一線を越えたい。
著:大島恭平
★6月末。マンションの一室に男女が二人。
三十代後半の男性と女子高生。男性は普通の部屋着。女子高生は制服を着ている。
リビングにある机でパソコン作業をしている男とその向かいで突っ伏している女子高生。
瀬奈 ぬー
基彦 どーした?間抜けな声出して
瀬奈 もっちゃんが構ってくれないー
基彦 もう少し待ってろ。
瀬奈 むー
基彦 …
瀬奈 はぁ
基彦 別に帰ってもいいんだぞ?
瀬奈 やだよ。外暑いし。
基彦 ここだって別に涼しくは無いだろ。
瀬奈 涼しいよ。
基彦 バカ。駅前の方がよっぽど涼しいぞ。
瀬奈 外でたくなーい
基彦 マックとかサイゼに溜まるのが女子高生だろ。
瀬奈 ふつーの女の子は、ね。
基彦 ……
瀬奈 それにーここもちゃんと涼しいよー
基彦 そうかい。
瀬奈 ねぇ。こーれ。
★瀬奈、机の上にエタノールの瓶を乗せる
基彦 あ、お前、また勝手に出して!
瀬奈 きゃーこわいこいわい
基彦 返しなさい
瀬奈 やー
基彦 返しなさい
瀬奈 ……
基彦 ……
瀬奈 ここ
★瀬奈、自分のうなじを指さす
基彦 ……あのなぁ
瀬奈 いいから。ここ。拭いて?
基彦 …
瀬奈 早く
基彦 はぁ
★基彦、瀬奈のうなじをエタノールが染み込んだガーゼで拭く。
基彦 拭きましたけど?
瀬奈 ん。
基彦 ん?
★瀬奈、うちわを取りだして基彦に渡す。
瀬奈 それでここを、
基彦 ここを?
瀬奈 扇ぐ!
★声に合わせて扇ぐ基彦。
瀬奈 ふひゃ~涼すぃぃぃ~
基彦 エタノールは涼むためのモノじゃない
瀬奈 動きが弱いな~ポチッと
基彦 俺は扇風機じゃない
瀬奈 あー涼しくなくなってきたー
基彦 ったく
瀬奈 ひょえ~
★基彦、うちわで扇ぐのを止める。
基彦 こういうことに使うなー
瀬奈 はいはーい
基彦 じゃあ気が済んだんなら片すから。それ寄越して。
瀬奈 …
基彦 …
瀬奈 ねぇ…
基彦 …
瀬奈 ねぇ~え
基彦 するのか?
瀬奈 …(頷く)
基彦 腕、まくってみろ
★基彦、瀬奈のエタノールを持ち、新しいガーゼに湿らせる
瀬奈 今日はどっちにする?
★瀬奈、ワイシャツを捲り机に両腕を置く。
それを観察する基彦
基彦 昨日のはこっちか。じゃあ、右にしとくかな。
★基彦、机から離れ、リビングにある棚から小さめのケースを取り出し、中からカッターを出す。
瀬奈 やる気満々じゃん。変態。
基彦 ……
★基彦、瀬奈の腕にエタノールを塗る
瀬奈 エタノールはこういうことに使っていいのかな~?
基彦 ……
瀬奈 むっ
★基彦、瀬奈の腕を触りながら
基彦 結構目立ってきたな。傷。
瀬奈 うん。
基彦 どうする?
瀬奈 3ミリ。あと今日は縦ね。
★基彦、人差し指に力を入れながらカッターの先端を瀬奈の腕に食い込ませる。
基彦 いくぞ
瀬奈 …(頷く)
★そのまま、力を込めたままゆっくり動かす。切った場所からゆっくりと血が出てくる。
腕を見つめる二人。
特に瀬奈も動じることもない。
縦に4㎝ほど切り、カッターを腕から離す基彦。しばし沈黙。
基彦、慣れた手つきで瀬奈にティッシュを渡す。瀬奈もそれを受け取り傷口に当てる。
しばし沈黙。
瀬奈 ……
基彦 ……
瀬奈 調べたんだけどね。
基彦 ん?
瀬奈 この痕一つ治すのに10万くらいかかるんだって。ねぇ。JKの躰に10万円の傷をつけた気分はどう?
基彦 そうだな。瀬奈が成長しているみたい。かな。
瀬奈 え?ごめん、意味わかんないんだけど!
基彦 ごめん。ごめん。
★笑う基彦。
基彦 生き物って成長するにつれてどんどん傷が増えていくだろ?あ、俺のこの足の傷。昔近所の犬に噛みつかれて大泣きしたんだよ。傷は治ったけど痕が少し残ってさ。子どもからしたら最悪の思い出なんだけどさ。
瀬奈 なにそれ、ウケる!
基彦 いや、ウケねぇから。んで話戻すけど、俺はさ、瀬奈の思い出になることができるんだなと。素直に嬉しいよ。
瀬奈 ……。うーん。ごめん。やっぱよく分からない!
基彦 だろうな。
瀬奈 でも、悪い気はしないかな?
基彦 ならよかった。おっさんキモって言われるかと思ったぜ。
瀬奈 いや、キモいよ?
基彦 はぁ!?
瀬奈 ウソウソ
基彦 ったく。
瀬奈 じゃあ、そろそろ帰る
基彦 そっか。血は?
瀬奈 ん~大丈夫っしょ
基彦 本当かよ
瀬奈 うん。もっちゃん…
基彦 なに?
瀬奈 ん~いいや。明日言うわ
基彦 なんだよそりゃ
瀬奈 いいの。じゃあまた明日ね~
基彦 あっそ。気をつけて帰れよ。
★帰る瀬奈。それを見送る基彦。
翌日。
★瀬奈、通っている学校の廊下を歩いている。
瀬奈 先生、おはようございます。
基彦 おはよう。潺(せせらぎ)さん。
★基彦、学校の廊下で瀬奈と鉢合わせる。
瀬奈 先生。
基彦 どうした?
瀬奈 もうすぐ夏ですね。
基彦 そうだな。
★瀬奈、独白。
瀬奈 これは、私と先生との、
一線を越えた物語です。
おわり