
昼が夜と交代をするわずかの時間、もの達は日光の呪縛からも闇の呪縛からも免れて本来の姿を垣間見せる。
彼は恍惚として見とれる。草の陰や幹の向こうからこちらを覗いているはずの爬虫類や鳥や獣達の眼を捜す。
人間の眼が混じっているのには気づかない。
啼いていたフクロウが飛び立った。
浩作はうっすら汗を掻きながら小さな峠を乗り越える。
振り返ると水平方向に渓谷を堰き止めているダム、その右側に白亜の島田生物研究所、そのやや上に少年時代に暮した母屋があり、遥か下方に山の陰に点在する人家の灯りが見える。
やがて土手が見えてきた。登って一息つく。
川幅は、30メートルほどだ。流れは緩やかで、両側の川原も幅広い。山の中の川には珍しい。村が盆地にあり、土地が平坦であるからだ。
土手を上流に向かって200メートルほど歩くと、右側に孟宗竹で左右を仕切られた山道が口を開いている。浩作はそこに入る。
道はゆるく右に曲がりながら深い森へ入って行く。周囲の物音もさらに喧しくなる。鹿が背中を木の幹にこすりつける音、サルが枝をゆする音、うさぎが走る音、だれかが腐植土を踏む音。
浩作は東京での生活を思い出す。その最後の場面をこのあたりにさしかかるといつも思い出す。
浩作の前には二十名以上の男たち全員が、苦りきった顔をして居並んでいた。彼らは浩作を懲罰処分にするか、追放するか、精神病院に叩き込むかを判断するため、聴聞していた。
同じ下宿で親友の友近と過ごしたそれまでの愉快な暮らしもまた思い出す。
安寿との短かった愛の生活も。友近との殴り合いの大喧嘩も。
左右はブナの林となっている。浩作は今気がついた。あの下宿の玄関脇に大きなブナの木があった。東京のことを思い出すのはブナのせいだったのか。友近と二人、酔っ払って立小便を引っかけたあの木だ。
ひときわ大きなブナに巻かれた絞め縄の白さが、薄闇に目立ち始めたところで、広場に出る。村はずれの鎮守からさらに苔むした石段が続いた果てがここだ。
境内には砂が敷きつめられている。
浩作は山道から境内に入り、石段を右に、無人の社務所と社殿を左に見ながら突っ切る。
渡りきって再び山道に踏み入った時に、つけられているとわかった。背後に砂を踏んで二三歩進む音がしたからだ。
音と音の間隔から二足歩行であること、音自体から相当な体重の持ち主であることが推定できた。つまり鹿や熊ではなく人間である。
足音の主は立ち止まり、そっと後ずさりをしたようだ。浩作が振り向いた時には、ブナに囲まれた境内が白々とあるだけだった。
浩作は歩きながらどこからやってきた者なのか思いめぐらす。
この谷間の村で浩作を知らない者はなく、つける必要のある者はいない。
浩作は寛永の時代から続く山林地主の当主だ。村全体が家代々の土地の上に乗っているだけではなく、村の豊かさと平和もまた浩作一族のおかげである。
浩作は、自分の東京での行状が尾をひいているのか、ここ1年のことが発覚したせいではあるまいか、と思い惑う。
周囲の木立と茂みは闇に包まれて、植物の個体認識は不可能となった。しかし動物達は、鳴き、吠え、走り、跳ね、歩く。その中には、浩作を追い越していく足音も混じっていた。浩作は追跡者に事情を尋ねてみたくなった。
立ち止まり振り返った。闇を透かしてよく見たが誰もいない。
ここで立っていればやがて向こうから現れるだろうと思って、胸のポケットからタバコのケースを取り出してズボンのポケットに入れておいたライターでピースに火をつけた。闇の中に立ち昇る煙は白かった。
黒い影は足音を忍ばせてすぐ背後に来ていた。
影は、小刀を腰だめに構えると浩作に体当たりした。
村はずれの白雲神社から続く百五十二段の石段を宮司の作並半次郎が登って行く。毎朝の石段の上り下りが今の健康を維持していると半次郎は信じている。
朝の掃除は、妻の多恵子が本殿を、半次郎が奥の院を受け持つ。多恵子は半次郎より五歳年下の六十七歳だが、膝を痛めているので石段を登れない。
半次郎は、うっすらと汗をかいた額を腰にたらしたタオルを抜いて拭った。
夏祭りが先々週の週末に催され、翌月曜日に村人総出の大清掃を終えてからは、奥の院を訪れる者はめったにいない。
最後の一段を登りきった半次郎の目に飛び込んできたのは、社殿正面の廊下に置かれた人間の生首だった。
半次郎は、こけつまろびつ駆け寄った。
目を閉じ、頬を吊り上げ、大きく口をあけたその生首は、島田の若様のものだった。
秀才君子の面影はどこにもない。
背後の扉には、
一人一殺 死のう団
と赤黒いペンキで大書してあった。
7月半ばの午後6時。
今日最後の鐘が東長寺から聞こえてきた。暮れ六つの鐘である。この村では、朝6時から午後6時まで2時間おきに鐘が鳴る。午後6時は、正確には酉の時第三刻だから、午後5時に鳴らされるべきだが、実用上全体が一時間ずらしてある。
なぜ今時寺の鐘を鳴らすかというと、時計や携帯を身につけない村人が多いからだ。
鐘の音が、東西に向き合った山腹と、南側で蓮華川をせき止めているダムに、反響し、こだまが少しずつ、ずれて返ってくる。谷間にたくさんの鐘楼があるかのようだ。
今まで鳴いていたセミの大半は、鳴りをひそめる。一方、民家の屋根や畑にたむろしていたカラスは一斉に飛び立ち、鳴きわめきながら森へ散って行く。
動物たちにとっては迷惑な音なのだろう。しかし村人にとっては、ほっとさせ、安心させてくれる安堵の呼びかけだ。夜の間も鐘を撞いてくれという者さえいる。
森は蓮華川で二分されている。東側の針葉樹林帯は夕陽を浴びて橙色に輝き、西側の落葉樹林帯は早くも紺青色の暮色に沈んでいる。
研究所は川の西側にある。島田浩作は防虫スプレーを靴箱の上に置いた。勝手口から外に出た。
六つ目の鐘が鳴り終わり、あちこちからセミの声が聞こえてきた。
浩作は蓮華川を目指して歩き始めた。河原にまでは降りず、土手にあがり、川に沿ってそぞろ歩き、再び山道に入ると、白雲神社の奥の院まで登って帰ってくる。彼の散歩コースだ。
鍵はかけたことがない。
車一台がやっと通れるほどの道をたどる。
土を踏みしめるごとにズックが音を立てる。
両側の草は生い茂り、広葉樹はトンネルとなって頭上を覆っている。茂みと林から、生き物達の声とうごめく音が聞こえ、発する匂いが漂ってくる。昆虫と鳥と獣達がひしめいているのだ。
散歩はしていても、浩作は緊張を解かない。
自分が引き起こした事態の推移を思い返し、これからの展開を想像するたびに、恐怖と歓喜に心ときめき膝頭が震える。市民生活を当面は尊重せねば不便で損であるぐらい、27歳になる彼はよく弁えていた。ただし科学の世界ではモラルを持たないことが科学者の必要条件であり、科学者たるもの、善悪に拘泥して一歩踏み出すことを躊躇すべきでないと確信していた。そして一年前に、彼は、個人としては小さな一歩に過ぎないが、人類としては巨大な一歩を踏み出してしまった。
斜面に踏み出した一歩はずるりとすべって、浩作は前のめりになった。軍手をはめた手を地面につくと、そのままゆっくりと腰を下ろし、有機物の発酵する臭いを嗅ぎながら周囲を見まわす。
昼が夜と交代をするわずかの時間、もの達は日光の呪縛からも闇の呪縛からも免れて本来の姿を垣間見せる。
彼は恍惚として見とれる。草の陰や幹の向こうからこちらを覗いているはずの爬虫類や鳥や獣達の眼を捜す。
人間の眼が混じっているのには気づかない。
啼いていたフクロウが飛び立った。
浩作はうっすら汗を掻きながら小さな峠を乗り越える。
振り返ると水平方向に渓谷を堰き止めているダム、その右側に白亜の島田生物研究所、そのやや上に少年時代に暮した母屋があり、遥か下方に山の陰に点在する人家の灯りが見える。
やがて土手が見えてきた。登って一息つく。
川幅は、30メートルほどだ。流れは緩やかで、両側の川原も幅広い。山の中の川には珍しい。村が盆地にあり、土地が平坦であるからだ。
土手を上流に向かって200メートルほど歩くと、右側に孟宗竹で左右を仕切られた山道が口を開いている。浩作はそこに入る。
道はゆるく右に曲がりながら深い森へ入って行く。周囲の物音もさらに喧しくなる。鹿が背中を木の幹にこすりつける音、サルが枝をゆする音、うさぎが走る音、だれかが腐植土を踏む音。
浩作は東京での生活を思い出す。その最後の場面をこのあたりにさしかかるといつも思い出す。
浩作の前には二十名以上の男たち全員が、苦りきった顔をして居並んでいた。彼らは浩作を懲罰処分にするか、追放するか、精神病院に叩き込むかを判断するため、聴聞していた。
同じ下宿で親友の友近と過ごしたそれまでの愉快な暮らしもまた思い出す。
安寿との短かった愛の生活も。友近との殴り合いの大喧嘩も。
左右はブナの林となっている。浩作は今気がついた。あの下宿の玄関脇に大きなブナの木があった。東京のことを思い出すのはブナのせいだったのか。友近と二人、酔っ払って立小便を引っかけたあの木だ。
ひときわ大きなブナに巻かれた絞め縄の白さが、薄闇に目立ち始めたところで、広場に出る。村はずれの鎮守からさらに苔むした石段が続いた果てがここだ。
境内には砂が敷きつめられている。
浩作は山道から境内に入り、石段を右に、無人の社務所と社殿を左に見ながら突っ切る。
渡りきって再び山道に踏み入った時に、つけられているとわかった。背後に砂を踏んで二三歩進む音がしたからだ。
音と音の間隔から二足歩行であること、音自体から相当な体重の持ち主であることが推定できた。つまり鹿や熊ではなく人間である。
足音の主は立ち止まり、そっと後ずさりをしたようだ。浩作が振り向いた時には、ブナに囲まれた境内が白々とあるだけだった。
浩作は歩きながらどこからやってきた者なのか思いめぐらす。
この谷間の村で浩作を知らない者はなく、つける必要のある者はいない。
浩作は寛永の時代から続く山林地主の当主だ。村全体が家代々の土地の上に乗っているだけではなく、村の豊かさと平和もまた浩作一族のおかげである。
浩作は、自分の東京での行状が尾をひいているのか、ここ1年のことが発覚したせいではあるまいか、と思い惑う。
周囲の木立と茂みは闇に包まれて、植物の個体認識は不可能となった。しかし動物達は、鳴き、吠え、走り、跳ね、歩く。その中には、浩作を追い越していく足音も混じっていた。浩作は追跡者に事情を尋ねてみたくなった。
立ち止まり振り返った。闇を透かしてよく見たが誰もいない。
ここで立っていればやがて向こうから現れるだろうと思って、胸のポケットからタバコのケースを取り出してズボンのポケットに入れておいたライターでピースに火をつけた。闇の中に立ち昇る煙は白かった。
黒い影は足音を忍ばせてすぐ背後に来ていた。
影は、小刀を腰だめに構えると浩作に体当たりした。
村はずれの白雲神社から続く百五十二段の石段を宮司の作並半次郎が登って行く。毎朝の石段の上り下りが今の健康を維持していると半次郎は信じている。
朝の掃除は、妻の多恵子が本殿を、半次郎が奥の院を受け持つ。多恵子は半次郎より五歳年下の六十七歳だが、膝を痛めているので石段を登れない。
半次郎は、うっすらと汗をかいた額を腰にたらしたタオルを抜いて拭った。
夏祭りが先々週の週末に催され、翌月曜日に村人総出の大清掃を終えてからは、奥の院を訪れる者はめったにいない。
最後の一段を登りきった半次郎の目に飛び込んできたのは、社殿正面の廊下に置かれた人間の生首だった。
半次郎は、こけつまろびつ駆け寄った。
目を閉じ、頬を吊り上げ、大きく口をあけたその生首は、島田の若様のものだった。
秀才君子の面影はどこにもない。
背後の扉には、
一人一殺 死のう団
と赤黒いペンキで大書してあった。