短編集30(過去作品)
友達と遊ぶことのあまりなかった信二にとって、おばあちゃんは友達でもあった。だがおばあちゃんが家に来るようになってから、却って友達と話をするようになったのも事実で、友達の話についていけなくても、皆の中にいるだけで満足な気分になれる。おばあちゃんにそのことについて話したことがあった。
「それはそうでしょう。信二は寂しがり屋だからね。おばあちゃんでよければいつまでも一緒にいてあげたいけど、友達は大切だよ」
と言った時のおばあちゃんは、実に寂しそうな顔をしていた。
まだ何かを言いたげな感じだったが、言葉を飲み込んでいるように見える。あまり人の行動に敏感ではない信二だったが、おばあちゃんの行動を見ていると考えていることが手に取るように分かってくるようだった。
――僕って寂しがり屋に見えるのかな?
本人はそんなつもりはない。どちらかというと、人と同じことをするのを嫌う方だ。「一匹狼」という言葉が似合う男だと思い始めていた頃だった。
そのくせ、友達の話が気になって仕方がない。
――変な噂を立てられているんじゃないかな?
などと気を回してしまう。
ある日おばあちゃんと公園に出かけた時のことだった。信二が学校から帰ってくると、
「公園にでも散歩に行かないかい?」
と誘われたのだ。
「うん、いいよ。たまには散歩もいいね」
本心からだった。特にその日は暖かく、散歩日和であることは間違いない。学校からの帰り道、きっとおばあちゃんと同じことを考えていたことだろう。
マンションからおばあちゃんに連れられていった公園までは、自分の足なら十分くらいで行くだろう。しかし老人の足ともなると話は別で、ゆうに二十分は掛かった。その間おばあちゃんは無口で歩くことに専念していたように見えるが、背中に夕日を浴びて歩いていると、長くたなびいている影が揺れながらこちらを見上げているように見えて気持ち悪い。
それにしても、影を引きずって歩いていると、足が棒のように重たく感じられる。背中に当たる夕日もジャンパーで暖かくなり、まるで縁側にいるような心地よさを感じた。
縁側で日向ぼっこをしたことなどなかった信二だが、縁側に当たる日差しで、木造の縁側から木の臭いが漂ってくるような錯覚を感じたが、本当に錯覚なのかと思うのは、今までに日向ぼっこをしたことがなかったからだ。公園のベンチが木造なのも、きっと日向ぼっこを感じるのに役立ったことだろう。
公園に行くと、小さな子供の遊ぶ声が響いていた。さすがに小さい頃にはよく遊んだ公園だったが、最近はあまり友達と遊ぶことがなくなったせいか、久しぶりにやってきた気がした。
しかもベンチに座るなどなかったことで、そこからの光景は遊んでいた頃に比べて、実に狭く感じられた。小さい頃の感覚で見ていたのと、今のように静かに座った視線で見ているのと、絶えず動いていた頃の目線の違いからのことだろう。
しかも夕方というと、長くなった影を感じながら遊んでいたこともあって、気だるさを感じる中での公園の広さを感じたのだ。
公園にはベンチがいくつか置いてある。近くに団地やマンションが多いこともあって、朝などはゲートボールの会場として賑やかなのだろう。線を引いたあとや、小さな穴が残っている。
他のベンチにも老人が座っている。片手にはステッキが持たれていて、ベレー帽のようなものをかぶっていて、いかにも芸術家肌という感じの紳士だった。
じっとこちらを見つめているように思えた。思えたというのは、それほど鋭い視線というわけではなく、じっと見つめているのだが、優しそうな視線なのだ。きっと近くにいてそんな視線で見つめられたら、安心感からか、睡魔が襲ってくるのではないかと思えるほどの優しさである。
――どちらを見つめているのだろう?
ゆっくりと横にいるおばあさんの表情を見つめてみたが、相変わらず前を見ているだけで、その視線の先が初老の紳士であることは明白だった。
信二は二人の表情を見比べていた。少々露骨に眺めていても、二人には気にならないだろう。二人だけの世界ができているような気がするからだ。
よく見ていると、相手の老人の口元が少しずつ動いているように思える。何かを呟いているようだ。そう感じながらおばあちゃんの方を見ると、おばあちゃんの方でも何か口元が動いている。何を呟いているというのだろう?
――ひょっとして二人は知り合い?
だったら、どうして近づいて話そうとしないのだろう? 信二に気を遣っているからなのかも知れない。だが、二人は呟いている表情はとても穏やかで、近づいて話す必要などないほど落ち着いて見える。
その時のおばあちゃんの表情も、初老の紳士の表情もしばらく頭の中に残ることになるだろうと、信二は感じた。
それからどれくらい経ったのだろうか。足元から伸びる影が最高の長さに感じられるようになったかと思うと、あたりを暗さが襲ってきた。完全に夕日はマンションの影に隠れてしまって、遠くの山肌だけが、光って見えるだけになった。それも短い時間だけで、っゆっくりとあたりを影が覆いかぶさっていく。それは今まで感じたこともないほどゆっくりとしたスピードで、自分たちのまわりの世界だけがゆっくりと進行しているのではないかと思わせるに十分だった。
もちろん錯覚だろう。さっきまで遊んでいた小さな子供たちも散り散りに家に帰っていった。親が呼びに来た子もいたが、解散すると一気に寒さが襲ってきたような気がした。
だが、この二人の老人のまわりだけは暖かい。そばにいるだけで暖かく感じられるのは、対面している紳士が信二に対しても微笑みかけているからだ。
最初はおばあちゃんだけに微笑みかけているように感じたが、紳士が信二の視線に気付いたからだろうか、微笑み返す視線を感じている。
その日はそのまま帰ったのだが、それから信二が学校から帰ってくると、時々おばあちゃんが公園に誘うようになってきた。毎日付き合うということはさすがになかったが、信二が付き合わない時でも、おばあちゃんは一人で公園に赴いているようだ。
そんなおばあちゃんに、
「どこに行っていたの、心配したわよ」
という母の声が届いているだろうか?
何と言われようとも、きっとおばあちゃんは公園に出かけることをやめないに違いない。信二が一緒にいる時はいいのだが、一人で出かける時に、いちいち母に、
「公園に出かけてきます」
と言わないように思える。言ってしまえば、公園でのひと時が台無しになってしまうように思えるからだと、信二は考えていた。密かに出かけるから誰にも邪魔されないひと時が得られるに違いない。
――ではなぜ、自分だけを連れていくのだろう?
母に対し、頑なに黙っていることよりも、そっちの方が不思議だった。
公園に出かけるようになってからのおばあちゃんは、さらにいきいきしてきた。母に何を言われようともサラリとかわしている。まるで若返ったように血色もよく、年寄りという気分にさせなかった。
――人は恋をするといきいきしてくるというが、まさかね――
作品名:短編集30(過去作品) 作家名:森本晃次