37話 あとは野となれ山となれ -泪ー
部屋着のロングスカートとタイツにショール巻いて友人E子が遣って来た。
「高速に入って走ってたらここまで来ちゃった」と、ドアを開けるとクスッと笑って入ってきた。
玄関に白い皮の室内履きを丸めて脱ぎ捨てたので、
「どうしたの部屋着のままで…あれ…ルームシューズじゃないの…」
あきらかに飛び出してそのまま車を運転してやって来たそんな感じだった。
「Kがさ…憎たらしいから出てきちゃった…」一人息子のK君と喧嘩したらしい。
彼女はK君がまだ小学生の頃、
ご主人に「好きな人が出来た別れて欲しい」と、言われて離婚をした。
「せめて隠してくれればいいのに堂々と言われて何も言えなかった…」と揉める事無く別れた。
ご主人が家を出て行き、その家を貰ってそれが唯一の財産だった。
彼女はめげることは無かった「さあ、頑張らなくっちゃKがまだ小さいからね」と前を向いていた。
それからも彼女は某ディザイナーのアトリエのお針子さんの責任者として黙々と働いてきた。
弱音を吐かない事が夫を奪い去った女への自分のプライドだったのかも知れない。
結婚をしてマンションに住んでいるK君が、E子の家を建て替えて一緒に住む事を提案してきたらしい。
同居を嫌っていたお嫁さんが気持ちを変えたらしい…。
「ㇷ~ン…良い事なの?悪い事なの?」と聞くと、
「それはね…いろいろ考えようだと思うけど…この話には裏事情があるのよ」
サスペンスの謎解きのようにちょっと言葉を置いた。
「今日ね、Kが自分たちが考えるプランを持ってきたのよ。Kが言うのにはね…母さんは一番いい部屋に住んで欲しい、年を取って行くから一階が好いだろう、日当たりのいい部屋がね…と言うのよ」
「好いじゃない…これから階段登るの大変だし…」と私が言うと彼女は首を横に振って
「一階の間取りがね二所帯になってるのよ、一つは私が住んで一つは貸したいって言うのよ、建築費がかかるから返済の足しにしたいって言うのよ。二階の間取りを見たらK達の夫婦の寝室と、子供たちの部屋と…もう一つ和室があって、リビングがあって食事のできる台所があって、もちろんトイレもお風呂も付いてるのよ、外階段が付いていて二階の玄関になってるのよ。じゃあ私がその二階の和室に住んで一階の二所帯とも貸した方が良いの?って聞いたのよ。だって一緒に住むって話だからね、それが言い出せ無いのかなと思ってね…『いや…母さんは一階が良いだろ?…』って言うのよ『じゃあ別々に暮らすって事?一緒に住むんじゃなくて…』って聞くと暫くKが押し黙ってね…『母さんは、独りが気楽だろ?…実は…向うの父さんと母さんを呼ぼうと思うんだよ年もとってきたし、貸家だから家賃も馬鹿にならないし』って言うのよ…」
私も“エーっ”て思わず声を上げた。
「でしょ?家を建て替えようと言うのはこれが始まりなのよ…向こうの親を呼び寄せて面倒を見てやりたいってお嫁さんの意向なのよ。わたしを下のアパートに入れて…二階で両親と暮らしたいんでしょう…『それだったら何もここ建て替えなくても少し大きなマンション買ったらいいでしょ、少し郊外に行けばそうは高くないローンも組み易いし、頭金少しなら出せるよ、建て替えは更地に建てるより、もっと大変なお金がかかるからね』って言ったの、そして、私そのまま家を出てきたの…」
淡々と話していた彼女が急に押し黙った。
あれ?と思って彼女を見たら「馬鹿にしてるわよ…アパートに入れなんてKがお嫁さんと企むから悔しいのよ」と呟いて、大粒の涙が頬を一筋流れ落ちた、ご主人と別れる時も人の前で取り乱した事が無かったのに…。
K君を守るため結婚もしないで働き通した…。
夫にも息子にも誰にも労われる事の無い孤独感を突然感じたのかも知れない。
「冷静を気取って見たけど…ルームシューズで…やっぱり動揺してたのね…」彼女は泣きながら笑った。
「もうKは向こうの両親を呼び寄せるんじゃ守らなくてはいけないものがたくさんできて、あっちもこっちもって訳にいかなくなるでしょ、今度も明らかに私は邪魔って感じだし。私は夫と息子との思いでのいっぱいある…夫に貰ったあの家で、一人で生きていこうと思うの…夫がくれた私の家だもの」
強さが故に彼女は誰にも守られることが無かったんだね…きっと
強いから縁の下の力持ちのような損な役回りが多かった…。
我慢するのはいつも彼女だった。
「大変だったね…」と言うと止まることなく涙が流れ落ち…そして「うん…」と頷いた。
作品名:37話 あとは野となれ山となれ -泪ー 作家名:のしろ雅子