ルナティック・ハイ
影踏み01 依頼者の影
依頼人との待ち合わせ場所に、決まった場所は存在しない。
料亭からカラオケボックス、幅広く瑠流斗[ルルト]は対応する。
今日の依頼人は瑠流斗を深夜の公園に呼び出した。
昼の公園はサラリーマンの憩いの場。夜の公園は果たして誰のものか?
月光に輝く白銀の髪。ボタンを全快にしたシャツから覗く白い肌。その胸に刻まれた十字の刺青。
瑠流斗の紅く妖艶な唇が微笑を浮かべた。
公園に足を踏み入れた瞬間、細長い影が胸を掠めた。
続けざまに襲ってきた同じモノを、瑠流斗はバク転をしながら躱[カワ]した。
瑠流斗が逃げた道を追うように、地面には矢が刺さっていた。
そして、すぐに矢は霞み消えた。矢はエネルギー体なのだ。
矢は瑠流斗の眉間を狙って飛んできた。
刺さる寸前、瑠流斗は矢を素手で受け止めた。すぐに矢は消えてしまったが、手を開くと肉が焼け爛れていた。
焼けた手を握り、瑠流斗は後もなく闇夜を駆けた。
耳元を抜ける矢が風を鳴らす。
嵐のような矢の猛撃が瑠流斗を襲う。
狙撃手の姿は見えない。しかし、矢が飛んでくる先にいるはずだ。
矢が降らなくなった。
耳を澄ます瑠流斗。
風を滑る矢の音。
背中から胸を貫通した矢をはじめに、次々と矢が瑠流斗の身体を貫いた。
身体に風穴を開けられた瑠流斗が前のめりに倒れた。
瑠流斗は動かない。呼吸すらしていないように、微動にしなかった。
足音も気配もしなかった。
しかし、その男は瑠流斗を見下ろしていた。
その男は左手でピースサインを作り、中指と人差し指の間に何かあるように抓まんで引いた。ピースサインは弓、抓んだ何かは弦と矢。男は矢を放った。
瑠流斗の後頭部に矢が刺さる寸前、その矢は瑠流斗の手に止められた。
うつ伏せから仰向けになった瑠流斗。その胸の十字の刺青を見た男が声を漏らす。
「まさか?宵の明星?……」
それは瑠流斗の通り名だった。
瑠流斗の唇が笑う。
「キミは……?アポロンの狙撃手?かな?」
立ち上がった瑠流斗の服には穴が開いていた。だが、肌に穴はない。あんなにも矢で貫かれたにも関わらず、素肌には傷ひとつなかった。
?アポロンの狙撃手?はすでに?弓?を構えていた。
しかし、瑠流斗のほうが早い。
骨を砕く音が闇に木霊した。
瑠流斗に握られた?アポロンの狙撃手?の手首――?弓?がへし折られていた。
止めを刺そうと瑠流斗が動こうとした瞬間、別の気配がこの場に緊張感を張り巡らせた。
すぐに瑠流斗は相手を押し飛ばし、?アポロンの狙撃手?は逃げていった。
新たに現れた気配は土の中からした。
地中を移動している。それも浅い位置を移動している。にも関わらず、土が動く様子も、盛り上がる様子もない。
敵は瑠流斗のすぐ足元まで迫っていた。
地面から白く繊細な手を伸びた瞬間、瑠流斗は高く飛び上がっていた。
空中から地面を見た瑠流斗の瞳に映ったものは、地面から飛び出した裸体の美女。
「?陸上のマーメイド?だな?」
「そうヨ。マサカ相手が?宵の明星?ダッタとはネー」
中国なまりのアクセントだ。
?宵の明星?、?アポロンの狙撃手?、そして?陸上のマーメイド?、裏社会では?通り名?が付くほど有名な存在だ。
依頼人の代わりに、瑠流斗の命を狙う者が現れた。簡単に考えて依頼は瑠流斗を誘き出す口実。その狙いは瑠流斗の殺害か?
ただ、瑠流斗には気がかりなことがあった。
「人魚さん、依頼人の素性を知っているかい?」
「依頼人を明かすと思うカ?」
「依頼人を明かして欲しいわけじゃない。依頼人が誰なのか、それを知っているかどうか、それが重要なんだ。無駄な殺し合いをしなくて済むかもしれない」
「ワタシと戦う怖くなったカ?」
「……怖い?」
世にも恐ろしい笑みを瑠流斗は浮かべた。
まずは小手調べ。
「ダーククロウ」
呟きと共に、漆黒の爪が瑠流斗の手に装着された。
一気に相手の懐に踏み込み、ダーククロウが?陸上のマーメイド?の躰を抉ろうとした。
だが、瞬時に?陸上のマーメイド?は地に潜った。
瑠流斗はすぐに真後ろに向かって回し蹴りを放った。
その蹴りは?陸上のマーメイド?の胴体を確実に捕らえていた。だが、感覚がない。瑠流斗の足は?陸上のマーメイド?を透過していた。いや、足が透過したのではなく、足を透過していた。
そのまま?陸上のマーメイド?は瑠流斗の躰を透過して、すぐに地面に潜って消えてしまった。
ダーククロウの追撃が地面に突き刺さった。手ごたえは地面の感覚だけ。
地中のみならず、人間の躰をも透過する?陸上のマーメイド?。攻撃を与える術はあるのか?
地の底から水撃は放たれた。その水圧は肉を貫くほど、見事に瑠流斗の腹に親指の先ほどの穴を開けた。
瑠流斗の傷はすぐに塞がった。
「厄介な相手だね」
それは相手も同じことだろう。敵として戦う瑠流斗は厄介な相手だ。
地中を漂う気配。地面は身を隠すと同時に盾となる。通常の武器では歯が立たない。
チャンスは地上に顔を出した時。だが、物理攻撃は透過される。ならばどう倒す?
瑠流斗は辺りを見回した。
噴水、ベンチ、電灯、樹木――。
瑠流斗は電灯を登るのではなく、引力に反して柱を走った。
電灯の天辺に立った瑠流斗は地上を見回した。さすがの?陸上のマーメイド?も、細い電灯の柱を泳ぐことはできまい。
地中から放たれた水撃が瑠流斗を狙う。それを避けることなく瑠流斗は受けた。
腰の後ろから瑠流斗はリボルバーを抜いていた。
放たれる怨霊呪弾。
口径の大きなリボルバーから撃たれた銃弾は通常のものではない。その弾丸は怨霊を孕んでいた。
老婆の嗤う声、若い女の叫び声、幼子の泣く声。
呪弾は水撃の放たれた地面に撃ち込まれた。
「キャァァァッ!!」
地の底から沸く悲痛な叫び声。
躰を海老反りにしながら、?陸上のマーメイド?が地上に飛び出てきた。まるで丘に上げられた魚だ。
腹から血を流し、躰を痙攣させている?陸上のマーメイド?に戦意はない。白目を剥いて、口からは泡を吐いている。その表情は、何か恐ろしいモノを見たように、酷く歪んでいた。
「人魚姫の精神は実に繊細だったらしい」
電灯から瑠流斗は軽やかに地面に降りた。それは舞う羽根のように音もなく。
微かな気配。拍手をしながら何者かが近づいてきた。
瑠流斗はすぐにその人影を見た。
「誰だい?」
「実にお見事じゃ。これならば君に仕事を任せても問題ないじゃろう」
「ボクを試したのですか、影山源三郎[カゲヤマゲンザブロウ]氏?」
その名は瑠流斗をここに呼び出した者の名。正確にはダミーの依頼人から、情報を辿って行き着いた本当の依頼人の名である。
「わしが依頼人だとよくわかったな」
「はい、情報収集が趣味なので」
「腕だけはなく頭も使えるようじゃな」
皺くちゃの顔で源三郎は怪しげな笑いを浮かべた。
影山源三郎――帝都エデンの恩恵を受けた実業家のひとりだ。
東京が死都と化したとき、経済界は大きな打撃を受けたが、これをチャンスと見た者もいた。東京が死に、代わりにエデンが生まれた。
作品名:ルナティック・ハイ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)