イザベラ・ポリーニの肖像
「1億7千万ユーロ……そちら1億8千万ユーロ……はい、1億9千万ユーロ出ました、2億ユーロありませんか? はい、そちら2億ユーロ」
遂に2億ユーロを突破して会場はざわめき立つが、ここまで来るとさすがに降りる買い手も多く、そこからの伸びは緩やかになる。
「2億1千万ユーロ、ほかにありませんか? ありませんね?」
遂に象牙のハンマーが乾いた鋭い音を立てた。
「『イザベラ・ポリーニの肖像』は2億1千万ユーロで落札されました!」
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オークションから10年、元『クリスチャンズ』のジョーンズと元『ザビエルズ』のウィリアムズはそれぞれ自分の画廊を持ち、画商として成功を収めている。
ジョーンズ、ウィリアムズは共に『イザベラ・ポリーニの肖像を売った男』として名を馳せ、画商としての『箔』が画廊の経営を安定させているのだ。
穏やかな秋の昼下がり、ロンドンのカフェ、テラス席のテーブルで昼間からチェスに興じる二人の男……ジョーンズとウィリアムズだ。
「クイーンは頂くよ」
「ではこちらはナイトを頂くとしよう」
あの時、クリスチャンズが争奪戦に勝利したのは、ザビエルズが『降りた』からに他ならない、純粋な競争の結果だ。
しかし、ジョーンズとウィリアムズはそれぞれの会社には内密に、しばしばこのカフェで顔を合わせて戦略を練っていた。
少々畑違いだが、骨董品はその由来にまつわる事実が価格に大きく影響を及ぼす、全く同じ品物であったとしても『だれそれが所有していた品』となれば値は大きく一桁違ってしまう、『付加価値』は時に本体を遥かに超えてしまうことがある。
市場に出される『幻の名画』などそうそうあるものではない、それ自体が既に付加価値となる、そして実際の画を目の当たりにした時、人々はイザベラの美貌に見惚れ、それを描いたプラッティの筆致に感嘆し、イザベラとプラッティの間にあったかもしれないロマンスに思いを馳せ、そして、それが途方もない金額で取引されることに興奮するだろう、その全てが付加価値になる、様々なメディアが発達した現代において、イザベラはモナ・リザに負けない程の知名度を得ることが出来る、二人はそう踏んだのだ。
だとすれば2億ユーロは決して不可能な数字ではない。
そして、二人は手分けをしてそのアイデアに耳を傾けてくれる顧客を探した。
最初に落札したのはパリでも屈指の画廊を営む画商、彼は3年後に手放すことを前提に落札した。
ジョーンズとウィリアムズが描いた『イザベラはモナ・リザと同じ位有名になり得る』と言うストーリーを信じた上での投資だ。
その時既に『イザベラ・ポリーニの肖像』と言う『幻の名画』が存在する事をクリスチャンズ、ザビエルズ両社が競うように宣伝し、マスメディアもしばしば取り上げていた、彼らは人々が飛びつきそうなネタには鼻が利く、イザベラが有名になる下地は整っていた。
そしてオークションでのお披露目。 『幻の名画』の名に恥じない本物の傑作だったからこそ、人々はオークションに熱狂し、レンブラントを超える値がついた事も大々的に報じられた……全ては描いたストーリーのとおり、パリの画商は『イザベラ・ポリーニの肖像』と共に、その知名度を落札したのだ。
そして3年後、再びオークションにかかった『イザベラ・ポリーニの肖像』はニューヨークの美術館が落札した。
アメリカは、とりわけニューヨークは大衆芸能の中心地だ。
イザベラの光り輝く微笑は、ジョーンズとウィリアムズがそっと付け加えたイザベラとプラッティのロマンスと言う物語が実際にあって不思議はなかったと感じさせる。
5百年前、ルネサンス美術が大輪の花を咲かせたイタリア、美しく聡明な貴族の女性と後世に名を残すことになる若き画家の、身分の違いゆえに決して実らぬであろう秘められた恋……アメリカの人々はそんなロマンティックなストーリーに飛びついて小説に、映画に、ミュージカルに仕立て上げ、2億9千万ドルの投資は充分にそれに見合う利益を上げた。
何よりの宣伝材料になったのは『イザベラ・ポリーニの肖像』そのもの、画の素晴らしさもさることながら、知名度が伴ってこその宣伝材料だ。
そして再び3年後、『イザベラ・ポリーニの肖像』はニューヨークの美術館からフィレンツェ美術館に1億6千万ユーロで譲渡され、その代金は美術館とフィレンツェ市が折半した。
その結果、美術館はルーブルの『モナ・リザ』に匹敵する展示の目玉を得て入場者数を増やし、市の観光収入はぐっと伸びた、『モナ・リザ』に匹敵するまでに知名度が高まった『イザベラ・ポリーニの肖像』ならば充分に安い買い物だった。
当然のことながら、クリスチャンズは最初のオークションで10%に当る2千百万ユーロの、ザビエルズは2度目のオークションで2千5百万ユーロの利益を上げ、ジョーンズとウィリアムスにはそれぞれ相応のボーナスも支払われている。
ポリーニ家も2億1千万の90%、1億8千9百万ユーロを得て、それを事業に活用して財政難を脱している。
すなわち、『イザベラ・ポリーニの肖像』をめぐる取引に敗者はいないのだ。
ジョーンズとウィリアムズがライバル会社の絵画部門責任者と言う立場を超えて密かに立てた計画は、『幻の名画』と言うミステリーから始まり、レンブラントを越える金額で落札される事で注目を集め、パリの画廊でその知名度を確固たるものにし、その知名度でニューヨーク市民を虜にし、最後は故郷に戻って世界中から観光客を呼び寄せている。
画が素晴らしいものである事はもちろんだが、『イザベラ・ポリーニの肖像』は移動する度にその名声を確かなものにして来た、ジョーンズとウィリアムズの策略は見事に当ったのだ。
「ふむ……どうやら手詰まりのようだな……」
「私もだ……これはスティルメイト(両者手詰まりによる引き分け)だな」
「ははは、またか、これで3連続になるな」
「またお手合わせ願いたいね、あさってはどうだい?」
「ああ、午後ならば」
「ではまたこのテーブルで」
二人はがっちりと握手を交わし、それぞれの画廊へと戻って行った。
そして今日もイザベラの微笑みはフィレンツェ美術館で人々を魅了し続けている。
(終)
作品名:イザベラ・ポリーニの肖像 作家名:ST