扉 田舎暮らし
2019年07月22日(月)13:51
隣とは仲良く。
お互いにお世話になるから大事にしないとね。
そう思っている。
長男がなくなり父が亡くなりました。
それからは私へのいじめがはがしくなりました。
私はこの土地に22歳ぐらいまでしかいないので近所とか隣とかは私個人は付き合いがないからわかりませんでした。
長男がなくなり嫁が出ていき孫も出ていき残されたのは要介護の両親二人でした。
近所では後に誰が入るのか?入らないで潰れていくのか興味深々であったようです。
今年は周り番の班長で各家を回っております。
その中で聞こえてきたのは
「誰が入っても隣班には入れないことと話し合いがされておりました。それと隣のMKさんやKKさんが中心になり話し合っていた。」
ということを最近になり知りました。
なんで私が来る前からそんな話し合いがされていたのか?
それが疑問です。
まだ私は要介護の両人が心配で時々泊まりに来ていた時からでした。14年ぐらい前の話です。
あまりにもひどいです。
今日は隣の家は煙がでていました。
何かを燃やしているのでしょう。
4年間私はいじめに耐えました。
役場にも民生委員、困りごと相談、人権擁護相談、国の相談、県の相談、地域の派出所、町長との話し合い等々に相談をしてきました。
何をどう相談しても何も変わりません。
力ずくで戦わんくれば思うように、元通りに戻らないところです。
もうSNSで書いていくはまだやってませんでした。
警察の派出所の若いお巡りさんにSNSには書かないように注意を受けてました。
守ってきました。しかしもう手段がないのです。
私も華やかな生活から(年齢が多いので退かななければならないというのもありました)
一変して質素倹約の貧乏生活の田舎暮らしが始まりました。プライドもあります。
今の生活を公表したくない私の心もありました。
しかし公表をしていってその中から何かが見えることがあったらそれをつたわりたいです。
またそれ以外は今は考えられないのです。
SNSで書いていく決心をしたんです。
名誉棄損になるので相手方は略語で書いていきます。
私はいじめられてきたことよりを今は何とか穏便な生活に戻りたいのです。
この土地で生きると決めたので穏やかに花を作り生きていきたいです。
なぜいじめるのかが私にはわからないです。
2019.7.19
母の介護にきて下さる「ニチイ」の方が私に言いました。
「先日車で道を通っていたら。女のおばさんが土手が崩れるから通らないで下さい。」と言われました。
それを聞いて驚きました。道を通らないと我が家には来れないのです。
困り果てて民生委員に相談をすることにいたしました。
電話をかけても出ないので携帯にかけたら「出先です」と言れたので「後にかけ直します」と電話を切りました。
もと民生員という方が知り合いにおりましたのでこの話を致しました。
「民生委員はボランティです。町役場に言うだけで何にも力が無いです。困りごと相談に行ってごらん」と進められました。
7月12日(金)町の困りごと相談に行きこのことを相談いたしました。町ちから返信の連絡が行くようにいします。
という返事でした。
しかし本日7月19日になっても連絡はありません。
夕方になりハウスの中の植物に水をかけていたら隣の奥様は車が通るから土手が崩れる。と怒鳴られました。
怒鳴られてまだ町からは連絡は行ってないのだと思いました。町はなにもしてくれない。
まだ私はこの街に住んで何も意地悪や仕返しを出来てない。
隣のおばさんに虐められてばかりです。
こうして書くだけが私の能力で虐める事が出来ないです。
言われても言い返せないです。
田舎で生きるとは意地悪をして言い返す喧嘩能力が無いとダメなのです
私には出来ないのです。悔しいですがどうしようもない。
母がいなくれば私は家はあるので(今まで住んでいた家)
土地はこのままにして出て行きたい。
そんな気持ちで一杯です。
しかしこの土地から出ていかなという母がおります。
もう母は一人で生きていけないです。
こんな町で生きるのは人間らしくはないです。
道路をとおらにでくれという町民がおりますかね。
如何したらいいのだろう。
今までは恐ろしくて書けなかった。
生きる事で精一杯でした。
ただただじっと耐えて生きる。
「親は捨てられないからです」
でも我慢の限界に来ました。
私は書くことでしか戦えないといことに気づいたのです。
言い返せない。虐められてばかりいる私の反撃です
019.7.19
仕事を辞めて田舎生活に入った私は4年になります。
やっと田舎生活に慣れました。
お金はないけど時間はたっぷりとある生活。
暇はあるけどストレスのない生活。
豊かと言うべきか?(貧乏と書くと的確です。)
夕方はなるべく遅くまで農作業の仕事をするが昨日は5時に上がり6時に夕ご飯を食べたら8時には眠ってしまった。
12時頃に目が覚めたらもう眠れない。
眠くなるまで起きていようとしたら朝方5時になってしまいそれから寝てしまった。
もう8時に寝るのは辞めようと思いつつ眠ってしまう。
10時頃を眠る時間にしないと夜中に起きてしまう。
寝る時間も惜しいほど働いた時をおもうと最高の贅沢ですね。これからも日記を書きていきます。
まずは4年間の介護の親を見ながら売れに売れない農地での農作業と燐班で置かれた私の立場を私 目線から書いていきたいと思います。
2019.7.12
昨日は雨なので以前から気になっていた土地の件で法務局に出かけました。
家に入る通路道から母の介護の方が入ってきます。
車で来ます。
土曜日に来る方で自分の車のようで介護施設の名前は入ってません。その介護の方に
「土手が崩れるからこの道は通らないでくれ」と話した。
介護の方は「私に如何しましょう」
しかしその道を通るしかなく困り果てました。
地区の民生員に相談いたしました。
電話は出なくたまたま携帯を知っていたので携帯にかけたら「出先です」と言われました。
元民生委員という方が4キロぐらいは離れた所に住んでいる知人を訪問致しました。
「ちょうど今日は困りごと相談日なのでそこに行きな。民生委員はボランテァで役場に言うだけで何の効力がないよ」戸言うことでした。
早速相談に行きましたが役場に話すと言うことで役場からの返事は全くないです。
土地がどうなっているのか法務局に行き図面を取りました
これだけでは欲和から弐ので「地積測量図」というのをとりました。
地積測量図が出てきたのはかけ離れたところで小さな道路際だけでした。
どうすればいいのか。
境杭などみんな抜いてしまうこの地区です019.7.13
019.7.8
七夕の朝
ブルーの虹の橋を渡りました
一歩。一歩。と階段を上っていきました
貴方が残した者
私が大事に守ってます
貴方が残した物
私が必死で守ってます
しかしこの物は守るのが辛い
そして苦しい
貴方が生きたこの地域
いじめに遭いながら生きてます
何度もくじけます
田舎のいじめと闘いながら