少年A++(プラプラ)
こともあろうに本沢は空気銃を撃った男の半小屋(注記)の中へ入って行くのであった。三人は顔を見合わせ、仕返しをされるに違いないと妙な覚悟をした。僕は怖かったけれど、心の何処かで『此処で引き下がったら男の子ではない。』と思い込んでいたし、そう自分に必死で言い聞かせてもいた。
注記:家でもなく、ホームレスのダンボール・ハウスでもない。詳しく書くと長編小説になるのでこうした。他意はない。
本沢が中の男と何かを話し終え、入れと促した。
男は苦笑いを浮かべながら、
「おまいらかぁ?おとといは尻が痛かったろう。珍しく命中したからな。怪我は無いと思うけど、あっても俺は知らないよ。」
言いながらだんだん自分で可笑しくなってきたらしく、大声で笑った。
「三発命中するなんて、俺も上達したものだ。俺らのものを盗もうなんて、度胸があるな。大人だったら血祭りだったよ。」
恐ろしい話をしながら笑うのだった。それから西瓜を持ってきて、大きな中国包丁で四つに切り分けた。少しぞっとしたのだが、すぐに慣れてしまった。少年の空威張りとは、大人の空威張りと違って、環境に順応し易いのだ。
僕はその時の西瓜の美味しさを表現出来る能力がないのかも知れない、生涯忘れないだろう。非常に美味しかったのだ。まさに『むさぼり喰う』という形容が完全無欠に正しいように喰った。
男は、
「そんなに美味いか?もっと喰うか?。」
と言うので、口の中に西瓜の種が残っていたのに全員が無言で頷(うなず)いていた。滑稽な猿芝居のような仕草に男はさらに機嫌を良くしたのか、高い声で笑い続けていた。僕らは顔全体を真っ赤にしながら、黙々と喰った。次に出された西瓜もさらに上等に思える程美味かった。
その後、男の『強制立ち退きに応じる』という話を聞かされ、ちょっとがっかりしたのも確かなのだ。この場所に西瓜畑が無くなったら、次は無いのか?という他愛(たあい)も無い思いが悪餓鬼には強かったのである。もちろん物凄く深い意味があることなどは知る由もなかった。
外へ出て、申し訳ないので少し畑を手伝うことになった。そうでもしなければ、空気銃を撃った時の男の怒りが何時再燃するかと少しビクついていたのは確かだった。本沢にも手伝わせるという狡猾さも、もちろん併(あわ)せ持っていた。子供の手伝いでも四人分は結構な労働力になるもので、畑の雑草は綺麗に片付けられていた。二時間ぐらい経過したのだろうか、少し夕暮れが近いようだった。他の半小屋からいい匂いが立ち上がってきていた。男は『喰って行け。』と短く告げ、一軒向うの別の半小屋に全員を誘ったのだ。
中へ入ると男女合わせて七人ぐらいの大人が鍋を囲んで喋っているのだ。言葉はハングルらしかったが、僕達が入っていくとすぐに日本語に切り替えたらしかった。何を喋っていたのかは子供には津軽弁だろうが琉球言葉だろうが解る筈もないのにそうした切り替えすることだけは、はっきりと解ったのだ。
美味しそうな野菜や魚や何かの肉が並べられ、日本酒ではない観たこともないような酒を酌み交わしていた。何だったのかは、僕にはさっぱり解らなかった。
けれど、僕は金輪際、鍋には手を付けなかった。絶対に付けなかったのである。
まあ、そこのところはまた、差別がどうしたこうしたと差し障りのある話になりそうなので、流して、それこそ『お読み捨て下さい。』だ。
とにかく、僕だけは喰わなかったのである。
寂しい少年A++の初恋は、実に一般的で面白くもなんともないものだった。
でも、書いて置かないと〈君〉?に申し訳ない気がするので、一寸だけ。
転校生が五年から六年になる一寸前にやって来たのである。お下げ髪のツヤツヤした標準語に近い言葉を発していた。標準語に近いというのは、彼女は神奈川県逗子から来たので、話す言葉は『浜(はま)言葉(ことば)』みたいなものが混在していたのだ。まあ、一流の家庭らしく身なりは素敵なベルベットのワンピースだった。金沢の僕らには近寄り難い雰囲気を出していたが、僕の隣に席が決まり、僕はヲズヲズと話し掛けてみたのだ。
すると彼女の笑顔がまた天使のようで、言葉も優しく小さく笑う癖があるようだった。初恋の入り口の相手は皆、天使なのだ。
色々と学校の説明をしている内に同級生から冷やかされ始めたのだ。
『おまえ、あの子のこと好きになってもうた、やろ。』
まあ、大人なら素直に認めながらも苦笑いをして誤魔化しそうだが、子供は、特に少年はそうはいかないものだ。僕は当然のように規律正しく男らしく否定した。否定はしたけれど、彼女には優しく接していた。まるで、馬鹿みたいな話なのだが、少年A++が寂しい少年であったことを忘れてもらっては困るのである。冷やかされ、のけ者になるのを極端に嫌がったのである。それだけのことだ。
その後、その彼女とは中学三年まで同級だった。彼女の家へ遊びにも行き、かなり親しかったのだが、中学卒業後のことは何も知らない。彼女が僕のことをどう思っていたかも、時代的制約なのだろうか、確かめる筋はなかった。
僕の時代は、そういう時代だったのだ。魂を曝(さら)け出した風に何かを相手に伝えるのはNGだったのだ。
これで、少年A++の話は一応閉じようと思う。中学生を『少年』と呼べるのかどうか?現在の僕には解らないからだ。
++(プラプラ)の「意味するところのもの」が何を言いたいのか?これを読んで〈君〉?が解ったら、〈君〉?はもう、理系でも文系でもないのだ。
++は無限に増えていく『僕』なのかも知れないよ。
家庭環境がどうのこうの、教育問題がどうのこうの、政治的にどうのこうの、ネグレストがどうとか、色々と『常識』を振り回して、一般論を振りかざし、知ったか振りを連発して、検索しまくり、ググッた『外部記憶』で、分析を正しいと思うのを辞めてくれないか?
まあ、どうしようが、感性の無限の彼方の問題として考えないと『どう、し、ようも、ない』と、僕は思うのだが。
どうか、『どうしようもなく優しい』〈君〉?であってくれないか?
ああ、なんだか、ここまで付き合ってくれた〈君〉を愛してしまったようだ。
有難う。
完
作品名:少年A++(プラプラ) 作家名:菅原光一