夕霧
19 優柔不断
休日の朝、離れの和室から目の前に広がる庭を見つめ、涼介は考え込んでいた。鳥のさえずりも今の涼介の耳には入らない。
昨日、夕子が去った後も、しばらく涼介はその場を離れなかった。(不穏な動き――そう聞けば容易に見当はつく。イエスマンの叔父が関わるわけはなく、あのやり手の横尾専務だろう。
ワンマンな親とは言え、一代で築き上げた会社を他人に乗っ取られるなんて、長男として情けない。夕子は賢そうな娘だ。誠実さもうかがえる。夕子とともに会社を守るべきではないだろうか。
そうだ、そうすべきだ。親子げんかをしている場合じゃない、会社へ戻ろう)
そう結論を出して家へ帰ると、その夜は母屋で長男雄一の娘奈々の誕生会が開かれた。
奈々の好きそうなご馳走がテーブルいっぱいに並べられ、大きなケーキにはろうそくが五本立っている。そのろうそくに火をつけ部屋の灯りを消して、奈々が吹き消す。お決まりのセレモニーの後は、プレゼントが次々と手渡される。今宵の主人公は満面の笑みでそれらを開けた。
笑顔に包まれた温かい家庭、ここにはそんな当たり前の暮らしがある。
「ところで、涼介君。仕事の方はどうだね?」
「はい、お兄さんにいろいろと教えていただき、なんとかお役に立てるようになってきたところです」
「何謙遜しているんだい。涼介君は覚えもいいし人当たりもいい。もう立派な戦力だよ、父さん」
「そうか、それは良かった。どうだろう? そろそろ出向という形をやめて正式にわが社の社員にならないかね? まあ籍を抜く抜かないはまだゆっくりと考えることにして。
正社員となれば、それなりのポストも用意しなければならないし――私としては雄一の右腕となって会社を支えていってほしいと思っているんだがね」
「はあ……」
「まあ、考えてみてくれ」
立派な和風庭園の向こう側の母屋での、昨夜の会話だった。
同じ豪邸でも中身は一八〇度違う。稲村家では家族そろって食事などしたことはない。お手伝いが並べた食事を父の徳次郎が一人でさっさと食べ、自室に引き上げる。その後、母と涼介で食卓につくのだが、父に気を使い疲れ切っている母は口数も少なく、静まり返った部屋で黙々と食事を終えるのが常だった。もちろん誕生日会などとんでもない、どこの世界の話だというレベルだ。
(ここには本当の家族が暮らしている。この歳になってようやくそんな場所に辿り着いた。そして快くその仲間に入れてもらえる。太郎にとってもその方が絶対に良いに決まっている。
そうだ、太郎や今後生まれてくるであろう子どものことを第一に考えるべきではないか。育児には何より環境が大切だ。自分のような幼少期を送らせてはいけない)
だが、すぐに返事ができない自分がいた。血縁というものだろうか。
夕子と新田は、昨夜、初めて二人だけで食事をした。涼介とのことを話すというはずだったが、食事の間は純粋に食べることを楽しんだ。
そして、食後のコーヒーを飲みながら、今日の本題に入った。
「新田さんの言う通り、涼介さんは感じのいい人でした。あの方となら協力してやっていける気がします」
「それはよかった。でも、協力してやっていくとは?」
「それは……まだはっきりとは……あくまでも私一人の青写真ですし、これからどう変わっていくかもわかりません」
「そうか、そうだろうね」
「でも、涼介さんに紹介していただいて感謝します。何かが一歩進んだ気がしますから」
「役に立ててよかったよ」
「それからもうひとつ」
「なに?」
「こちらのお店、本当に美味しかったです。ごちそうさまでした」
「どういたしまして」