隠子の婚約+美人の退職+愛娘の受験+仕事の責任=幸せの1/2
プロローグ
「部長。ちょっと相談したいことがあるんですですけど。今日の晩、お時間いただけませんか?」
部下の小原が申しわけなさそうに、木田博之に頼んだ。上目遣いに眉を寄せて作るその表情は、男扱いに慣れた彼女得意の仕草だろう。
彼女が突然声をかけたのは、水曜日の午後、博之が事務所のデスクでコーヒーを飲みながら、パソコンのメールをチェックしている時である。二人以外、他には誰もいなかった。博之は目を細めたまま、すぐにモニター画面に視線を戻したが、それは受信件数が多く、忙しかったのが理由なのではない。
「ああ、今日はちょっと用事があってね」
博之は、面倒だからそう言ったのでもない。しかし予想外の返事に、小原は絶句している。そして、一呼吸置いてから、
「・・・ごめんね。何だったかな?」
と、それでも彼女の方は向かず、キーボードをたたきながら尋ねた。
「はい。実は退職に関してのことなんですが。仕事が忙しいのに無理言ってるんで、しっかりお話がしたかったんですけど」
なるほど、彼女としては、申しわけなさそうな表情を作るはずである。
「その気持ちは有難いけど、今日は先約があって、どうしてもそっちに行かないといけないんだ」
博之はわざと目線をそらしたまま、ぶっきらぼうな言い方をした。せっかくの誘いを、そう簡単に断るはずもないのだが、小原は面と向かうには照れくさいほど、きれいな顔立ちの女性主任なのである。
博之はようやく手を止めて、ゆっくり彼女に視線を向けると、こう付け加えた。
「その話は明日でもいいかな?」
「はい。大丈夫です!」
小原は嬉しそうに笑いながら言った。これも作り笑顔だということは、博之もお見通しだが、彼女が笑うとなぜか博之は安心するのだった。
「それに、ちょっと僕も相談したいことがあるんだよ」
「え? 私に、どんなことですか?」
博之は普段、彼女に気軽に声をかけたり出来ない。面と向かって話すのも照れくさい。しかし、この時はせっかくの誘いを断ったものの、ほんの少し、彼女の信頼は得たいという思いから、このようなお願いを口にしてしまった。
「知り合いの結婚式についてなんだけど」
「ああ。それってピアノ講師の方の?」
「うん。今晩、そのことで相談を受けてるんだけど、僕は最近の結婚式事情に疎くって」
「私、去年に式挙げたばかりなんで、何でも聞いてください」
「ホント助かるよ。じゃあ明日の晩おごるから」
「あ。そんな、私が無理言ってるのに、申しわけ・・・」
博之は人差し指を立てて、彼女の言葉を遮り、眉を寄せて言った。
「割勘は、有り得・ない!」
「です・ね(笑)」