もうひとりの『戦友』
「会社の後輩」
「後輩?」
「うん、四つ下なの……」
確かにそれは少し迷うかも……四つ下なら二十三かそこら、大学出なら社会に出て間もない……シズカはそう思ったが、顔に出しちゃいけないと思って話題を変えた。
「あのさ、四年生の時、担任の先生にバレンタインチョコ渡したでしょ?」
「うん……でも受け取ってもらえなかったよ、生徒から貰うわけには行かないって……今考えれば当たり前よね」
「実はあたしも渡そうとしたんだ」
「山本先生に?」
正直、シズカは先生の名前を忘れていたが、言われればそのとおりだったと思い出せる、その程度だ。
「そう、でもやっぱり断られた、当たり前よね、十歳が相手じゃね」
「うん、あの頃、先生は二十四だったものね」
先生の年齢なんか知らなかった、まあ、それくらいだったんだろうと思い出す程度で。
でもヒロミは名前も年齢も憶えていた……。
「そんなに好きだった?」
「うん、私、それから手作りチョコなんか作ってないもの、就職してからはっきり義理チョコってわかる程度のものを配るくらいで」
そこまでとは知らなかった、なんだか張り合おうとしたのが申し訳なくなってくる。
シズカがちょっと黙ってしまうと、逆にヒロミが饒舌になった。
「ねぇ、旦那さんってどんな人?」
「どんなって……普通だよ、家電メーカーのエンジニアだけど、本社で設計開発部門とかじゃなくて、工場で品質管理とかしてるし」
「年上?」
「結構ね……七つ上」
「二十二で結婚したってことは結構電撃だったの?」
「そうでも……ない」
なんだか、あの日に知り合ったとは言いにくい気がする。
ヒロミは先生に断られたことを長く引きずっていたのに、自分はその日にチョコが縁で知り合った人と結婚して家庭を持っているのだから。
「どれぐらい付き合ってたの?」
「結構長い」
「ねぇ、何年くらい?」
そこまで聞かれては答えないわけにも行かない。
「十二年」
「え? 二十二で結婚したのに交際十二年なの?」
「交際って……知り合ったのは確かに十歳、四年生の時だったけど、旦那って別にロリコンだったわけじゃないし、最初の内は一年に一回しか会ってなかったし」
「七つ上ってことはその時高校生だよね」
「そうね」
「四年生で高校生に見初められたんだ」
「見初められたなんて全然、初めて会った時ずいぶんと生意気な態度取ってたと思うし、生意気な妹ってくらいの感じだったんじゃないかなぁ」
「ねぇ、詳しく聞かせてよ」
「そう?……」
そこまで聞かれればはぐらかすのも妙だ、シズカはヒロシとの間のことを語り始めた。
知り合ったのはあのバレンタンデー、互いの手作りチョコを交換し合って『戦友』となり、翌年の再会を約束したこと。
最初の二年、小学校を卒業するまでは、毎年バレンタインにチョコを交換しただけ、一年に一回しか会っていなかったこと。
中学に上がって、ヒロシは『今年からはホワイトデーにキャンディを返すよ』と言われてちょっといい気になって大学祭に連れて行けとせがんだものの、周囲の女子高生や女子大生に気後れしてしまってしょげてるのを見かねたのか『彼女予定者』に格上げしてもらったこと。
高校生になって、数ヶ月に一度は会うようになり、そろそろ『彼女』に格上げしてもらえるかな、と思った矢先の転勤。
そして、遠く離れてしまうとわかって、むしろ自分の気持ちの強さに気づいたこと。
お菓子を作るとヒロシに気持ちが届くような気がして、進学先に製菓学校を選んだこと。
元旦の未明、初詣の帰りに二人きりでお汁粉を食べ、その時にヒロシも気持ちを固めてくれたらしいこと。
『俺たち戦友だろ? だから生まれた時は別々でも死ぬときは一緒だ』と言う妙なプロポーズ、そしてヒロシのいる静岡に腰を落ち着け、子供も生まれたこと……。
一通り聞いてくれたヒロミは神妙な顔。
シズカがなんか悪かったな……と思って黙っていると、ヒロミのほうから口を開いた。
「私、決めた!」
「え? 何を?」
「結婚……年下の彼のプロポーズを受けるわ」
「え?……あ……おめでとう……」
「シズカの話聞いてて、私、何を迷ってたんだろう……って」
「あ、そうなの?」
「シズカの旦那さん、十歳で知り合った女の子を奥さんにしたんでしょう? 年の差を少しづつ、少しづつ埋めながら、それってすごく素敵」
「なんか、最近は『腐れ縁だ』なんて憎まれ口言うけどね」
「私、彼のこと好きよ、ちょっと若過ぎるけど、優しいし、誠実だし、私のことを一生大事にするって言ってくれてる、私が迷ってたのは私のほうが四つも年上ってところと、彼がまだ社会人として駆け出しだってところだけ、でもそんなのどうでもいいことよね、結婚したいと思うほど人を好きになることなんて一生に何度も訪れることじゃないわよね、彼はまじめで責任感も強い人だもの、きっと大丈夫、私は彼を信じていればいいだけのことなのよね」
「う……うん、そうだよね」
「シズカ、ありがとう、おかげでスッキリした、明日彼と会うの、そしたら言うわ、私の答えはイエスですって」
「そんなに急がなくても……」
「ううん、善は急げよ、もうこの答えは変わらない、ファイナルアンサーよ、だから早すぎることなんかない」
「はぁ……」
シズカはちょっとあっけに取られながらまなじりを決したヒロミを見ていたが、ヒロミがにっこりと微笑むと、つられてにっこりと微笑んだ。
そして思った。
両親には悪いけど、今夜のうちに静岡に帰ろう、ヒロシとシズエの下へ……。
そこがあたしのいるべき場所なのだから。
そしてヒロシに話すんだ。
あのバレンタインデーから始まったもうひとつの物語を……。
やがて同窓会もお開きに。
シズカとヒロミが連れ立って廊下に出ると、そこに懐かしい顔があった。
山本先生……十七年前は颯爽としたイケメンだと思ったが……。
自分たちが散々噂していたせいか、ハンカチでしきりに鼻をこすっている。
「山本先生?」
「そうだけど……ごめん、誰だったかな?」
「いいんです、六年生の時は担任して頂いてなかったですし」
「そう? ごめんね、わからなくて」
そのまま先生とすれ違った二人は、少し離れてから思わずプッと吹き出した。
先生は見る影もなく太ってしまっていたのだ、かつての食パンマンが今やジャムおじさん……。
「先生、きっと結婚してるね」
笑いをこらえながらキロミが言った。
「きっとお幸せなんでしょうね」
「奥様はよっぽどお料理上手ね」
「ふふふ、あたしたちって、あの先生に告白しようとして共に玉砕した仲、あたしたちも『戦友』ね」
「あら、そうね」
ヒロミはそう言って笑った。
山本先生が幸せそうなこと、それはそれで嬉しく思う、幼い頃のこととは言えかつて憧れた先生だ、幸せならそれに越したことはない……。
シズカは実家に寄って両親と夕食を共にすると、新幹線の乗客となった。
だいぶ遅くなってはいるが、日付が変わる前には家に戻れるだろう、ヒロシとシズエが待つ家に……。
新幹線が音もなく滑り出すと、シズカはハンドバッグから万年筆を取り出した。
作品名:もうひとりの『戦友』 作家名:ST