短編集27(過去作品)
高校に入ると、本当に一人でいることが多くなった。部活をするでもなく、とりあえず大学には進学したいと思っていたので、それなりに勉強をしながら、それ以外は一人の時間だった。
飽きっぽい私にファミコンやテレビゲームのような趣味はなく、本を読んだり、テレビを見たりしていた程度である。
本にしてもミステリーが好きで、特にトラベルミステリーなどを読んでいた。旅行が好きで、休みになれば一人でフラッと出かけることもあったくらいなので、本を読んで、行ってみたいところを探しているような感じだった。
だが、一人でいるのが多かったのは高校時代までで、大学に入れば友達が自然と増えていった。元々、友達と一緒にいるのが嫌いな私ではないので、キャンパスという独特の場所という雰囲気も手伝って、今度は一人でいるよりも友達といる方が多かった。
――集団意識――
初めてこの言葉を意識したのも大学に入ってからだった。それまで、一人でいることが好きだった私は、
――どうして一人でいるのが好きだったんだろう?
と、大学での生活から高校時代を振り返り不思議に思っていた。そして見つけた結論が、
――集団意識という言葉が嫌いだったからだろう――
というものだった。
集団意識という言葉を意識していたわけではないだろうが、無意識に集団意識を嫌っていたことは、言葉を再認識して気がついた。言葉は大学の授業で出てきた言葉で、教授が演台から学生に向って、
「君たちのようなことを言うんだね」
と言った時、一斉に笑いが漏れたが、私は笑うことができなかった。言葉から醸し出される本来の意味を、講義を聞きながら理解していたからだろう。
特に試験前などは集団意識を思い知らされた。いくら皆同じように講義を受け、そして資料が揃っていたとしても、元々の頭のできが違えば、結果は当然違ってくる。あまり要領のよい方ではない私は、成績もあまりよくなかった。きっと「要領」という言葉にもトラウマがあったかも知れない。
「要領」という言葉、私はあまりいい意味では捉えていない。要領のよい人間というと、人を蹴落としてでも、自分が上に行こうという考えを持った人だというイメージで小学生の頃からいたのだ。そこには、テレビドラマやアニメの影響が、多分にあったと思っているが、間違いではないだろう。しかし、自分の意志の中に、
――要領がいい方ではないんだ――
という意識があったことも否めなく、そこから要領という言葉を毛嫌いするようになったに違いない。
「集団意識」という言葉や、「要領が悪い」という自分の性格を頭に置いたまま、私は就職した。どうしても社会に出ると、どちらの言葉も無視はできないのだろうが、私にとって社会に出るということに弊害を与えるほどのものではない。
社会に出ると、一人でいることの懐かしさが思い出された。会社では嫌でも集団の中の一つの歯車でしかない。いくらコツコツとする仕事であっても、それが会社に与える役割が何であるかを考えれば、自ずと集団意識が頭を擡げてくるのである。
要領の悪さ、つまり要領のよい人間を毛嫌いするというトラウマが災いしてか、あまりうまく立ち回ることも、仕事に自分の実力を生かせないまま、来ていた。きっと、あまり不自由なく育ってきた環境も災いしているのだろう。一人でいることを望みながら、心の中では、
――何かあったら、きっと誰かが助けてくれる――
と思っているに違いない……。
と、こういう内容を新宮先生に話した。じっと黙って聞いていた先生だったが、
「いやいや、なかなか興味のあるお話をありがとうございます。私は心理学の先生ではないので、詳しいことは何とも言えませんが、あなたのことや性格は大体分かりました。言いにくいこともあったでしょうが、よく話していただきました。申し訳ありませんでしたね」
そう言って深々と頭を下げる新宮先生。こちらが却って恐縮してしまった。
「はい、お引き受けいたします。ここまで窺って断るなんてできませんからね」
私の緊張が伝わるのだろう。終始ニコニコして、私に安心感を与えてくれているように思える。
「では、よろしくお願いいたします。まず、これは、手付金として……」
手提げカバンの中から封筒を出して手渡した。
「中を検めさせていただきます」
「どうぞ」
中から半分お札を出して数え始める。他の事務所ではどうか分からないが、ここでは、中身を依頼人の前で検めるのが常識になっているに違いない。その方が依頼人も安心できるというものである。
――依頼人重視の探偵事務所――
きっと、それが腕のいい探偵さんなのかも知れない。
「いたた」
私は思わず胃を抑えた。
「大丈夫ですか?」
お札を数えながらであったが、新宮先生はいち早く私の胃痛に気付いたようだ。そしてその顔に浮かんだのは、何とも訝しそうな表情、いわゆる、
――苦虫を噛み潰したような表情――
とは、まさしくその時の新宮先生の表情のことをいうのだろう。
「実は私も胃痛が持病でしてね。まぁこういう商売をしていると胃も痛くなるというものですよ。ちょうどいい薬がありますので、飲んで行かれませんか?」
訝しい表情から一転、今度は先ほどまでのニコニコした表情よりも、さらに嬉しそうに私を見つめた。
「それは、どうもありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
と言うや否や、
「コンコン」
扉が開くと、先ほどこちらの部屋へと通してくれた女性がお盆にコップと薬を持って、入ってきた。
「どうぞ、これでお飲みください」
それにしても、どうして私が胃痛だと分かったのだろう。新宮先生が彼女に話す暇などなかったはずだ。だが、私の胃痛が普段にも増してひどいものだった。そんなことをゆっくりと考えている余裕などなかった。
お盆からテーブルに薬と水が置かれるや否や、間髪入れずにそれを手に取り、電光石火で、薬を飲んだ……。飲んだはずである。余裕のない中での一連の行動は、すべてが電光石火のように感じられた。
薬を口にするや、精神的にも安心したのか、刺し込むような苦しさはすぐになくなっていった。
「ああ、だいぶ楽になりました。ありがとうございました」
新宮先生の表情も安心に満ちているようだ。先ほどまで少し困ったような表情をしていたのがウソのようである。
「お役に立てて嬉しいです。今日は、あなたで二人目なんですよ。この薬を飲むのは」
「そうなんですか。やっぱり、探偵さんにものを頼むということは、胃が痛むようなことなんでしょうね」
「そうですね。最近は、ストーカー問題なども多いですね。特に女性はそれで困っておられるようですよ」
「先ほどの女性も?」
と聞きかけたが止めた。守秘義務を最大の信条とする探偵に、そんな質問は愚の骨頂だからである。しかし、今日訪れた人の中にはストーカー問題で悩んでいる女性がいたのは確かな気がする。やはり先ほどの女性ではあるまいか。
「少しすればきっと胃痛も完全に治まりますよ。ご依頼の件は承りましたので、ご安心ください」
「ありがとうございます」
作品名:短編集27(過去作品) 作家名:森本晃次