永遠の保障
この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
打率
棚橋彩香という女性がいる。年齢は三十歳を少し超えたくらい、彼氏はおらず、会社では事務の仕事をしていて、そろそろお局様と言われる年齢になっていた。
今までに彼氏がずっといなかったわけではない。ただ、どちらかというと理想が高い方で、
――そのうちにいい男が現れる――
と、思っていた。
だが、実際にそんなことはなく、気が付けば三十歳を超えていた。これと言った趣味があるわけでもなく、毎日を漠然と過ごしていた二十代だった。
彩香はある程度自分に自信があった。そのうちにいい男が現れると思っていたのもその思いがあるからで、まったく根拠のない思いではなかった。
ただ、彩香は自分に自信を持ってはいたが、自信が持てる部分を自分が好きだというわけでもなかった。実際に自慢をするわけではないが、自慢してもいいと思える部分は漠然とだが分かっているつもりだった。きっと分かっているつもりになっているのが漠然としてでしかないことに自分としては不満なのだろう。
彩香は、子供の頃から自分に自信のある部分は、口にしなければ気が済まないタイプで、そのせいで、結構まわりに嫌われてしまっていたりした。その自覚があるからなのか、自分に自信を持てる部分を見つけても、必ずしも自分が好きになれる部分ではないと思い込むようになっていた。
それが自分の中での矛盾を作り出していることに彩香は気付いていなかった。矛盾がストレスになり、たまに人との関わりの中でジレンマになっていることがある。そんな時、自分が孤独であることに気付き、人恋しく感じていることが矛盾だと思っていた。
孤独であれば人恋しくなるのは当たり前のことなのに、その当たり前のことが彩香には矛盾だったのだ。
だから、孤独になると、人恋しいという思いを必死に打ち消そうとする。
――私は人恋しくなんかないんだ。一人で十分なんだ――
と感じていた。
一人で十分だと思うことは、すなわち自分が孤独であるということを否定することになる。そもそも孤独になった理由が分かっているわけではないので、孤独を否定することは不可能なことではないのだ。
そうなると、孤独で人恋しいという気持ちは、
――気のせいなのかも知れない――
と思えてくる。
孤独と人恋しさをどちらも否定すると、自分が感じるストレスもその発生理由がないことになる。そう思うと、それまで悩んでいたと思っていることがウソのように晴れ晴れとした気分になれるのだ。
たぶん、それを他の人は、
――開き直り――
というのだろう。
彩香には、開き直りという発想がその頃にはなかった。だから、何かに悩むと、その悩みの原因を考え、その原因を否定することで、悩みを解消できると単純に考えていた。その思いがあることで、実際に思春期に起こった種々の悩みも、そうやって解決してきたつもりになっている。それを彩香は、
――これは私だけのことではなく、他の人も同じようにして解決してきたことなんだわ――
と思っていた。
だが、彩香のような性格の人は稀であり、他の人から見れば、
「何て羨ましい性格なんだろう」
と思うことだろう。
しかし、実際には彩香の性格は特殊なので、他の人には分からない世界だった。彩香自身が悩んだことで他の人に相談したことはなかったので、まわりの人も彩香自身も、彩香が何に悩んでいるのか、そして彩香がどんな考えの持ち主なのか、分かっていなかったに違いない。
彩香が自分の性格をある程度は理解していたと思われるが、肝心なところは勘違いしていた。皆が自分と同じような考えを持っているということ自体が大きな間違いであったし、開き直りという意味自体、分かっていなかった。
高校生になった頃に、開き直りという性格があるということを初めて知ったが、それがまさか自分のそれまでに培ってきた性格であるとは、その時は微塵にも感じていなかったのだ。
その頃、彩香のことを好きになった男の子がいた。彩香は最初、そんな自分を好きになる男の子がいるなどと思ったことはなかったのだ。
彩香も思春期の他の女の子同様、彼氏がほしいという思いは普通に抱いていた。しかし、自分を男の子が好きになってくれるかどうかということは別だという理屈は分かっていたつもりだった。だから、自分を好きになってくれる男の子が現れるという思いは幻想であり、幻想を抱くことが思春期の自分の性格の中で好きな部分だった。
――恋する乙女――
これは、本当は好きになった男の子がいて、その男の子に恋する女の子のことを言っているのだろうが、彩香には違って聞こえていた。
――男の子を好きになる自分を客観的に見て、可愛いと思うこと――
と感じていた。
これも実は間違いではない。恋に憧れるというのも思春期にはありがちのことで、別に悪いことでもないのだ。
つまり、好きな男の子が特定されることは二の次のことで、相手が誰であるかということよりも、男性を好きになっている自分を見るのが好きなのだ。
だから幻想であり、客観的に見つめる自分は、その横顔がイメージされてしまう。
彩香がクラスの男の子を気にし始めたのは、高校生になってからだった。思春期としては晩生な方だろう。子供の頃の成長は男の子よりも女の子の方が早いもので、高校生になって初めて男子を意識したというのは、いささか遅すぎると言っても過言ではないに違いない。
その頃の彩香は、勉強をしていても結構上の空の時期があった。何を考えているというわけではないのに、たまにボーっとしてしまっていて、
「彩香。どうしたの?」
と、急に友達から声を掛けられて、
「えっ、何が?」
と、我に返ってビックリしている自分がそこにいたことに初めて気付かされることがあった。
「またボーっとしてたわよ。誰か好きな人のことでも考えていたの?」
と聞かれて、
「そんなんじゃないわ」
と、いささか不機嫌に答えた。
不機嫌になったのは、ズバリ指摘されたからではなく、まったく逆だったからだ。
――どうして、そんな風にしか思えないの?
という思いが、若干の苛立ちになっているからだった。
そんな彩香の思いを他の友達が分かるはずもなかった。
「あの子、ちょっと変わってるわね」
とまわりの友達は口々にそう言っていたが、知らぬは本人ばかりなりであった。
ただ、そんな彩香の性格も、まわりからは、
「あの子は、天然なのよ」
と言われていたことで、別に嫌われるということはなかった。
むしろ、仲間内では重宝されていた。
「天然ちゃんが一人いると、引き立て役にはちょうどいいのよ」
という意味での重宝だった。
本当なら不名誉なことなのだろうが、彩香にはそんなまわりの考えが分かっていなかったので、別にそれでよかった。ただ、まわりから何かを期待されているという思いがあるだけで、まわりから見ると彼女のような「お花畑的発想」は、ありがたい以外の何物でもなかったのだ。
「さすが天然ちゃん。でも、本当にあの子、何も分かっていないのかしらね」
打率
棚橋彩香という女性がいる。年齢は三十歳を少し超えたくらい、彼氏はおらず、会社では事務の仕事をしていて、そろそろお局様と言われる年齢になっていた。
今までに彼氏がずっといなかったわけではない。ただ、どちらかというと理想が高い方で、
――そのうちにいい男が現れる――
と、思っていた。
だが、実際にそんなことはなく、気が付けば三十歳を超えていた。これと言った趣味があるわけでもなく、毎日を漠然と過ごしていた二十代だった。
彩香はある程度自分に自信があった。そのうちにいい男が現れると思っていたのもその思いがあるからで、まったく根拠のない思いではなかった。
ただ、彩香は自分に自信を持ってはいたが、自信が持てる部分を自分が好きだというわけでもなかった。実際に自慢をするわけではないが、自慢してもいいと思える部分は漠然とだが分かっているつもりだった。きっと分かっているつもりになっているのが漠然としてでしかないことに自分としては不満なのだろう。
彩香は、子供の頃から自分に自信のある部分は、口にしなければ気が済まないタイプで、そのせいで、結構まわりに嫌われてしまっていたりした。その自覚があるからなのか、自分に自信を持てる部分を見つけても、必ずしも自分が好きになれる部分ではないと思い込むようになっていた。
それが自分の中での矛盾を作り出していることに彩香は気付いていなかった。矛盾がストレスになり、たまに人との関わりの中でジレンマになっていることがある。そんな時、自分が孤独であることに気付き、人恋しく感じていることが矛盾だと思っていた。
孤独であれば人恋しくなるのは当たり前のことなのに、その当たり前のことが彩香には矛盾だったのだ。
だから、孤独になると、人恋しいという思いを必死に打ち消そうとする。
――私は人恋しくなんかないんだ。一人で十分なんだ――
と感じていた。
一人で十分だと思うことは、すなわち自分が孤独であるということを否定することになる。そもそも孤独になった理由が分かっているわけではないので、孤独を否定することは不可能なことではないのだ。
そうなると、孤独で人恋しいという気持ちは、
――気のせいなのかも知れない――
と思えてくる。
孤独と人恋しさをどちらも否定すると、自分が感じるストレスもその発生理由がないことになる。そう思うと、それまで悩んでいたと思っていることがウソのように晴れ晴れとした気分になれるのだ。
たぶん、それを他の人は、
――開き直り――
というのだろう。
彩香には、開き直りという発想がその頃にはなかった。だから、何かに悩むと、その悩みの原因を考え、その原因を否定することで、悩みを解消できると単純に考えていた。その思いがあることで、実際に思春期に起こった種々の悩みも、そうやって解決してきたつもりになっている。それを彩香は、
――これは私だけのことではなく、他の人も同じようにして解決してきたことなんだわ――
と思っていた。
だが、彩香のような性格の人は稀であり、他の人から見れば、
「何て羨ましい性格なんだろう」
と思うことだろう。
しかし、実際には彩香の性格は特殊なので、他の人には分からない世界だった。彩香自身が悩んだことで他の人に相談したことはなかったので、まわりの人も彩香自身も、彩香が何に悩んでいるのか、そして彩香がどんな考えの持ち主なのか、分かっていなかったに違いない。
彩香が自分の性格をある程度は理解していたと思われるが、肝心なところは勘違いしていた。皆が自分と同じような考えを持っているということ自体が大きな間違いであったし、開き直りという意味自体、分かっていなかった。
高校生になった頃に、開き直りという性格があるということを初めて知ったが、それがまさか自分のそれまでに培ってきた性格であるとは、その時は微塵にも感じていなかったのだ。
その頃、彩香のことを好きになった男の子がいた。彩香は最初、そんな自分を好きになる男の子がいるなどと思ったことはなかったのだ。
彩香も思春期の他の女の子同様、彼氏がほしいという思いは普通に抱いていた。しかし、自分を男の子が好きになってくれるかどうかということは別だという理屈は分かっていたつもりだった。だから、自分を好きになってくれる男の子が現れるという思いは幻想であり、幻想を抱くことが思春期の自分の性格の中で好きな部分だった。
――恋する乙女――
これは、本当は好きになった男の子がいて、その男の子に恋する女の子のことを言っているのだろうが、彩香には違って聞こえていた。
――男の子を好きになる自分を客観的に見て、可愛いと思うこと――
と感じていた。
これも実は間違いではない。恋に憧れるというのも思春期にはありがちのことで、別に悪いことでもないのだ。
つまり、好きな男の子が特定されることは二の次のことで、相手が誰であるかということよりも、男性を好きになっている自分を見るのが好きなのだ。
だから幻想であり、客観的に見つめる自分は、その横顔がイメージされてしまう。
彩香がクラスの男の子を気にし始めたのは、高校生になってからだった。思春期としては晩生な方だろう。子供の頃の成長は男の子よりも女の子の方が早いもので、高校生になって初めて男子を意識したというのは、いささか遅すぎると言っても過言ではないに違いない。
その頃の彩香は、勉強をしていても結構上の空の時期があった。何を考えているというわけではないのに、たまにボーっとしてしまっていて、
「彩香。どうしたの?」
と、急に友達から声を掛けられて、
「えっ、何が?」
と、我に返ってビックリしている自分がそこにいたことに初めて気付かされることがあった。
「またボーっとしてたわよ。誰か好きな人のことでも考えていたの?」
と聞かれて、
「そんなんじゃないわ」
と、いささか不機嫌に答えた。
不機嫌になったのは、ズバリ指摘されたからではなく、まったく逆だったからだ。
――どうして、そんな風にしか思えないの?
という思いが、若干の苛立ちになっているからだった。
そんな彩香の思いを他の友達が分かるはずもなかった。
「あの子、ちょっと変わってるわね」
とまわりの友達は口々にそう言っていたが、知らぬは本人ばかりなりであった。
ただ、そんな彩香の性格も、まわりからは、
「あの子は、天然なのよ」
と言われていたことで、別に嫌われるということはなかった。
むしろ、仲間内では重宝されていた。
「天然ちゃんが一人いると、引き立て役にはちょうどいいのよ」
という意味での重宝だった。
本当なら不名誉なことなのだろうが、彩香にはそんなまわりの考えが分かっていなかったので、別にそれでよかった。ただ、まわりから何かを期待されているという思いがあるだけで、まわりから見ると彼女のような「お花畑的発想」は、ありがたい以外の何物でもなかったのだ。
「さすが天然ちゃん。でも、本当にあの子、何も分かっていないのかしらね」