きらら
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アルフォンス・ミュシャの朝の目覚めを購入するために、保坂は笠間市の画廊を訪ねた。有名な画廊であるからすぐに購入できると思っていたのだ。店に入ると、飾ってあるのは油絵が多かった。店員に訊ねると、
「ご注文いただければ取りよせることができます」
と言った。
「価格はいかほどでしょう」
「しばらくお待ちください」
保坂は店員が価格を調べている時間再び絵を見ていた。小松崎邦雄の舞妓の化粧部屋が目に留まった。中央の舞妓が着物を着るところなのだろう、白い襦袢の上に赤の着物を着るところなのだが、うつむき加減な目線と顔の化粧の白と口紅の赤、そのあでやかな色香が保坂は素晴らしいと感じた。
「お待たせいたしました。エディションナンバーによりますがこちらで手に入るのは約50万円程です」
「承知しました。その金額お支払いしていきます」
「手付金の5万円ほどで結構です」
「そうですか」
保坂は100万円程の金を用意していた。
「全額払います」
「かしこまりました」
店員は間をおいて
「価格がお安くなりましたら返金致しますが、高くなることもありますが、正式な売買契約でしたら、50万円ちょうどになります」
と言った。
保坂は細かなことはどうでもよいと思った。
「正式な契約でいいです」
と言った。
店員は領収書を書いた。
「3,4日で入荷すると思います。お電話番号をお願いします」
保坂はメモ帳に電話番号を書きながら
「飲みに行きたいんですが、店を紹介してくれますか」
と店員に訊ねた。
「接待で使う店がありますが、宜しければ電話を入れておきます」
「ありがたいです。お願いします」
店が開く時間は7時であった。まだ1時間近く待たなくてはならなかった。保坂は笠間焼の店に立ち寄った。どちらかといえば、伊万里焼のような派手な焼き物が好みであったから、庶民的な笠間焼は買う気持ちにもならなかった。何も買わないで店を出るのは、気が引けたので3000円のマグカップを購入した。ショルダーバックには入らず、紙袋を持つことになってしまった。衝動買いを後悔した。これからクラブに行くのには邪魔であった。
4月の7時はすでに外は暗い時間であった。タクシーから降りると、織姫のネオンが見えた。7時10分過ぎであった。
「電話予約したものです」
「N画廊さんからのでしょうか?」
「そうです」
「お待ち申し上げておりました」
マダムだろう。35歳くらいに保坂には見えた。スリムな体に、濃紺色のドレスが似合っていた。
「お1人ですね」
「はい」
「良い女(こ)をお付けします」
ボックス席に座ると、案内したママらしきホステスが、名刺を出した。保坂が思ったようにママであった。すぐに、40歳くらいのホステスが席に着いた。そのホステスも保坂に名刺を出した。源氏名はキララと書いてあった。保坂は覚えやすいと思った。そしてその名前が気に入った。
「お飲み物は?」
「ビールで」
ママが手を挙げると、ボーイが2本のビールを持ってきた。
「どうぞ、贔屓にしてくださいませ」
保坂は一気に飲んだ。キララが手をたたいていた。まだ時間が早いから客は5人ほどであった。客待ちのホステスが歌を歌い始めた。八代亜紀の舟歌であった。実に上手い。
「お客様も歌いませんか」
と歌い終わったホステスが言うと
「いかがです」
とママが保坂に言った。
保坂が躊躇していると、元気な客が、ステージに立っていた。カナダからの手紙を歌いだした。保坂は誰が歌ったのか思い出せなかった。何か気持ちが悪い。
「誰が歌ったのだっけ?」
思わず地の言葉が出てしまった。
「平尾昌晃。女性は誰だったかな」
「ありがとう。すっきりした」
「ほんとね。思い出せないって気持ち悪いわ」
キララは席を立った。
「畑中葉子です」
「ありがとう」
保坂はキララにビールを注いだ。
「東京ナイトクラブ、歌える」
保坂はキララに言った。
「松尾和子の声は出ないわ。でも歌えます」
キララと保坂はステージに立った。保坂が歌い始めるとすぐに拍手が始まった。キララも声はハスキーではないがオーラは出ていた。
「ブラボー」
客席から声があがった。
席に戻った保坂は、それぞれの席にビールを届けさせた。お返しのビールが届くと、保坂は客待ちのホステスを呼ぶようにキララに言った。ママはほかのテーブルにあいさつ回りをしていた。
「ごちそうさまです」
ホステスが3人席に座った。
オードブルや、ワイン。ウイスキー、テーブルの上はごちゃごちゃになるほど並んでいた。
「お客様のお会計は10万円を超えますよ」
とキララが耳元でささやいてくれた。
「ありがとう。君の名前は素敵だね」
「星の輝きを感じてもらえたらうれしいですわ」
「星の輝きですか・・素敵ですね」
「うれしいですわ。この店に勤め1年ほどになりますが、初めてですわ。名前が素敵だって言ってくれた方は」
「星が好きですか」
「お店が終わって、空を見て、星を見ると、癒されます。ロマンを感じて、夢を持てます」
「そうですか、僕はしばらく星を見たことがないな」
「今晩は晴れていますから見られますわ」
「店を出たら見てみよう」
「だいぶお酔いになりましたから、会計にしましょう」
「そうですね」
「消費税が入って12万3500円ですが、10万円でいいそうです」
「分かりました。会計を済ませたら一緒に星を見ましょう。其れから車を呼んでください」
「分かりました。ママの了解を得てきます」
キララはすぐに戻ってきた。
「お店の近くで10分程度なら、大丈夫ですよ」
「ありがとう」
「これはお預かりのものです」
「マグカップですが、荷物になりますから、キララさんに差し上げますよ」
「お土産でしょう。持って帰ってください」
キララから紙袋を持たされてしまった。
店の外は肌寒いほどであったが、ほてった体には気持がよかった。
「あれがしし座ですわ」
「キララさんは星座にも詳しいのだね」
保坂はキララが指をさした南の空を見た。