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塩屋崎まり
塩屋崎まり
novelistID. 64496
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人魚の下半身

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『人魚の下半身』
 上半身が人間。下半身が魚。人間と魚のハーフの少女がいた。少女はその余りに特異な外見で、人々に忌み嫌われ、いないもののように扱われているのだった。 
 少女は、もう癖になってしまった溜息を今日も吐いた。
「どうしてママとパパは、愛し合ったりしたんだろう。人間と魚だよ? なにをどうやって愛を育んだのよ」
 そう呟きながら、今日も車椅子を回す。魚の下半身では、歩くことなどままならないのだ。歩道をゆっくりと進む彼女を皆避けて通るので、今日も快適に車椅子を漕ぐ。人々は避けながらも、奇異の視線を彼女に向けた。
 少女は海に向かっていた。一週間に一度、海水に下半身を浸すのだ。別にしなくても生きられるが、浸すとなんとなく調子がいい。少女は電車に乗って、今日もあくせくと海に向かうのだった。


 ピンポン、と家のチャイムが鳴った。パパは水槽の中で泳いでいるし、ママはパパに夢中だ。少女は仕方なく玄関を開ける。
 目の前にいたのは、中年の、見たこともない男だった。見たところ、運送業者のようではない。セールスのようでもない。まだ十四歳の少女にとっては、なんとも判別しがたい男だった。
 男は少女の姿を見ると、宝物を見つけたハンターのように目を煌めかせながらも、抑える様に落ち着いた声で「パパかママはいる?」と少女に訊ねた。
「パパは魚。ママは――人間だけど、パパをずっと見てるからなあ……。ちょっと待っててください。聞いてきます」
 少女は両親の部屋に行き、ママを訪ねたが、ママはパパとランデヴーなようで、少女の声は聞こえていないようだった。
「すみません。ママもパパもいるけど、今は手が離せないみたいです」
「怪しい男が来てるってのに、こんな子供一人に対応を任せるなんてどうかしてるな。いや、俺としては万々歳なんだけども……」
 男は少女の両親に軽蔑の面を浮かべながらも、複雑そうな心情でひとりごちる。しかし切り替える様に明るい声を出して男は話を切り出した。
「両親がいないなら、それはそれでいい。話の本題は、君なんだ。僕は君の身体のことで、お願いがあってここに来た。話を聞いてくれるかい?」
 今まで、いないもののように扱われていた少女は、自分が中心の話である、とそう聞くだけで、少し心が沸き立ち、ぶんぶんと頷くのだった。
 男を居間に案内し、少女は不慣れな手つきで紅茶を差し出す。男は微笑ましそうにその様子を眺めた。
 挨拶とともに、男は名刺を差し出す。
 どうやら、男は近所で「すし屋」を営んでいる男のようだった。
「すしってあれですよね? 魚の肉をご飯の上に乗せて食べる料理」
「そうだよ。食べたことないのかい?」
「はい。パパが魚だから、私とママは魚を食べないんです。でも、テレビで芸能人は皆おすしを美味しそうに食べるから、ちょっと食べてみたいなあって思ってるんです。ママに知られたらカンカンだけど」
「そっかあ、大変だね」
 内緒ごとのようにこそこそ笑う少女に合わせ男も笑った。
 男が居住まいを正して、ごほんと咳打つ。少女も、それに合わせてピンと背筋を伸ばして聞く体勢を整えた。
「僕はね、自分で言うのもなんだけど、結構腕のいいすし職人だと思うんだ。十年店をやって、常連さんも少なからずいる。けどね、僕はもっともっと色んな人におすしを食べて欲しいんだ」
少女はうんうんと頷く。
「いろんな人に食べてもらうには有名になる必要がある」
 少女はそのとおりと話を促す。
「話題づくりの一環として、君の下半身を食材として提供してほしい」
 少女は固まった。
 少女の様子に、「ああ、やっぱりな」という諦めの表情で男は言葉を続けた。
「ごめんね。変なこと言って。おじさんはもう帰るから、今の話は忘れてくれ。いいね?」
 男は立ち去ろうとしたが、少女はその腕を引き留めた。男は驚いた顔をしたし、少女自身もまた、何故自分が引き留めたのかよく分からなかった。
「駄目だよ、引き留めたら。僕は君を、人間だなんて思っていない。魚だと思ってる。食材に見えているんだ。僕は君の下半身を欲しがっている悪いおじさんなんだ。引き留めたりしたら、君の身体の半分は、いつのまにか無くなってるかもしれないよ。それとも、君は下半身を失くしてもいいと思ってるのかい?」
 少女はふるふると首を横に振る。
「そうだ。よく分かってるじゃないか。だからその手を放しなさい」
 しかし少女は手を離さなかった。初めてだったのだ。少女のことを思って話してくれる人なんて。
 男の手は暖かいものだった。それが更に少女の握る力を強くさせる。大げさだが、少女には、これを手放せばもう一生人の暖かさに触れることなんてないと思えたのだ。
 男は諦めのか、少しため息を吐いた。そして何を思ったのか少女を誘う。
「……僕のすし屋、来てみる?」
「! はい、いきます」
 少女は嬉しそうな笑顔を浮かべて大きく返事をした。


 男に車椅子を押されて、街中を進む。魚の下半身を一応、タオルケットで覆ってはいるが、どうにも尾びれはちらちら覗いてしまう。動物としての本能か、人間というのは案外目敏い。足先しか出ていないのに、人々の視線はすぐに少女に向かった。それでも、いつもより視線が不躾でないのは、後ろで「健全に人間な男が」車椅子を押しているからに違いなかった。
 男に連れて来られたのは、大通りから少し逸れた道にある、こじんまりとしたところだった。周囲は薄暗く、人々もあまり道を通らない。男のすし屋は、こじんまりながらも、清潔で、雰囲気のある外観だった。大通りにあったなら、必ず繁盛していそうだ。
 今現在男の店が人々に知られていないのは、立地の悪さに他ならなかった。
 男は店内に少女を案内し、カウンターの席に座らせる。
 男はカウンターの中でいろいろと準備をして、魚の切り身をさばいた。
 数十分して、男が少女の前に置いたのは海鮮丼だった。魚の身が色とりどりに並べられ、輝いている。少女の目にはそれはとても美しいもののように見えた。
 少女は夢中で海鮮丼をかっこんだ。美味しくて止まらなかった。
 魚の身が、こんなにも美味しいものだなんて知らなかった。――パパもこんなにおいしいのだろうか。と一瞬思う。彼女はそしてすぐに考えを振り払った。なんとなく、危険な思考だ。
 海鮮丼を食べきったところで、店内に人が入ってきた。
「大将! なんだい、今日店開けてたのかい」
 恰幅のいい中年だった。声が大きい。どかどかとした歩き方で、カウンターに座る。
「マサトラさん。――今日は休業日だって言ったじゃないですか」
 男が少し困ったように眉を寄せる。
「いいじゃないか。俺と大将の仲だろ? それに、休業日だって言いながらお客さん中に入れてるじゃねえか」
 そういってマサトラと呼ばれた男は、少女に視線を向ける。そして愕然とした表情になった。
「お、おめえ」
 マサトラの視線は、少女の下半身に注がれている。少女はタオルケットで下半身を守るように隠した。マサトラは大将に視線を向ける。
 しかし大将は逃げるようにその眼を逸らした。
「大将、ありゃ、人魚……だよな? どういうつもりで店にいれたんだ」
作品名:人魚の下半身 作家名:塩屋崎まり