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帰郷

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風景が飛びすさっていく。わざと進行する方に背を向けて腰掛けたのだった。そのため目に映る、色取り取りに塗り立てられた住宅はすぐに消えてしまわない。電車がカーヴして別の住宅に隠れるか、私から視線を切らない限り、小さくなりながらどこまでも見えているのだ。
 報せを受けたのは出先でのことだった。得意先の店々を一通り廻り終えたところで、社に戻って残務の整理でもするか、今まで出入りしたことのない店舗に足を運び、一店でも取引先を増やすために舌を使いに行くか、コーヒーでも飲みながら思案するつもりだった。
 急に意識がなくなったの、と携帯電話のために籠もって聞こえる姉の声は言う。切迫した感じでもなかった。だからできるだけ早く家に帰って来てと、それだけを伝えると電話は途切れた。いつもながら姉らしい簡潔な電話だ。こんなときでさえ。
 姉は確かに急にと言ったが、そういう時が来るのはとうからわかっていたことだ。病院からも匙を投げられ、本人が望む所で最後の瞬間を迎えさせてあげたいという温情の退院だったのは、父はもちろんのこと姉も、現状から目を背けて、必ず治るんだからねと見境なく周囲の人に言い散らしていた母でさえも、心の中では了解していたはずだ。
 だから私にはとうとうそうなったかという気持しかなかった。これも姉からの電話だったが、死へ向かっていくしかない病だと知らされて、病院のベッドの上に顔を見たときにはもう呂律が廻らなかった。医者が言う長ったらしい病名などには興味もない。発声に関わる筋肉が麻痺しているのか、何事か機能の障害が起こっているのかはっきり訊ねもしなかったが大方そんなところだろう。私の顔を見て、あんぐりとあけた暗い空洞にのたうつ舌が無残なほどに赤かった。まだ生きたい、まだ生きたいと呻いているみたいだった。
 電話に出た女の社員に、戻らず直帰するとの伝言を頼んで一方的に通話を切った。理由は告げなかった。出先から直接帰るなんてのはよくあることだ。数字さえあげていれば帰る理由など上司に言わなくても不都合はない。外に出てる他の奴らだって拘束時間中何をしているか知れたものではない。まして父が昏睡状態になったなどと言ってどうする。憐れみを貰わなければならないくらい飢えちゃいない。
 死のうが死ぬまいが知ったことか。生きていればいつかその時は訪れる。当たり前のことだ。病気になったからではない。生れ落ち赤裸で泣き喚く。その充溢した生の起点から死への傾きは始まっている。今日やるべきことはやった。だから自分の部屋に帰るのだ。そう思ったはずなのに、地下鉄で梅田にまで出て人波に揉まれて長い距離を歩き、環状線のホームに上って閉じかけた関空快速に体を押し込んだのはなぜだったのか。
 意に反してではない。姉に促されたからではなくてやはり私は行きたかったのだ。感傷を満たすためでも、親の死に目には会っておいたほうがいいなんていう世間体を考えたわけでもない。どのようなものに成長するかしれない、ぶよぶよとした肉の塊として私をこの世に産み落とした片割れが、その老いて萎んだ形骸を遺してなくなる。望むと望まないとに係わらず、私という形を作り出し、苦しみも愉しみもともに舐めさせるため抛り出した存在がこの世界から退場するのに立ち会わねばならないからだ。
 天王寺を過ぎてここ数年寄り付きもしなかった阪和線を南へ下る。すでに大和川の橋梁を渡った。薄い雲に覆われた夕暮れの赤味がかった光が、川口へと流れて行く広い水の面を金色に染める。細かな波立ちに鈍い光の艶が跳ねてゆったりと蠕いている。この時季なら暮れ方まで、橋梁に沿うようにして並んだ釣師たちの、腰まで水に浸かって長い竿を振っているのが電車の窓からでも眺められた。気がつけば川から釣り人の姿は見えなくなっていたが、あれはいつまで眺めることができたのだろう。私が先の会社に勤め始めた頃にはどうだったか。通いに出る男女で満員の、電車の扉に押し付けられながら、竿先を見詰めている男たちに向かって、朝から精勤なことだと秘かに毒づいていた記憶がある。
 大阪市内の支店へ異動になった時分のことだ。であれば一九九三年の初夏にはまだこの川にも釣糸を垂れる甲斐があったのだろう。今越えてきた川には水中に立つ一人の影もなかった。数年前のこれも夏の頃だった。掛り付けの医師から死病の宣告を受けた父を見舞った折も、川面から上半身を突き出して竿を振う姿は見えなかった。
 何もかも変わってしまう。人も変わる。私も変わった。そうでなければ、心の内でどんな言い訳をしても死の床にいる親の顔を見に家へなど戻るものか。帰る気を起こさせたのは肉親の情などというものではないのだ。私にはわかっている。私が今内側に抱え込んでいる感情にそんな名をつけるとすれば、ごくわずかな部分の真実を自分自身に認めるかわり、おぼろげには気づいているものの大半に覆いを被せることになる。
 一度だけ死んだ人間の顔をみたことがある。とはいえ棺の内に納められた白装束の祖父の顔を明瞭に思い出せるわけではない。あれを言ったのは誰だったのか。花を投げ入れる人のうちから悔やみの、いや口々に呪詛でも遊んでいるみたいな嗚咽の間から絞り出された言葉が、血の気の退いて青黒くなった顔とともに蘇って来る。なんぞ心残りあったんやろなあ。なんぼ目え閉じさせたろ思て瞼下ろしたっても、かあっとまた目え開けて。ちょっとま閉じたあってもな、知らんまあにまた目え開いてしもてええ。
 その時、祖父の目が閉じていたか開いていたか私には覚えがない。目にしたのは長年臥せっていた床で病に縮められた体を白い装束にすっぽり包まれ、三角の布を額に捲き、青黒い色をした険しい顔。玉を咥えさせられて力なく開いた口腔の暗色。いかつく逆立った白い長い眉。それだけだ。
 私は不思議でしかたがないのだ。母という存在のために薄められているとはいえ、四分の一の血を分けた男の死顔を間近から見ておきながらこの程度の記憶しか残っていないのが。だが考えてみれば当然でもある。私が就職して家から出るまで、近くには住んでいても正月くらいしか祖父の家に足を向けることはなかった。いくら近くても縁故があっても、行かない所というものはある。
 それに写真だ。あんたは初孫でな、一番可愛がられたんやでと、まだ祖父の存命中に母がそんなふうに教えてくれた。押入れの段ボール箱から引っ張り出されたアルバムにその写真はあった。敷かれた茣蓙にぎごちなく微笑んだ祖父が胡坐をかいている。開いて組んだ脚の真ん中に坐らされた幼児が泣き出しそうに顔をゆがめている。私だ。しかし記憶のどこにもこんな情景は刻まれていない。突きつけられた写真の中にいる幼児が私以外の誰でもないとわかっていても、祖父の両手に肩を押さえ付けられて胡坐の上に乗っかっているのが自分だと肯定するにはいつもわずかな躊躇が混じる。
作品名:帰郷 作家名:那村洵吾