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第七章 星影の境界線で

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5.紡ぎあげられた邂逅ー1



 今が夜であることを忘れたかのように、別荘の廊下は煌々とした光で満たされていた。
 メイシアの父、コウレンとの対面を果たしたルイフォンとリュイセンは、明るすぎる廊下に落ち着きのなさを感じながら、先を急いでいた。
 脱出経路は、侵入経路の逆順。端の階段を使って一階まで降り、厨房から外に出る――。
 額から汗が伝い、流れる。
 だが、ルイフォンがそれを拭うことは叶わなかった。意識のないコウレンを背負っていたためである。混乱が危険を招くと判断したリュイセンが気絶させ、更に途中で目覚めると厄介だからと眠り薬を打ったのだ。
 感動の、とまではいかないまでも、それなりに絵になる救出劇を思い描いていたルイフォンにとって、予定とは随分と違う展開になっていた。
 一階の階段室を出る直前で、前を行くリュイセンが合図を送ってきた。ルイフォンが了承の意を返すと同時に、リュイセンは流星もかくやという速さで躍り出る。
 見回りの凶賊(ダリジィン)が三人、突如として現れたリュイセンに凍りついた。
 刹那、ルイフォンは鈍い物音を聞いた。
 リュイセンの向こうで凶賊(ダリジィン)が倒れた。と、同時に幾つかの打撃音が続く。
 ひときわ重い、どさりという音が床を揺らした。それが最後の男だった。そして、あたりは人気(ひとけ)のない、森閑とした廊下に戻る。
 相変わらずの見事な技に、ルイフォンは口笛を吹きたいのを我慢して、にやりと口の端を上げた。


 入ってきたときと同じく、厨房は闇に包まれていた。廊下との落差から、ここだけが光の世界から置き去りにされたかのように思える。夜が更けてきたためか、室内の空気はひやりと冷たく、それが物寂しさを助長させていた。
 このあとは、そこの勝手口から庭を駆け抜け、一気に門を出る。事前に把握しておいた見回りの人数からすれば、途中で敵に遭遇する確率は極めて低いはずだ。
 唯一の懸念は〈蝿(ムスカ)〉の存在であるが、純粋な力量ならリュイセンが上回ることを、前に〈蝿(ムスカ)〉自身が認めている。
 別荘の外に出てしまえば一安心で、近くに待機させている車が迎えに来る手はずになっていた。
 だから、救出作戦の成功は目前であった。
 しかし、ルイフォンとリュイセンは、暗い厨房の中ほどで立ち止まった。
 戸惑いもあらわに、リュイセンが後ろのルイフォンを仰ぐ。ルイフォンも、予想外の事態に唖然としていた。
 今は一刻も早く、メイシアと父親を会わせてやりたい。
 しかし、勝手口の前に、ちょこんと座り込んだ小さな影をどうすればいいというのだろう?
 ルイフォンは、困惑に目眩がしそうになった。
 影は、こくり、こくりと船を漕いでいた。ぴょんと跳ねた癖っ毛が、肩の上で可愛らしく揺れている。――タオロンの愛娘、ファンルゥである。彼女は扉を塞ぐようにして眠っていた。
 まさかの伏兵だった。
 別れ際に、ちゃんと部屋に戻るように言ったはずなのだが、そのまま寝てしまったのだろうか。ともかく、彼女を乗り越えなければ外に出られない。
「起こさないように、そっとどかしてくれ」
 小声で、ルイフォンはリュイセンに指示を出す。子供相手の役回りはルイフォンのほうが適任なのだが、生憎、彼の両手はコウレンを背負っているので、文字通り手一杯だった。
「無茶を言うな」
「起きたら、そのときは、そのときだ。……仕方ない」
 急いでいるのは勿論であるが、それを抜きにしても、今はファンルゥと接したくなかった。三階の部屋では、タオロンが深手を負って倒れている。彼女は知らなくても、ルイフォンたちは父親を襲った賊に他ならなかった。
「――ああ、本当に仕方ねぇな……」
 心底嫌そうな顔でリュイセンは屈み込み、ファンルゥの背に手を伸ばした。
「ふにゃ!?」
 案の定、手が触れるや否や、ファンルゥが大きな目をぱちりと開けた。リュイセンの舌打ちが漏れる。
 彼女は、間近に迫っていたリュイセンの顔をじっと見つめた。そして「はふぅ!?」と、わけの分からない雄叫びを上げたかと思うと、いきなり大声を出した。
「あぁっ! 来たぁ! ホンシュア、起きて! 本当に、ルイフォンとリュイセンが来たよ!」
 ファンルゥは、喜色満面である。
 だがルイフォンは、彼女の言葉に頭の中が真っ白になった。あまりにも不可解な情報が、無数に散りばめられていた。
 ――ファンルゥは、『待っていた』のだ。
 出口を塞いでいたのは偶然ではない。
 さっき会ったときには知らなかったはずの、『ルイフォン』と『リュイセン』の名前を口にした。
 そして、口ぶりから彼女は独りではない。ここで待っていれば、彼らが来ると教えた者――おそらく彼らの名を教えた者が、この暗がりの中にいる。
「どこにいるんだ……?」
 ルイフォンの気持ちを代弁するように、リュイセンが呟いた。
 武に長(た)けたリュイセンすら、気配を探れない相手。しかも――。
「『ホンシュア』だと――?」
 ルイフォンは仇敵にでも会ったかのように、瞳を尖らせた。
 リュイセンはその名にぴんとこないだろうが、ルイフォンは忘れるわけがない。〈猫(フェレース)〉たる彼が、ほぼ徹夜で調査しても正体の片鱗すら突き止められなかった、メイシアを唆した仕立て屋の名前だ。
 そういえば、別荘に潜入する前にキャンプ場で情報を吐かせた吊り目男も、地下に〈七つの大罪〉の〈蛇(サーペンス)〉と呼ばれる女がいると言っていた。その女は『ホンシュア』と名乗っていた、とも。
 ファンルゥは、ルイフォンの剣呑な雰囲気にまったく気づくことなく、無邪気に答えた。
「窓のところにいるよ! ホンシュアは熱があるの。熱い、熱いって。だから窓を開けて涼しくしているの」
「……熱?」
 床に座り込んでいたファンルゥは、ぴょんと元気良く立ち上がると、調理台の間を抜け、換気扇の下に設けられた腰高窓のところに行った。
 見れば、先ほどは閉じられていた窓が開け放たれていた。冷たい夜気が入り込んでいる。どうりで室温が下がったと感じたわけだ。
 ファンルゥは、ちょこんとしゃがみ込んだ。
「ホンシュア! ルイフォンたち、来たよ!」
 そこに、人影があった。
 影は、両足を抱え込むようにして、うずくまっていた。膝に顔を載せるようにして伏しているため、造作は伺えない。
 白いキャミソールワンピース姿で、背を覆う黒髪の隙間から、むき出しの肩が晒されていた。長い裾は床で広がり、緩やかに波打っている。
 今まで気づかなかったのが不思議なくらいにはっきりと、青白く幻想的な光景が暗がりに浮かび上がっていた。
 こんな薄着で、しかも熱があるのに窓を開けるのか。生身の人間とは思えない、そんな錯覚すら覚える。
「これが……『ホンシュア』……?」
 ルイフォンは、情報屋トンツァイから貰った写真でしか、ホンシュアを知らない。斑目一族の屋敷から出てくるところを隠し撮りしたものである。
 派手な女だと思った。濃い化粧と、体のラインがはっきりと表れる服。切れ者を演出するかのように、髪はきっちりとまとめ上げていた。
「ホンシュア、起きてよ!」
 ファンルゥが、ホンシュアの肩を揺らした。
作品名:第七章 星影の境界線で 作家名:NaN