③冷酷な夕焼けに溶かされて
愛情
「あとは私がするから、今日はもういい。」
遠くで低い声が聞こえ、意識が戻る。
寝室のカーテンを見た瞬間、それがそっと開かれた。
「!」
私が寝ていると思っていたのか、視線が合うと夕焼け色の瞳が驚いたようにわずかに見開かれる。
「おかえりなさいませ。」
先ほどより幾分出やすくなった声で微笑むと、ミシェル様は口をへの字に曲げて目を逸らした。
「…何か口にするか?」
ベッドへ腰掛けながら訊ねる声色は、やわらかい。
私は思わず『すりおろし蜂蜜りんご』と答えそうになるけれど、口をつぐんだ。
(甘えすぎ、よね。)
「言わなきゃ、わからない。」
ミシェル様は冷水で冷やしたタオルを額に乗せてくれながら、私を見下ろした。
(甘えて…いいのかしら?)
「では…何か…甘いものを…。」
遠回しに伝えると、ミシェル様は思考を巡らすように視線を迷わせる。
「飲み物か?」
「…いえ…。」
答えながらチラリとテーブルの上のりんごを見ると、ミシェル様は気づいてくれたようだ。
「待っていろ。」
言うや否や立ち上がり、すぐに作り始めてくれる。
りんごの皮をとても上手に剥く様に、驚いた。
「ご自分で、よく作られるのですか?」
しゃりしゃりと小気味良い音を立てながらおろし器ですりおろされるりんごを見つめながら、訊ねる。
「自分で作るのが一番安全だからな。」
ま
その言葉に、違和感を覚えた。
「安全…。何か、そういうご心配でも?」
私が質問すると同時に、スプーンが口元へ差し出される。
「食え。」
私の質問を無視するような素振りに、私は夕焼け色の瞳を見上げた。
「…。」
無言で抗議したことに気づいたのか、ミシェル様が小さくため息を吐く。
「…。食ったら教えてやる。」
まさか譲歩してくれるなんて思っていなかったので、私の頬が思わずゆるんだ。
「ほら、色が変わるだろ。」
照れたように口をへの字に曲げて言うミシェル様が可愛くて、更に私の頬はゆるむ。
私が口を開けると、そこに小さめのスプーンが差し込まれた。
「美味しいです。」
爽やかな酸味と濃厚な甘味が口の中でひとつに混ざり合う。
「たくさん食え。」
ミシェル様は穏やかな表情で、もうひと匙、食べさせてくれた。
「…まだ食べるか?」
りんごを全て食べてしまうと、ミシェル様がお水を飲ませてくれる。
「いえ、おかげでおなかいっぱいです。」
微笑むと、ミシェル様がふいっと目を逸らした。
そして、薬箱を手繰り寄せ、私の首に手を伸ばす。
「先ほどの話ですが…。」
私の言葉に、一瞬、夕焼け色の瞳が私の顔をとらえた。
「…デューは、よほど平和な国だったのだな。」
私の首から膏薬を剥がすと、ミシェル様はそっとそこを撫でる。
「まさか、与えた剣の刃を潰しているなど、思いもしなかった。」
喉の奥で笑いながら、ミシェル様が優しく軟膏をすりこんでくれた。
「申し訳ありません。」
目を伏せる私の喉を、ミシェル様は再び撫でる。
「痕が…残るかもしれないな。」
どうなっているのかわからないけれど、ミシェル様は少し悲しそうに私の首を見つめた。
「…。」
私がじっとミシェル様を見つめ返すと、夕焼け色の視線と交わる。
「…。」
無言で互いに見つめ合ううちに、気づけばミシェル様の顔が先ほどよりも近づいていた。
「私が責任とって、一生傍に置いてやる。」
夕焼け色に瞳を覗き込まれ、私は頬が熱くなる。
「はい。」
とろけるように微笑むと、ミシェル様の大きな手が、そっと頬に添えられた。
「…本当に、いいのか?」
揺れる夕焼け色の瞳に、私は首を傾げる。
「この国は…私は…恐ろしいだろう?」
眉根を寄せ、哀しげに視線を逸らすミシェル様の手に、私は手を重ねた。
「たしかに、理由がわからなければ恐ろしいです。でも、理由がわかれば…どんなことが起ころうと、あなた様のお側から離れることはしません。」
私の言葉に、ミシェル様はぎゅっと目を瞑ると、ごろんとそのままベッドへ横たわる。
そして、大きく息を吐いた。
「…覇王が…ヘリオス献上を求めているんだ。」
「…『求めている』…現在進行形ですか?」
私の言葉に、ミシェル様は腕で目を覆い隠しながら頷く。
「ヘリオスはルイーズの手にかかり死亡した、と首つきで報告したにも関わらず、疑ってきている。」
(首つき…。その首はいったいどこから…。)
「安心しろ。首は工作が得意な者が作った偽物だが、誰が見ても本物にしか見えない。」
私の心の声が聞こえたかのように、ミシェル様は答えてくれた。
(工作?)
(生首を本物そっくりに工作って…。)
首を傾げる私を、ミシェル様はおかしそうに笑いながら頬を撫でる。
「今度、会わせてやるよ。」
いたずらな笑顔に頷くと、ミシェル様はふっと笑いをおさめた。
「ヘリオス献上を避けるために、ヘリオスの死が必要だった。だから、ルイーズを投獄し、ヘリオスに罪を犯させ、ルイーズに殺させる計画を立てた。…ルイーズもおまえも、計画通り、うまく立ち回ってくれたのに…。」
(そういうことだったのね。)
ようやく合点がいった私は、ミシェル様の手を握り直す。
「けれど、どうしてヘリオスを献上されないのですか?」
私の言葉に、ミシェル様がゆっくりとこちらに顔を傾けた。
「私を献上すれば、ミシェル様がこんなに苦しまれることもないのに。」
「おまえは、覇王の正体を知らぬからだ!」
言いながら、私の体を抱き寄せる。
「ぁ!」
頸と顎に走った痛みに声をあげると、ミシェル様が慌てて体を離した。
「悪い…。」
苦しげに顔を背けるミシェル様の服を、私は無意識に掴む。
そして、その胸にぎゅっとしがみついた。
「!…ルーナ…。」
一瞬、体をふるわせたミシェル様は、ぎこちなく私を抱きしめる。
「でも、覇王様にヘリオスを献上すれば、ミシェル様も、ルーチェも、安泰なのでしょう?」
「…。」
「それならば、私は喜んで覇王様のもとへ」
「駄目だ!」
耳の横で聞こえる声はふるえていた。
「これ以上、もうあいつに奪われたくない…。」
私の首をそっと腕に乗せながら、包み込むように抱きしめてくれる。
「過去に、何かあったのですか?」
あたたかな胸に頬を寄せ、私は握ったままの手に唇を寄せた。
「…。はぁ…。」
ミシェル様は体の力を抜くと、私の耳元で深くため息を吐く。
「私の両親、そしてきょうだいを殺された。」
静かに紡がれた言葉は、低く深い闇を纏っていた。
作品名:③冷酷な夕焼けに溶かされて 作家名:しずか